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大聖寺駅で客待ちしているタクシー運転手に聞いたら、業績は昨年より倍になったという。この業績は、何を意味するか。北陸新幹線開通の影響がだと言わざるを得ない。多くの観光客は、金沢を観光してから加賀温泉に来る人は、温泉駅から旅館が差し向けるバスに乗って旅館に行く。

▼しかし、温泉駅を通過して大聖寺駅に降りる人が、昨年より倍になったタクシーの売り上げに表れている。その事は、新幹線開通前から大聖寺駅前でオープンしている「大聖寺観光案内所」の、ボランティア活動日誌が証明している。

▼新幹線開業後に案内所を訪れた観光客の出発地が、関東圏はもとより、全国から。そして、海外組が金沢に来て、第二の目的地の大聖寺駅で降りて、「九谷焼美術館」を訪れている。

▼先日の日曜日。秋田県から来た若い夫婦と九州からの中年の夫婦連れが、案内所で偶然に一緒になって、美術館以外の見どころ場所は何処かと聞かれた。どちらも来聖目的は「九谷焼」。若い二人の第2目的は「うさぎの里」だけで、初めて大聖寺駅を降りた。

▼加賀百万石の金沢城の「兼六園」は、メジャーな観光地。もちろん、支藩の十万石大聖寺藩のことなど知るよしもない。戦災、震災にも遭わず江戸期からの城下町。町割りや町名も昔のままで、迷路のような城下町独特の雰囲気のある町が、映画セットのように残っている。

▼俳句の門外漢でも知っている「松尾芭蕉」の「奥の細道」は、誰もが知る江戸時代に旅をしながら詠んだ俳句紀行。江戸を出発して、東北を巡って新潟から日本海沿いを歩き、大垣が到着地だったことはあまり知られていない。

▼加賀路に来て山中温泉に長く逗留し、金沢と往復したことや、従者の「河合曾良」との別れた「全昌寺」のことを知っている人は意外と少ない。そして、全昌寺の「五百羅漢像」のことも。「日本百名山」のことを知っていても、著者「深田久弥」の生誕地であることも、説明して分かるお勧めの場所である。もちろん、「百姓の持ちたる国」が、百年もあったことなど若い年齢層には隠れた、ご土地の歴史である。

▼予備知識の少ない旅人に接すると、案内所の担当当番は、訪問客の訪地目的を尋ね、その内容によってご本人の歴史視野を判断する。そして、スケジュールに合わせたポイントだけを勧めるようにしている。

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