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半世紀前の二十歳の頃。季節は新緑だった。列車に乗って「青春の旅」をした。楽しい旅ではなかった。「悩んだ時には旅をしろ」と、教わっていたのかもしれない。気車で長野経由の東京方面に向かった。一日目、着いたところが上田駅だった。それから電車で「別所温泉」に着いた。予約なしの一人旅を泊めてくれた旅館は「中松屋」だったと思う。「北向観音」に近い温泉街の道路沿いにあった。

▼北向観音には、昭和の前期に川口松太郎原作の「愛染かつら」が映画化されて、この木の下で永遠の愛を誓った「愛染カツラの木」があった。若き医師と美貌の看護婦の恋愛ドラマが有名だった。そんな樹齢300年以上もある大きな樹木を見た覚えがある。

▼二日目は「中軽井沢駅」に降りた。目的地もなく、駅から直線に伸びる道路を20分ほど歩いたところに「星野温泉」があった。新緑に囲まれた洋館風のホテルのロビーは、泊り客以外でもくつろげるオープンフロアーがあった。田舎出の若者は、そんな洋式風のホテルロビーの中央に設置されていた大きなテレビ画面の前に座った。

▼テレビ画像は、以前から流れていたような感じの対談画面だった。今、思えば録画画像だったかもしれない。「中西悟堂」というテロップが目についた。片や「星野・・・」。ということは、このホテルの経営者だと分かった。中西悟堂は金沢市出身の「野鳥」で有名な先生だと知っていたから、画面にくぎ付けになった。

▼私の記憶画像は、ここで停止になっていた。そして、50年ぶりに再起動した。山代温泉に「界加賀」がオープンを知った時に、あの中軽井沢のロビーで見た画像が蘇った。ネットで「星野温泉と中西悟堂」と検索したら、50年前の覚えていない対談内容が聞こえてきた。

▼軽井沢野鳥の森には「中西悟堂」のブロンズ像がある。1895〜1985年。詩人、歌人、文筆家、僧籍にあって法名が悟堂。野鳥の生態観察を行い、1934年「日本野鳥の会」設立。この軽井沢星野温泉に逗留し、館主の星野嘉政と語らい、国設「軽井沢野鳥の森」を設立した。
▼「鴨池観察館」では、これまで知らなかった野鳥の生態や、江戸時代からの伝統的「坂網猟」が許されている歴史などの話が聞けた。「百聞は一見にしかず」で、鴨池観察館には訪れて野鳥を観るべきだ。

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