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2015年01月

「人命は地球より重い」と言って身代金を払った。ダッカ日航機ハイジャック事件。当時の福田首相が決断した時の言葉。仮称「イスラム国」に捕まって、身代金が日本国に提示された金額は、2億ドルという法外な金額が提示された。安倍さんは全力で守るという。身勝手に危険なところへ行った二人を助けるという。

▼今の時間。1月2412時には具体的なニュースが伝わっていない。多分、交渉相手とコンタクトをもつ仲介者を通じて、解決策をやりとりしているのだろう。タイムリミットの72時間の日時はすでに過ぎている。

▼にわかに「降って沸いた」事件と言うより、予測されていた事件でもある。イスラム教は、世界の3大宗教に一つだ。ユダヤ教から枝分かれしたキリスト教と兄弟的な関係でもある。預言者ムハマンドに帰依する16億人。そんな中の「原理主義」と言われる、古い時代の思想にこだわったグループが、「イスラム国」を作ろうとしている。

▼「神の名」を後ろ盾に、なりふり構わず理想国家をつくる。殺人、強盗、拉致・・・を含め大量殺人の自爆行為。聞いてあきれるが、これが現実である。繰り返される歴史は宗教戦争で彩られていると言っても過言でない。

▼人間と宗教は切っても切れない相関関係にある。特に親子の縁は切れても、「イスラムの神」から見捨てられないようにという信奉者が多いという。

▼「聖書コーラン」を唱和したことがないが、聞いたところによると、「旧約聖書」のようになっているという。そして、「殺人は死刑」、泥棒も強盗も厳罰という。そんな「厳しい掟」もあるというから驚きだ。進化の流れの中で、現れては消える「歴史の1ページ」かもしれない。

「物忘れ」と「認知症」は違うという「キャッチコピー」を横目で見ながら、いつもその前を通り過ぎている。役所で、市民のさまざまな高齢相談を受け付ける場所だと認識している。まだ、その場所で困りごとを相談したことがないから、はっきりとしたことが分かっていない。いずれはお世話になるだろうが。

▼最近、特に「物忘れが」ひどくなって来た。寒くなると暖房器具の世話になっている。「点けたら消す」の操作で、火事になりやすい「消す」の行動に神経を使っていると、外出時の持ち物を忘れる。

▼運転免許書の入った財布やカードなども入れている財布、「キーホルダー」などに「鈴」を取りつけた。3種類の「鈴の音色」が違うものにした。それらを衣服のポケットに入れていると、3種類の音色が聞こえる。鳴らない時には、ポケットあたりを触ってみると音がする。

▼「リンリン・ランラン・チンチン」を常に身に着ける身分になった。人呼んで「鈴の鳴る人」。そんな同名の小説がむかしあった。単行本になった第1部を読み、第2部の発刊を今か今と待ち受けていたが、とうとう手に入れることが出来なかった。

▼昭和47年6月、『鈴の鳴る人』 第1部 毎日新聞社発刊 水上勉著。40年ぶりに思いだして、ネットで調べたが、第2部の発刊が記録されていないという。まさしく「珍(チン)発見」である。「雁の寺」、「金閣炎上」などで、1960〜70代に人気作家だった若狭出身の故『水上勉』氏の、自叙伝的内容の小説だった。

▼第2部の未発刊理由はネットでも不明だから、何かのトラブルがあったのだろう。それとも、筆者の水上氏が、出筆中に「物忘れ?」、「認知症?」になって、ご本人が『鈴の鳴る人』になってしまったのかもしれない。

「大寒」になった。各地の寺院の修行僧は例年の行事として「寒修行」に入る。素足に草鞋(わらじ)を履き、家々を回る「托鉢の業」や「水ごもり」。「寒稽古」では、海岸での空手の稽古など、各種の団体で行うこの時期の風物詩でもある。

▼先日の20日のテレビで、富山県の上市町の「大岩山日石寺」での「滝行」を報道していた。六メートルの高さから流れる落ちる滝に、大勢の人が滝水に打たれていた。中にはロシア人の親子も参加していた。青い目をした男の子が印象的であった。

▼大相撲初場所も寒中に行われている。今場所も「白鵬」が強い。七尾出身の十両の「輝(かがやき)」もいい成績で来場所が楽しみである。テレビ中継で解説の話を聞いていると、成績の善し悪しは、いつも「稽古(けいこ)・修行」が一番と言っている。叩かれて、水をかぶり、また打たれる修行の連続が力士を強くする。

