「オリエント工業って廃業したんですよね?」
このお盆前後期間、先の質問に15回程答えねばなりませんでした。何でヲデが... メーカーの人じゃないのに... と思いましたけど...
「オリエント工業は健在です。普通に営業していますよ。但し、廃業はしました」
そう答えると、大半の人は???になりますね。
昨夏までオリエント工業の正式な事業者名はツチヤ商会でした。そのツチヤ商会が廃業して新会社・株式会社オリエント工業に従来の事業を引き継いだのです。
先代の土屋社長はアダルトショップ(ツチヤ商会)を経営していましたが、人形を作る技術が無かったので、オリエント工業の佐々木社長の指導を仰ぐことにしました。やがてに佐々木さんが居なくなり、ツチヤ商会がオリエント工業の看板と事業を引き継いだので、事業者名と屋号が異なる状態が何十年も続いていましたが、この度、事業者名と屋号を一致させることが出来ました。
佐々木さんがオリエント工業を経営していた頃のインタビューが、以下の雑誌に掲載されています。
DSCN1743
「写真時代」1984年5月号
DSCN1744
ある事情があって、 佐々木さんの長文のインタビューが掲載されていて、創業当時の様子が分かる貴重な資料です。
DSCN1745
DSCN1746
「ダッチワイフにおそろしいまでの執念を持つ人がいる。人間により近付けようと、ついにコンピューターを使ったダッチワイフの製作に乗りだした。その人、佐々木剛氏の人生とは!?」
一般に、先代の土屋社長が、オリエント工業を創業し、現在のラブドールに連なる商品開発を主導して来たとされていますが、実はその土台を形成したのは、佐々木剛さんでした。
DSCN1747
元は医者で、障害者とその親の苦痛を和らげるために、昭和20年代から精巧なダッチワイフの開発を始められたそうです。そのインタビュー記事は、衝撃の記述の連続です。
DSCN1751
DSCN1752
DSCN1753
全て真実だとは思わない方がいいでしょうが、半分程は事実でしょうね。オリエント工業の娘達は、マッドドクターの狂愛と熱情によって生み出されたのです。それを20年以上前に知ったとき、どれだけ胸がワクワクしたことか。しかしながら、意外とこの事実は知られていません。
DSCN1754
DSCN1755
当時、上野にあったショールームの正式名称は「上野相談室」でした。まずは、性に関する相談から話が始まっていたからです。20年程前、初めてショールームに行ったら、ちょうど移転した直後で、そのことを知らずに移転前のビルに行ってしまいました。しかも、扉が開いていて、うっかり中に入ったら、マッサージ屋か何かになってました。今のショールームに比べたら随分狭くて湿っぽい部屋でしたね。建物の感じはそのときに見て覚えてます。
DSCN1749
ちなみに、スミレ部隊を統御するS機関のSは、スミレのことだと思っている人が多いでしょうが、実はS機関のボスは佐々木さんってのが、あの妄想話のオチにして起点です。
DSCN1750
「インタビューはまだまだ続くのだが、枚数の関係でこれ以上は書けない」と記されていますが、本当はヤバ過ぎて記事に出来なかったのだと思います。残念ながら、佐々木さん自身の手によって愛液が出るロボットは実用化されることはありませんでしたが、同じ夢を追う人は、今も世界中にいて、新世代のダッチワイフは作られ続けています。
DSCN1748
1984年当時の土屋社長
この時点では、佐々木さんの門下生です。
佐々木さんがいなくなった経緯やその後については全くの謎です。おそらく、土屋社長だけが知る事実なのですけど、それが語られる日は来ないと思います。
このお盆前後期間、先の質問に15回程答えねばなりませんでした。何でヲデが... メーカーの人じゃないのに... と思いましたけど...
「オリエント工業は健在です。普通に営業していますよ。但し、廃業はしました」
そう答えると、大半の人は???になりますね。
昨夏までオリエント工業の正式な事業者名はツチヤ商会でした。そのツチヤ商会が廃業して新会社・株式会社オリエント工業に従来の事業を引き継いだのです。
先代の土屋社長はアダルトショップ(ツチヤ商会)を経営していましたが、人形を作る技術が無かったので、オリエント工業の佐々木社長の指導を仰ぐことにしました。やがてに佐々木さんが居なくなり、ツチヤ商会がオリエント工業の看板と事業を引き継いだので、事業者名と屋号が異なる状態が何十年も続いていましたが、この度、事業者名と屋号を一致させることが出来ました。
佐々木さんがオリエント工業を経営していた頃のインタビューが、以下の雑誌に掲載されています。
DSCN1743
「写真時代」1984年5月号
DSCN1744
ある事情があって、 佐々木さんの長文のインタビューが掲載されていて、創業当時の様子が分かる貴重な資料です。
DSCN1745
DSCN1746
「ダッチワイフにおそろしいまでの執念を持つ人がいる。人間により近付けようと、ついにコンピューターを使ったダッチワイフの製作に乗りだした。その人、佐々木剛氏の人生とは!?」
一般に、先代の土屋社長が、オリエント工業を創業し、現在のラブドールに連なる商品開発を主導して来たとされていますが、実はその土台を形成したのは、佐々木剛さんでした。
DSCN1747
元は医者で、障害者とその親の苦痛を和らげるために、昭和20年代から精巧なダッチワイフの開発を始められたそうです。そのインタビュー記事は、衝撃の記述の連続です。
DSCN1751
DSCN1752
DSCN1753
全て真実だとは思わない方がいいでしょうが、半分程は事実でしょうね。オリエント工業の娘達は、マッドドクターの狂愛と熱情によって生み出されたのです。それを20年以上前に知ったとき、どれだけ胸がワクワクしたことか。しかしながら、意外とこの事実は知られていません。
DSCN1754
DSCN1755
当時、上野にあったショールームの正式名称は「上野相談室」でした。まずは、性に関する相談から話が始まっていたからです。20年程前、初めてショールームに行ったら、ちょうど移転した直後で、そのことを知らずに移転前のビルに行ってしまいました。しかも、扉が開いていて、うっかり中に入ったら、マッサージ屋か何かになってました。今のショールームに比べたら随分狭くて湿っぽい部屋でしたね。建物の感じはそのときに見て覚えてます。
DSCN1749
ちなみに、スミレ部隊を統御するS機関のSは、スミレのことだと思っている人が多いでしょうが、実はS機関のボスは佐々木さんってのが、あの妄想話のオチにして起点です。
DSCN1750
「インタビューはまだまだ続くのだが、枚数の関係でこれ以上は書けない」と記されていますが、本当はヤバ過ぎて記事に出来なかったのだと思います。残念ながら、佐々木さん自身の手によって愛液が出るロボットは実用化されることはありませんでしたが、同じ夢を追う人は、今も世界中にいて、新世代のダッチワイフは作られ続けています。
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1984年当時の土屋社長
この時点では、佐々木さんの門下生です。
佐々木さんがいなくなった経緯やその後については全くの謎です。おそらく、土屋社長だけが知る事実なのですけど、それが語られる日は来ないと思います。
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