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2015年12月

残りは、あと10日。「初雪に 指折っている 誕生日」。今年も、年齢を意識しないように暮らして来た。そして、健康だからこそ「お声掛け」に出掛けた年末だった。

▼今月に入っての「忘年会」は、金沢での前職OB会から始まって、山代温泉で奉仕活動の仲間。一週間前には、大聖寺観光ガイドメンバーとの昼食会。その翌日には、加賀商工会議所主催の「ふるさと加賀検定」で、合格上位者に贈られる表彰式に招かれていた。

▼いずれの会合での、参加者の年齢を確認したら、まもなく74歳は長老格の方だった。しかし、誰もが年長者として労わってくれなかった。喜んでいいのか、年寄り扱いしない「薄情」な会合でもあった。すこし、「ひがみ根性」もでてきたかな。

▼「長寿社会」は、平和のシルシ。だが、若い後継者の少ない時代だから、両手を挙げて喜べない社会でもある。「高齢者」の線引きが、曖昧だったが、最近やっと板に付いてきた感じでもある。74歳は、まだ「前期高齢者」という。教育制度で例えるなら「小学生」だ。75歳から、90歳を「中学生」。高校生は、100歳まで。それ以上が「大学生」と呼ばれ「尊敬」されている。

▼「後期」の他に「皇紀(こうき)何年」の表記方法もあった。明治5年に制定された日本独自の日本紀元。来年は、「皇紀二六七六年」になるという。神武天皇が即位してからの年号方法だった。昭和15年の「皇紀二千六百年」には、国威掲揚で盛大な祝賀式が行われたと聴いていた。

▼最近、古代史の読み物で学んでいると、開国当時には、三百歳まで生きた天皇が、多くいたと歴史は物語っている。「歴史は作られ、訂正されていく」と、歴史学に精通する仲間の話にも傾聴している。

▼数十年前まで、物知り長老は尊敬されていたが、今、物忘れした長老は、社会の「厄介者」。運転免許書の自主的返還を求めているニュースを知るたびに、買い物場所が近くにない過疎地には、必需品になってきている移動手段。ますます、「鼻垂れ小僧」の小学生にはコンガラがって来た。

年末の恒例行事になって来た「今年の漢字」には、「安」が選ばれた。解説は、「安保」。「不安」。の「安」と言っていたが、私的に付け加えると「安倍」も加えたい。もちろん「安倍晋三」の「安」で、「三本の矢」から放たれた「マイナンバー制度」、「軽減税率」の政策を打ち出した。これらにも「安心」という気持ちで見守りたい。

▼「第90・・9697代」の内閣総理大臣。一度は降りたが、また、甦った政治家。働き盛りの61歳。祖父は衆議議員。父親は外務大臣。母方の祖父に総理大臣岸信介。大叔父に総理大臣佐藤栄作。すごい政治家一家に生まれたプリンスだ。総理大臣で再登板した事例は、吉田茂以来46年ぶりだという。

▼家系図には、歴代の総理大臣だった吉田茂、麻生太郎、鈴木善幸、宮沢喜一が親戚で、今上天皇家にも繋がっている。「古事記」からも、「安倍氏」の名前が見え隠れしている。八代「孝元天皇」の皇子大彦命を先祖とする皇別氏族で、飛鳥時代から奈良時代の大臣級の高官を輩出する。平安時代以後は「安倍」と称して、安倍清明以後は陰陽師の家系として知られている。

▼過去にも、古代歴史に登場した政治家も総理大臣になった例もあったが、「安倍家」に勝る家系は存在しない。ちなみに、平安京造成を陰で支えた渡来人「秦河勝」一族の末裔は、「太秦広隆寺」で有名である。その末裔である、第80代「羽田孜」は歴代最短内閣だった。日本最古の家系図が国宝になっている丹後一宮・元伊勢「籠(この)神社」の宮司職「海部(あまべ)家」の末裔?だという第7677代「海部(かいふ)俊樹」内閣は、脆弱なスキャンダル内閣だった。

▼歴史に登場した「安倍清明」、「秦河勝」、「海部家」と、歴代の総理になった人物との因果関係は、最近読み漁っている関裕二著「歴史ロマン小説」の影響でもある。現実の「晋三さん」、男のロマンだけに終わらないように「タノンまっせ」。

「加賀ふるさと検定」高得点者の表彰式の会場へは、30分前に着いた。1番乗りで商工会議所2階ホールに入ったはずだが、会場のロビーには先着者がいた。彼も表彰される仲間だと直感できたが、初対面だから目礼のまま、その場で時間になるまで過ごした。

▼表彰式の「初級」席には、2位の彼と同位で、隣同士だった。式次第に乗って受賞者が感じた試験問題について、受賞感想とコメントを求められた。私の番になると、司会者は、「現在、大聖寺観光案内所で、観光客との対応している立場から何かありますか」と、紹介を兼ねたコメントを求められた。

▼今回受賞者のなかで、唯一の観光業務に携わっている者からして、初級の合格は当たり前だったが、「上級」も受けて落第した経過を言い訳してしまった。勉強不足で来期も挑戦したい。と、締め括った。そして、加賀市出身人物に、すごい人たちもいることを後世に伝えたい。と、付け加えた。