▼「鉄は熱いうちに打て」という言葉を思い出した。武士の魂とも言われていた「日本刀」を鍛え打つ時の製造工程(刀鍛冶)からの語源であるが、最近、町内にあった鍛冶屋も消えて市内に一軒ぐらいしか残っていない。

▼童謡の「・・・しばしも忘れず槌うつひびき・・・仕事に精出す村の鍛冶屋」も聞かれなくなった。そんなころは、鉄のような強靭な精神をもった人間を造り出すには、若いころから仕込んでゆくというのは当たり前の時代だった。いまでもその精神で鍛えている大相撲の世界がある。その修行に耐え抜いた者が横綱の称号に値する力士となって、永遠に名前が残る。「大鵬・巨人・卵焼き」の流行語で個人名「大鵬」は、これまでになかったことだという。

▼白鵬も尊敬する、ロシア人の血を引く「大横綱・大鵬」納屋幸喜さんは、2013年1月19日に亡くなっている。彼は、寒中に水に打たれて強くなったのではない。千島からの引揚者として、幼年期は貧乏と言う環境の中で、強く生きる基礎が出来ていて、力士になっても稽古に専念した「大横綱」であった。

数日前の新聞コラムに、「早起き」は「三文の徳」のことが書いてあった。「知っていてもなかなか出来ない、『ことわざ』でもある」とも。数年前から「早起き組」になった者からすれば、若いうちは出来なくとも、年を取れば出来るようになるから、心配しなくても言いといいたい。

▼早起きの「三文の徳」とは何だろう? 一日考えてみたが、まだ、そんな得したことがなかった。木造の古民家には、すき間風があちこちから入ってくる。「寒中」の時期は居間も寒い。早起きすれば、明かりや暖房の電気代もかさむから、目に見えて「得」なことはない。

▼むかし。「陽が昇れば起きて、陽が落ちれば寝る」の生活が当たり前のことだった。そんな時代に出来た「三文の徳」とは、やっぱり、「元気」を確認できることかな。今もむかしも「健康」であれば、それ以上のことはない。

▼「寝るにも体力がいる」と言うことを、誰かが言っていた。若者は体力があるから「爆睡(ばくすい)」できる。休日は、予定がなければ昼ごろまで寝ているという若い人の話も聞いたが、わたしの若いころもそうだった。

▼「三文」とは、きわめて低い価値のこという。「広辞苑」から引用すれば、「三文絵」、「三文小説」、「三文花」、「三文判」、「三文文士」、「三文奴(さんもんやっこ)」。わたしも「三文ブロガー」だ。しかし、早起きしてブログ更新で元気もらっているから、「三文の徳」をもらっている。

幕ノ内に「初蕎麦」を食べたいと思い、福井「松岡町」の行きつけの蕎麦屋「けんぞう蕎麦」へ友人と行った。いつもながらの「五合」というメニューを注文する。蕎麦好きの二人には、腹いっぱいになる人気メニューでもある。越前蕎麦といえば、「おろし蕎麦」。五つに小盛りされた茹でソバがザルに載せられてくる。出し汁に大根おろしが入ったドンブリに、キザミねぎと削りかつおが大盛りの小鉢にセットされる。そして、蕎麦湯セット。各人の好みの薬味を入れて食べる。

▼蕎麦の食べ方を紹介するのではないが、以前蕎麦屋で修行したことがあったから、つくり手側から「つぶやき」たい。

▼「蕎麦好き」は、食べ歩きをする。初めての土地を訪れたら、その地にある伝統食を食するのは旅の楽しみでもある。今では蕎麦は全国各地で食べられるが、昔からの伝統地域は、都会より田舎にある。それも、山間部に多い。稲作が出来ないところの主食であった「蕎麦」だからでもある。

▼いつ行っても、地元で栽培した蕎麦が食べられるところは、数少ない。一年中通して、供給できる生産量には限りがある。不足分は輸入蕎麦で補われている。世界中の山間部で蕎麦は生産されている。収穫時期も南北半球で間逆だから、南半球のオーストラリア産は、日本の不足時期には便利である。

▼「蕎麦の風味」を食する人も多いだろうが、出汁や薬味で食べることが大半だから、生産地が何処だろうと余り関係がない。地元産の蕎麦の仕入れと、外国産とでは格差が大きい。地元産は数倍高値になる。

▼一番のアドバイスは。「うまい蕎麦屋を知りませんか」の問いは、間違っている。それぞれの蕎麦屋の味や作り方は、みな違う「オリジナル食品」だから。「あそこの蕎麦は、わたしの好みでうまかった」と言うべきである。

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