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【甲子園】智弁和歌山、花田悠月が木製バット1号 チームは延長の末に初戦敗退

[ 2024年8月14日 05:00 ]

第106回全国高校野球選手権大会第7日 2回戦 智弁和歌山4―5霞ケ浦 ( 2024年8月13日 甲子園 )

<智弁和歌山・霞ケ浦>8回、智弁和歌山・花田は木製バットで同点ソロを放つ(撮影・後藤 大輝)
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2回戦4試合が行われ、智弁和歌山(和歌山)が霞ケ浦(茨城)に延長11回タイブレークの末に4―5で敗れた。8回に「4番・三塁」の花田悠月(3年)が木製バットで同点ソロを放ったものの、初戦で姿を消した。

空砲だとしても、その一発は甲子園の歴史に刻まれた。0―3の8回2死一塁で智弁和歌山の高桑が左翼席へ2ランを放った直後だった。花田が初球の内角直球を捉えると、金属音とは異なる乾いた打球音が響いた。弾丸ライナーで左翼ポール際に消えた同点ソロ。それは木製バットで放った一発だった。

「夏の甲子園で(木製バットで)一発を打つことが目標でした」 ただし「4番の仕事ができなかった」とも言った。同点の延長10回2死一、二塁では遊ゴロでサヨナラ機を逸し、延長11回の末に初戦敗退。5打席で安打は本塁打1本に終わり、衝撃的な一発も勝利に結びつかなかった。

本年度から低反発の金属バットに完全移行された中、昨秋の和歌山大会後から木製を使い続けている。「売りはパワー。力があれば木の方が飛距離を出せる」。これまで一度も実戦で新基準バットを試すことはなかった。

冬場に中谷仁監督から伝えられた。「木製での"甲子園1号"を目指せ」。新基準バット導入以降、木製を使用する高校球児が増えた。甲子園でも今春選抜から今大会まで複数選手が木製を使用。しかし柵越えは生まれなかった。金属バットが導入された1974年以降では74年銚子商(千葉)篠塚利夫が木製で本塁打を放った例があるものの、木製アーチは極めて異例と言える。目標としてきた新基準バット導入以降の「木製1号」をかなえた。

家計に負担をかけないように、1本4000円の安価な木製バットで練習してきた。今夏の和歌山大会で長打が二塁打1本と悩んでも、「木製で甲子園での一発を」と金属を手にすることはなかった。「この敗戦があって良かったと思える野球人生にしたい」。今後は大学に進学予定。木製アーチ男の本領は、これからだ。 (河合 洋介)

◇花田 悠月(はなだ・ゆづき)2006年(平18)4月15日生まれ、和歌山県出身の18歳。小2から田殿少年野球クラブで野球を始めて投手と一塁手。中学では紀州由良シニアに所属。智弁和歌山では1年秋から背番号14でベンチ入りし、3年春から背番号5。甲子園には2年春、3年夏の2度出場。50メートル走6秒7、遠投100メートル。1メートル78、84キロ。右投げ右打ち。

しろまる...智弁和歌山が霞ケ浦に敗れ、和歌山県勢は茨城県勢に6戦全敗となった。

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