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2015年03月

「あなたが噛んだ小指が痛い・・・」を歌ったこともあった。伊東ゆかりの「小指の想い出」。当時は、深く歌詞の意味も考えずに口ずさんでいたが、改めて歌詞を読んでみると、きわどい露骨な部分がある。「・・・あなたが噛んだ 小指がもえるひとりでいると 小指がもえる・・・」。

▼指と手にはそれぞれ意味があり右手は発信、左手は受信。指先からは、それぞれ違った色のオーラがでていて不思議な力が宿っているそうな。「小指」には、霊感を強くしたり、予知能力を伸ばす力があるとされる。人差し指と小指をたてた形は、「月の女神エンブレム」とよばれる魔除けになるため、小指にはめる指輪には、結婚除けの力が宿ると言う説もある。小指と結びつく体の部分は、肺、生殖器。

▼「人差し指」には、人々を統治したり、悪から逃れたりする力がある。古代ヘブライ人は、結婚指輪を人差し指にはめ、幸運をよんだ。また人差し指で誰かを指すことは邪悪なものをその人にとりつけてしまうとされ、法律で禁止されていた。人差し指と結びつく体の部分は、肝臓、胃、膵臓。

▼「薬指」には、古代ギリシャでは、左手の薬指には心臓につながる太い血管があるとされ、体に害をなすものに触れると、心臓に信号を伝えると考えられた。医者は左手の薬指で薬を混ぜ、毒が混入していないかを調べた。又、長続きする愛が宿る「黄金の指」とされ、結婚指輪の習慣が生まれた。薬指と結びつく体の部分は、神経、神経中枢。

▼「中指」には、人に憎くまれたり、恨まれて起こる悪い出来事を止める力がある。中指にはめる指輪には一度終わってしまったことを復活させる力がある。中指に結びつく体の部分は、心臓、血管、肝臓などの循環器系。

▼「親指」には、ローマでは婚約や結婚指輪以外は親指にはめたそう。インドでは結婚指輪を親指に。キリスト教の教皇の指輪も。イギリスの貴族、大富豪も親指にはめるのが権力の象徴と考えられた。親指とつながっている体の部分は呼吸器系と新陳代謝機能。自己の解放、発散ができなくなるという説もある。

NHKは1925年3月22日に東京中央放送局芝浦仮放送所から仮放送を開始し、この日を放送記念日と定めているが、2015年はその放送開始から90周年を迎える。3日前から、記念日にあわせて特番を組んで放送している。当時のNHK初代会長は「岩原謙三」。1923年は関東大震災で東京は焼け野原になった。そんな廃墟の中で、NHKがスタートしたが、ラジオ放送は東京・名古屋・大阪の地域のみに、独自番組で放送電波が近距離限定で受信されていた。日本列島に共通番組が放送されたのが、14年後の1939年。

▼当時、日本で受信機のラジオ製造をしていたのは、今の「東芝」の前進だった芝浦製作所だった。その会社の社長だった岩原は、大震災で工場も壊滅したが、復興に奔走して会社を再開させた。ラジオがあっても放送するところがない現実に、国も放送局を立ち上げた。そして、初代責任者に岩原が指名された。

▼岩原謙三(1863〜1936)。大聖寺穴虫(錦町)に大聖寺藩士岩原隆興の長男で生まれた。菩提寺は、大茶盛り有名な蓮光寺・裏山に現存する。昨年、菩提寺で「謙三生誕150年」を記念して、「お御堂」を「歴町センター大聖寺」が建立している。

▼「歴町センター大聖寺が主催する。2年間の「加賀大聖寺人物館 カウントダウン連続講座」は、昨日は、24回目の最終日で「岩原謙三」の業績が講座で披露された。講師の伊林永幸氏が、知られざる茶人としての、人間「謙三」のエピソードを交えての講話だった。当時舶来のココアをお茶に混ぜて、チョコレート茶会という奇抜な茶会をした話など、大聖寺が生んだ日本を代表する実業家を後世に残しておきたいと話を結んだ。

雪解けが始まった山間部の畑には、雪の下からダイコンやにんじんを掘り起こす作業が始まっている。掘り起こした野菜はみな糖分が増して、生かじりすると大変の甘いという。智恵ある人間は、いつのころからは分からないがそれを見つけて、自然の恵みをいただいている。

▼厳寒のなか、まだ収穫されない野菜たちは、氷点下になると凍ってしまう。種の保存のため糖分を出す。そのことで凍らなくなるという。野菜たちのそうした生きる努力にも関わらず、人間の悪智恵で甘くなった野菜を収穫するという。

