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今朝もさわやかに目覚めた。ありがたい。おだやかな空気を感じた。手早く身支度して、電気ストーブとパソコンのスイッチを入れる。立ち上がった画面から、最小化にして「吾亦紅」の曲を流す。

▼ディーサービスの施設で、老人たちの日課。リハリビ訓練時の第一声が、「ありがとう」から始まるということを聞いた。身近な肉親には、若いときに言えなかった「ありがとう」が、最近、「気遣い」を受けた他人にも言えるようになって来た。儀礼的でなく心の奥から感謝の意を込めて。

▼悔やまれるのは、一昨年93歳で大往生した母に、正常なときに言わなかったことが、情けない。「すぎもとまさる」が唄う「吾亦紅(われもこう)」を聴きながら、後悔と自戒の念にいつも重ねて聴いている。

▼「アリがとうなら、ミミズははたち?」。誰が教えてくれたか忘れてしまったが、ガキのころに茶化して言っていた。生まれて初めて「ありがとう」の語源を辞典で調べた。

▽「有り難し」とは、本来「有ること」が「難い(かたい)」、すなわち「滅多にない」や「珍しくて貴重だ」という意味であった。

▽感謝の意を直接に述べず、仏教用語である婉曲的な表現が日本語の感謝の意味を表す語になっているのは、他の言語と比較しても非常に面白い。しかし感謝の意を表す言葉は方言などを含め多岐に及んでおり、「ありがとう」が日本全国で感謝の意味を持つ筆頭単語として使われだしたのは最近のことである。

▼「ありがとう」を、南加賀の方言で「あんやと(う)」は、子どものころに使っていた。社会人?になって、「どうもどうも」、「すんません」で、感謝の意を伝えていた。気心の知れた人には「サンキュー」だった。

▼何とか続いている「スタッフ・ブログ」に、Mさんの「いいね」の気遣いや、数人から、直(じか)のコメントで「見ているよ」・・・。そんな一言にも、老人は元気を貰っている。「ありがとう」。

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