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2015年01月

今日は1月18日。「118」は、「いい晴れ」の日になった。こんな日を「冬日和(ふゆびより)」という。晩秋の晴れた日を「小春日和(こはるびより)」で、晴れの日が続かない3月に晴れる日を「春日和(はるびより)」という。俳句の門外漢でも一句作りたくなる「大寒」間近の気持ちよい日になった。「白い山 名前どおりの 冬日和 吾亦交」。

▼「117」、「311」、「911」、の数字は、阪神、東北、ニューヨークの場所が思い出される。そして、数字の語呂合わせの「11(いい)」には、皮肉にも震災とテロ爆発という歴史的な「忌み数」になっている。

▼昨日の新聞コラムに「大丈夫」の3文字には、「人」が入っているから、「大丈夫」と言われると安心できる言葉だと、引用された文章が載っていた。日ごろ何気なく使っている言葉の漢字を改めてみると、先人の智恵が浮き上がって見えることがたくさんある。

▼「安心」とは、「家」の中で、幼児が母に抱かれている姿が一番安全である。「晴れ」は、「青」空に「日」が輝いている。「寒」は家の中にいてもさむい。そんな見方で漢字を解体してみると面白いことも再発見した。

▼「和(なごむ)」とも読ます。「大和(やまと)」は古来の日本の呼び名だった。「大化の改新」以後、「日本」になった。「日出国(ひいずるくに)」からの「日本」になったとも教わっている。

▼「大きく和む国」は、平和を意味する日本国に生まれ、あらためてよかったと思う。「1192年、いい国つろう鎌倉幕府」を思い出した。

「水素自動車」が、発売された。まだ高値の700万円で、国の援助で500万円というニュースを聞いた。自動車業界は次から次へと進化している。自動的にブレーキが掛かるタイプも発売。目的地をセットすれば、勝手にハンドル操作をしなくてもいい、車も開発されているという。

▼戦後の子どもの頃。少年雑誌の「少年」、「冒険王」、「少年画報」が相次いで発行されていた。雑誌に掲載されている手塚治虫の「鉄腕アトム」や福井英一の柔道漫画「いがぐりくん」などの連載漫画を読み漁った。そんなころ、「小松崎茂」が描いた「空想科学イラスト画」が、雑誌の表紙をめくると載っていた。

▼高層ビルが林立する未来都市。ビルの間を縫うように走る高速道路に、流線型の自動車も走っている。宇宙船で生活する人類の未来世界も描かれていた。そんなイラスト画を、次号が発売されるまで、わくわくしながら何回も見ていた。半世紀以上も前のことである。そんな空想画が、今、現実化している。

▼イラスト画からは、走っている自動車の燃料は分からないが、もしかしたら「水素自動車」だったかもしれない。随分むかしの記憶には、ハンドルは描かれていたかなかったか覚えていない。もしかしたら、なかったかもしれない。人類は空想からいろんなものを作り出す。

▼そんな空想物語を童話にしたのが、昭和に入ったころの「宮沢賢治」の「銀河鉄道の夜」の作品であった。その後の、松本零士の「銀河鉄道999」や虫プロの「宇宙戦艦ヤマト」などのアニメ映画につながっていった。

▼東海道線に新幹線が開通して、50年目に北陸新幹線がまもなく開通する。そんな流線型に翼をつけた旅客機がすでに世界の空を飛んでいる。いずれは、銀河系の宇宙空間を行き来する「銀河鉄道時代」が来る。大正時代に一世を風靡?した宗教家も「口述筆記した霊界物語」で、「宇宙を走る銀河鉄道」を予言していたという。
▼「水素燃料自動車」を、多分運転しないと思うが、マフラーからでる無害の水を見てみたい。

20年前の今日は、「阪神淡路大震災の日」。昨日のNHKの「朝イチ」番組の特集「現地神戸からの生放送」をもらい泣きしながら見た。あれから20年経ったが、見た目のハード面は「復旧」したが、「復興」という、昔ながらの「向こう三軒両隣」の人間関係壊れてしまって、元に戻っていないというソフト面はまだまだである。という現地のインタビューを受けた地区の古老が語っていた。

▼自然災害を受けた人々は、その後、思ってもしなかった人生ドラマを体験する。他人事ではない、いつ起こるかもしれない災害で、窮地に遭うかもしれないわが身を想像してみた。しかし、明日に向かって生きた人々の体験談から一つ学んだ。