▼いつもの形式的な授賞式で発言したことが、どれだけの波及効果があるのだろうか。試験で得た知識は、現場ではあまり必要でない。「おもてなし」の原点は、旅人に気持ちよい印象で帰ってもらうことが肝心である。と、最後に挙手して、現場員としての発言もした。隣の彼も聞いていた。

▼富山市出身で、定年後の余生を加賀市で過ごすために、知り得た加賀市の歴史を、もっと活用したい。そして、そんな事に「生きがい」を持ちたい。式典が終わったロビーにいた彼と、また、同席。あらためて自己紹介後に、彼の目標を知った。

▼関心があれば、「日曜当番」で案内所にいるから、尋ねて来れば、活動を通して「生きがい」の参考になるかも知れない。と、告げて別れた。「縁は異なもの」。「富山藩と大聖寺藩」は、「兄弟藩」。加賀藩の3代藩主前田利常は、小松城で陰居して加賀藩の基礎を築いた。そんな仲間が増えるかもしれない。

先日の日曜日は、山代温泉で私にとっては、久しぶりの忘年会だった。NPO法人「歴町センター大聖寺」を支える、大聖寺観光案内所で、日替わり当番や川下りの船頭さんと、観光客に地元の新鮮野菜を提供するボランティアたち。現役を終えてもますます元気に、余生を送る人たちの集まりだった。

▼初対面でも、同世代という共通意識が話題にも花が咲き、同窓会のように話が弾んだ。山代でも定評のある源泉掛け流しの天然温泉をもつ、老舗ホテル「萬松閣」で1年の垢を落とした。

▼利害関係もなく、同じ目的意識がそうさせるのか、私にとってはこれまでに体感したこともない、珍しい大人の飲み会。それぞれの生きザマをかもし出し、他人への気配りや思いやりがじんわりと感じられる気持ちよい忘年会だった。

▼こうした見知らぬ大人たちと縁を持って、大聖寺の未来を後世に残す運動を展開してきた事務局長「瀬戸達」の人徳力に他ならない。彼はこの忘年会の後、南米のペルーに旅立つ。「赤瓦の里」を大聖寺から発信して、もう2年。

▼いくつかの活動の一つでもある「歴史的景観への保存」で、第1回は、「フランス・沖縄・加賀大会」を平成2611月にスタートして、第2回目を今年の9月「サンマリノ共和国・島根・加賀大会」を終えたばかり。

▼来年の大会には、ペルーの「世界遺産マチュピチュ」の「赤瓦の里」を視察した報告会をする。現在ペルーは初夏だという。どんなことを教えてくれるのか、クリスマス後に帰国という。待つ身には、楽しみが一杯ある。物見遊山の観光旅行とは一味違う一人旅。無事の帰国を祈る。

▼こうした実のある活動に、感動を共通できる喜びと、微力ながら支えることに感謝しながら生きてゆける。忘年会の2次会に「カラオケ」で、何年ぶりかで青春時代に歌っていた「嵐を呼ぶ男」。「俺らは ドラマー ヤクザなドラマー・・・」を腹の底から歌えた。

海の向こうの隣国は、日本と最も近くて最も遠い国である。隣国の事情も、正確に分かっていないのも現状でもある。わずかな情報の中から、国内の食糧事情が最悪らしい。残る食糧調達先は、海の漁業に集中することになったらしい。

▼そんな理由なのか、今年になって輪島沖などで、古い小型の漁船が遭難して、遺体を乗せた船や誰もいない船が漂流している。そんな海難事故が多発しているニュースがあった。

▼当時は、漁船に偽装した、拉致を目的にした工作船か、と注目されたが、朝鮮半島沿岸の近くで操業していた漁船が、季節風の時化で沖に流されて遭難したらしいとのこと。しかし、遭難船の装備や船底で寝起きした跡には、貧困を感じさせる物ばかりだったという。

▼大昔から、朝鮮半島から数日間で、小さな船でも、日本海沿岸へは到着できていた。政変で国を追われた政治家や有識者の多くは、波しぶきをかぶって日本へ逃げてきた。また、貿易の海路もあって、人や文化や技術の交流もあったが、ほとんどは、大陸からの導入が多かった。

▼祖国を追われた渡来人は、船から陸に上がったところでコロニーを作る。そして、祖国で祀っていた神々を復元し、祭りも復活した。日本海沿岸に座します神を祀る神社や寺のルーツには、外来神が多い。

▼日本人の多くは、「単一民族」だと思っているが、とんでもない錯覚であるという。日本は多民族国家であった。多様性を包み込み、高め保存することによって発展する。だから活力と繁栄がそこにあった。それが単一民俗の国家だと発展がないという。

▼日本海沿岸に生まれていることは、ルーツをたどれば渡来人だったかもしれない。遠くは欧州からシルクロードを通ってきた先祖が、「日出る国」を目指して、小船で日本海を漕いで来たかもしれない。そんなDNAが時々うずく・・・のか、これまでウロついて定着していない、我が人生だった。

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