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「私25年待ちました」を、掲げるカープファンのプラカードが見えた。「私は41年前の初優勝を応援していた」を告白する。北陸のファンは、阪神や巨人ファンが多い。そんな中でカープびいきだと宣言すると、肩身の狭い思いをしていた。途中から監督を引き継いだ古葉監督の下で、山本浩二や衣笠祥雄の赤ヘル軍団が旋風を巻き起こした。

▼4年後、2度目の日本一になった時は、若手の高橋慶彦が頑張っていた。そんな慶彦のファンだった広島の女性と知り合ったのがご縁だった。1979年、入社間もない会社の慰安旅行は「鳥取砂丘」だった。宿泊地は米子の「皆生温泉」。宴会が終わったころ、館内で同じく慰安旅行の女性グループと出会った。

▼互いに「どこから?」の会話で、広島市からだと知った。当時、快進撃を続けるカープのファンだと告げると、いっぺんに仲良くなった。旅先で知り合った若者同士は、別れ際に住所交換をしていた。その後、5、6通の手紙をやり取りした「ペンフレンド」になった。

▼2016年9月102142分。敵地での巨人戦を逆転で制し、7度目のリーグ優勝。大リーグでも活躍した黒田選手が、古巣に戻ってきての恩返し優勝だ。ベテランの新井選手も戻ってきた。

▼球団創立25年目の初優勝以来、25年前の山本監督のカープが6度目の優勝だった。長かったが今年は7度目のリーグ優勝ができた。やったね!カープ。そして、その後ペンフレンドとは無縁になっているが、元気でいるなら彼女にも「おめでとう」と祝電を打ちたい気持ちである。

▼9月3日に、大聖寺で第3回「赤瓦の里セミナー」が盛大に開催された。昨年に続いて今回も東広島市から参加された「実森建設」社長夫妻も、熱烈なカープの地元ファンで、町興しに活躍中である。「赤瓦の里」のイメージカラーでもある「赤色」のカープのタオルを振りながら、宴会での自己紹介をしていた。「おめでとう。よかった」と、共にカープファンとして、喜びを分かち合いたい。

コメント

コメント一覧 (1)

    • 1. 実森尊信
    • 2016年09月12日 18:12
    • カープファンだったのですね!
      記事にして頂きありがとうざいます。こちら広島では、カープの話題ばかりです。
      個人的に感じることは、優勝してもセール等以外はそれほど自分にとってメリットはありませんが、それでもみんなで一丸となり応援し続け共有の想いでいられることが、なによりもうれしいです。
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