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きのうは、梅雨明けも間近い「海の日」。国民の祝日にはわが家にも「国旗」を揚げようと、新しく「日の丸」を買い求めたが、戦中生まれには、「海の日」の国旗掲揚には少し違和感がある。たしかに、子どもの頃からあった「文化の日」や「勤労感謝の日」に「春分・秋分の日」などの、戦後からあったものには、厳粛な気持ちで国旗掲揚してきたためかもしれない。だが、国民の休日を増やすために、付け足したようで変な気持ちの「祝日」だった。

▼日本列島は、海に囲まれていて、海から数え切れない恩恵を受けている。そのために、感謝する日なのかも知れない。ふと、海に面していない地区が47都道府県にもあったはずだ。と、日本地図を頭で描きながら指を折って数えたら8県もあった。海のない県での「海の日」は、どう意識しているのかと、余分なことまで心配した。

▼海のない県民性と潮風の影響を受けている地域住民との、違いはあるのだろうかと考えてみた。一番に海からの幸では、新鮮な魚介類が子どものころから味わっている。だから、泥臭い匂いのする川魚を嫌う人も身近にいる。今月末の「土用の丑の日」のウナギのかば焼きには、当方も高値だけの川魚だと敬遠するひとりでもある。

▼海のない地域に住んだことがないから、比較にはならないが、特に日本海に面した当地の自慢は、山から昇る「希望」の朝日を見て、海に沈む「感謝」の夕日が見られる。なにげない日常の晴れた日の、海に沈む夕日の景色に感動を覚えて来た。

▼子どもの頃から聞きなれた「西方浄土」の世界。今から550年前に、北陸布教の拠点を吉崎に決めた「蓮如」も、京都から来て初めて眺めたのは、7月の夕日だったかもしれない。人に輝きの感動を与えながら海に沈む夕日のように、往けたらいいなと「海の日」に思った。

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