▼自然災害にこれまで遭ってこなかった者にとっては、未体験の環境は想像がつかない。あれこれ思っても仕方がない。 命があったら過去を振り返らずに、前しか見ないで生きることに進むだけだ。これまでもそうやって来た。結果の善し悪しは別問題でもある。そして、生かされている実感を何度でも体験できることへ、感謝できるようにもなるという。

▼先日も、新設された市役所の防災担当者と世間話をする機会があった。どんなことをしているのかとの質問に、彼は熱っぽく語った。災害時、市民にはそれぞれの事情に合わせた支援を、瞬時に平等に与えることは不可能である。いざと言うときの避難場所への周知と、「自分の命は自分で守る」事へのキャンペーンも考えているという。

▼「いたせりつけせり」の天気・地震・噴火の予報が、裏目に出ることもある。いつの世も当たり前であるが、生死の分かれ道は、個々の危険予知を含めた行動による。そうやって、先人たちも生き抜いてきた。

▼そして、そんな災害時の体験談を後世に生きる若者に、伝えていくという。「言い伝え」を復活することでもある。

「小正月」の代名詞は左儀長行事の日。だんだんと薄れていく感じの行事の一つでもある。今年の正月は、一切の新年を迎える風習を変更して、「断食」で新年を迎える予定で、「ウオーター・・ボトル」を数本用意し、「断食レシピ」を読んで準備していた。

▼「紅白歌合戦」が終わり、「行く年来る年」が始まるころ、新年のあいさつを兼ねて来た子どもが、『手作りのお節料理』を手土産に持ってきた。結局、気遣いに負けて、新年の「断食」は持ち越しにした。いつか略式ながらも、連休の日を選んで試みてみたいと思っている。

▼「一年の計は元旦にあり」を、これまで信条にしてきた。「初詣のおみくじ」や「家庭暦」の本を買い求めて、「吉凶の占い」を見ては、「冠婚葬祭」の日取り決めなどに重宝してきた。そんな雑用にも縁遠くなった。残るは、明日のわが身を大事にすることに専念する年でもある。

▼「寒九の雨」という占いがあると聞いた。小寒から数えて9日目が1月14日だった。この日に雨が降ると農耕に良い恵みの雨が降ると信じられてきた。しかし、晴れた昨日をどう判断するのだろう。10年間の統計からすれば、大変珍しい「晴れ」だという。

▼「先人の智恵」で、いろんな占いや言い伝えで今日まで来た。自然災害に対して事前に準備しておく心構えの長い歴史があった。昨今の天気予報はむかしより正確になってきた。しかし、僅かな時間のずれで、多くの人が災害に遭っている。

▼犠牲者が出て、いつも反省として言われていることがある。自然災害に遭ったら、行政が知らせる情報よりも、危ないと思ったら自分で行動をする「判断力」を身につけることだという。

監督が不在の高校サッカーチームが、全国大会の決勝戦まで進んだ。そして、勝った。第93回全国高校サッカー選手権大会は、石川県代表の金沢星稜高校と群馬県代表の前橋育英高校の決勝戦。2対2の同点で、延長戦に入った。決勝戦にふさわしいゲーム内容だった。どちらが勝っても初優勝。試合会場は、カラッ風が吹く「埼玉スタジアム」。前後半合わせて、20分間の延長戦。前半1538分に星稜の11番の森山がゴールした。そして後半9分に、また森山がミドルシュートを決めた。やった!4対2で星稜が勝った。

▼川崎監督不在で指揮をとった木原監督代行は、淡々とした優勝インタビューに答えていたが、鈴木キャプテンは涙で、入院中の監督からの伝言で、戦う強い気持ちをもらったことをマイクに向かって叫んでいた。

▼寒いグランドで戦う高校生の熱い戦いを、1330分からはじまったテレビ中継を、最後の16時までテレビの前で、熱くなって星稜を応援していた。朝から外は寒い風が吹いているようだった。一歩も外に出ずに、暖房された居間でのテレビ観戦。なんて贅沢な一日だった。

▼インフルエンザで力士が休場したアナウンスで、館内がどよめいた。人気力士の「千代鳳(ちよおおとり)×ばつ宝富士の取り組みで、初金星の「宝富士」は笑顔だった。

▼PGAツアーゴルフに出場している、松山英樹は通算▽17アンダーで3日目首位に立った。日本の実力ナンバーワンは、アメリカに拠点をおき、試合出場登録の関係で、日本での試合に出られないらしい。

▼サッカー場での試合、国技館での大相撲、PGA公認でプロ選手らの試合。会場も選手も実際に見たことがない。全てをテレビ画面からの実況で見てきた。試合会場での独特の臨場感は分からないが、解説付きで十分感動が伝わっているから、これでいいと思うのは私だけかな。

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