日刊・兵頭喜貴 八潮秘宝館公式サイト

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先日、岩手に行ったさい、ようやく入手出来ました。

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オリンパス OM707

ジャンクコーナーにあったのを1000円でゲットです。これまで中古屋で見ても、勘違いした値段が付いてるか、明らかに死んでるゴミしか見たことがなかったんですが、これは電池室に液漏れの痕跡がほぼ無かったので、大丈夫だろうと判断したら、案の定当りでした。電池蓋は壊れてますが、手で押さえれば動きます。

電池蓋が壊れているのは、この時代のカメラあるあるなのですが、OM707のそれは、嫌がらせかと思うくらい強度が貧弱な上、着脱式で完全に外れるので、どこかでフタを落としたら、使えなくなってしまうのです。

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これが元々の仕様です。フタが摩耗したり、割れたりすると止まらなくなります。他社のスパイによる謀略を疑う程にダメな設計ですね。

もちろん、こんなクソカメラが売れる訳がありません。人類史上、OM707ほど社会に負の影響を与えたカメラはありません。ある意味、〝伝説の巨人〟みたいなカメラです。高千穂初(にして最後)のAFフィルム一眼レフだったのですが、余りの出来の悪さに全く売れず、開発・製造したAFレンズを処分するために、人類史上初のパワーフォーカス一眼レフOM101を世に出して、さらに傷口を広げてしまいました。

この時の負債を隠すために高千穂は不正経理を始めて、9年程前にそれがバレて経営破綻し、先月カメラ部門の譲渡を公表するハメになりました。他社に対抗してヤッツケで作ったカメラを社運を賭けて売り出したツケは、余りに大き過ぎました。

たった1台のカメラの尻拭いをするのに30年以上の時間がかかり、その過程で、兵頭のオッサンすら失業を余儀なくされました。高千穂!お前らバカ過ぎなんだよ!お前らは、存在自体が害悪で公害だ!だから、とっと消えろ!これが偽らざる本音です。

実機を検証しましたが、噂に聞いた通り、AFは遅いです。起動もピント合わせも遅く、挙動不審で使い物になりません。しかも、マニュアルフォーカスが物理的に出来ず、伝説のパワーフォーカスで補うことになってますけど... これが超使い難いのです。

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伝説のパワーフォーカスレバー
動かすとイデが発動します。

シャッターの押し難さは、閉口レベルです。当時は、AFの導入だけでなく、インターフェイスの革新も模索された時代でしたが、OM707は明らかな失敗例です。α7000のインターフェイスも、少し分かり難くていろいろ思うところはありますが、見た目が美しく、今なお新鮮さを与えるのとは真逆です。

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インターフェイス悪過ぎです。

AF一眼レフを実用化したのは、日本のカメラメーカーですが、その始まりは米国でした。米国のハネウェル社が、AF一眼レフ用の測距センサーを開発し、日本のカメラメーカーに売り込んだのです。

結論から申して、ミノルタとキヤノンは、ハネウェルのセンサーを検証した結果、使い物にならないと判断し、独自開発を決断したのに対して、ニコンと高千穂は、ハネウェルのセンサーを導入することにしました。

なので、OM707とニコンF-501のAFはクソです。全く使えません。自分の印象としては、OM707のAFはF-501以下です。まぁ、文字通り目クソ・鼻クソの争いですが。余りの使えなさに激怒したオジサンからもらったF-501が、自分の最初の一眼レフです。当時は少年で目が良かったので、あの見え難いスクリーンでも、マニュアルでピント合わせが出来ました。

同じAFクソカメラでも、F-501は、それ以外の問題は無く、意外と使えるカメラでした。その証拠に、F-501からAFを抜いたF-301は、先進的機能と直感的操作を両立させた隠れた名機だったくらいです。一方のOM707は基礎的な操作性も機能もクソです。極めて使い難いし、露出補正も出来ません。

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ニコン F-501
発売当時、旧来のMF一眼レフのインターフェイスをほぼ踏襲していたことが、ニコンの後ろ向きな姿勢と解釈されてましたが、今の目で見ると、かなり練り込まれた操作性を確立していたことが分かります。

高千穂は、 OM707の大失敗を、AF機構を抜いて、手動でモーターを駆動させてピント合わせするOM101で挽回しようとしたのに対して、ニコンはAFセンサーの独自開発に舵を切ります。

そして、ニコンの一眼レフは再び勢いを強めたのに対し、高千穂はジリ貧状態になり(当時、少年ながらにも高千穂はダメなメーカーだと感じてました)、世紀の変わり目と時を同じくして、OMシリーズは消滅しました。

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ニコン F-801
F-501の欠点を克服するためにAFセンサーを自社開発に切り替え、インターフェイスも刷新しました。現在まで繋がるニコンのAF一眼レフの基礎的デザイン・インターフェイスは、このカメラで確立されました。

しかし、α7000が売れ過ぎたミノルタは、ハネウェルに特許侵害で訴えられ、巨額の賠償金を支払うハメになり、コニカと合併し、死に体になったカメラ事業部はソニーに譲渡されました。

一眼レフ用のAFセンサーの基礎特許は、ライツ社(ライカ)が出願していたのですが、記載に極単純な間違いがあったせいで、米国の裁判では基礎特許として認定されず、ミノルタを筆頭に、AFセンサーを独自開発した日本のカメラメーカーは、賠償金を払わなければならなくなったのです。

ミノルタは、かつてライツ社と提携していましたから、友軍に後ろから撃たれたようなもので、何重にも気の毒な話でした。しかし、ミノルタαの後継であるソニーαシリーズは、今ぶっちぎりで売れてるんですから、世の中何がどうなるか分かりません。

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OM707のポップアップ式ストロボ
この変態機能をいつか使ってみたかったのです。ポップアップさせた瞬間は気持ちよかったですね。しかし、発光管が死んでて光りません。

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変態ストロボ一眼レフ三兄弟
当時は、一眼レフに小型ストロボを搭載する方式が各社で模索されていました。結局のところ、F-401式の発展系が、メーカーの垣根を超えて一般化します。F-401系は、露出補正が出来ないことを除けば、インターフェイスの出来も良く、Gタイプレンズも使えます。


追記
先の記事だけ読むと、ハネウェルが凄く悪者に感じられると思うので、少し弁護しておきます。一眼レフに先立ち、70年代末、コンパクトカメラのAF化が始まります。これもハネウェル社のソナー式AFセンサーから始まったカメラ革命です。しかし、すぐに日本のカメラメーカーは、より精度が高い赤外線式AFセンサーを開発・採用し、ハネウェル社のソナー式センサーは、ほとんど売れなくなりました(ポラロイド社だけは、その後もソナー式を採用し続けました)。

おそらく、ソナー式センサーに多額の開発費を投入していたハネウェル社は、かなりの損害を被ったはずです。このときの教訓があったので、一眼レフ用のAFセンサーを営業・販売するさいに、巧妙な契約をしていたのに対し、日本のメーカーは赤外線式センサーの前例があったので、逆にその辺を甘く見ていたのだと思います。

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