▼食卓に並ぶ、川や海の魚たちも、山や野に生きる植物から命を頂き、川で育ち海に出て行き、数年後に生まれた川に戻り産卵を繰り返してきた。

▼私たちの3度の食事は、動植物の命を頂いている。地球の仕組みの中で、「食物連鎖」の最後は人の胃袋に入る。そんな恩恵の中から多くの命を頂きながら、時々、旨くないと言って食べ残している。自戒を込めて反省しなければならない。

▼昨夜の食卓にも、二日前に食べ残した「さんまの焼き魚」を感謝しながら食べた。頭部を噛み砕き、内臓の苦いところも噛みしめ、中骨と尾の部分を残して完食。大海を生きてきた魚は、食物連鎖しながら、たくさんの仲間の栄養素を摂取しながら生きてきた。そして最後は人間の栄養源となる。

▼食後に、手を合わせ「ごちそうさまでした」は、「あなたの命をいただきました」。何万回の習慣の意味をあらためて感じながら、今日の「彼岸の中日」を迎えようと思った。

3月は出会いと別れがある。新型車両がデビューする陰で懐かしい列車が姿を消して行った。喫煙室で顔見知りになった引退組の一人が、ポツリと言った。以前から引退後の過ごし方のひとつに、家庭菜園をやることで昨日の日曜日、荒れた裏庭の空き地でクワを振ったという。見慣れたフットワークでやってみたが「エラカッタ」という。

▼永年、デスクワークの勤務だった人には、畑仕事は使っていない筋力を使うことから同情したが、「それも楽しみのひとつ」と、先輩顔して送別の言葉にした。

10年ほど前に、同じ立場で老後の生活設計を考えたことを思い出した。戦後の高度経済成長期に、生活に追われてがむしゃらに若かった身体を酷使した後遺症が、今、腰痛として残っている。よくやってきたと今となれば懐かしい思い出の一つでもある。

▼きょうのコラム「時鐘」に、「三日三月三年」で仕事や子どもの成長など、歳月を測る物差しとして愛用した時代があったと載っていた。そんなことで就いた仕事を天職として、「ガマン」しながら戦後をみんながんばってきた。しかし、そんな頃の「天職」は、今は「転職」が主流であるらしい。

▼振り返ると。「天職」でがんばってきたから、年金生活の老後がある。転職せずに傷つきながらの企業戦士だった。リタイヤ後は、楽しみながらの4回の転職で、今日も元気な毎日である。

▼「人生設計」は、所詮、思い描いた「机上の空論」。老後は「行き当たりばったり」だった。好き嫌いは、食べてみないと分からない。健康で「おもしろい」人生体験中である。

▼誰しもが必ず通過する老後生活に出会う。「第二の人生」に入る新人に「贈る言葉」としたい。

月曜日の天気概況。北陸地方は高気圧に覆われる。石川県内は時折雲が広がるがおおむね晴れる。予報どおりの日になった。昼過ぎの金沢行きのJRの電車は混んでいた。座席は埋まり、野々市駅までつり革につかまっていた。平日の電車はまるで通勤時間帯のようだった。

▼3月14日の金沢駅はお祭り騒ぎだった。翌日の日曜日も同じように人の波で賑わっていたという。開業3日目に、新幹線の優美な姿を見たさに金沢駅まで行った。

▼まだJRが運営する金沢以南の鉄道は、5〜6年後には「IRいしかわ鉄道」が経営する第三セクターの「ローカル線」になる。車窓から見る景色は、半世紀前に通学していた時から基本的には大きな違いはないと思っていたが、やっぱり風景が違って見えた。

▼そのころは、電車でなく汽車だった。夏の開け放った窓からは、石炭を燃やす匂いと風が、汗臭い学生服を乾かせてくれた。もちろん、今日乗った電車のような「つり革」はなく、乗降客が押すドア開閉のボタンもない。昔の学生は明日の試験勉強に備えて教科書を広げていたが、今風の学生や若い人のほとんどは「スマートフォン」を見ている。懐かしい思い出と、「隔世の感」の「今、浦島太郎」だった。

▼年一回、声が掛かって出席する定年後に再就職したOB会で、金沢駅を降りコンコースを通りぬける。通勤、通学の人で夕方混雑する駅構内を体験しているが、きょうの駅構内の人ごみは、新幹線で来た旅行者が多かった。そして、カメラ手にした新幹線ホームを見る老若男女。140円の入場券を初めて買って、新ホームへ行くと富山行きの「つるぎ」が出発を待っていた。その先頭車両にカメラが向けられていた。

▼東京まで新幹線「かがやき」での旅は、先延ばしにして。せめて、シャトル新幹線「金沢・富山」の23分間。新幹線の乗り心地を味わってみたい。

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