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「きぜわしい」という言葉が浮かんだ。辞書を見ると「年の暮れは・・・」に使う言葉だという。だが、年度替わりの3月末の人事異動時期から、4月になっての新旧交代時期にもそれを感じる。縁あって、公共施設での清掃員として勤務して6年目を迎えた。外野的視線で間接的に「気ぜわしさ」を感じる今日この頃である。

▼顔見知りの定年退職者が、身なりを整えて各部署に別れの挨拶に出入りする姿を目にする。そして、新しい社会人になった若者が、目新しいスーツ姿で通路を行き来する。見慣れた光景であるが、今年は特に意識して感じてしまった。

▼「人生は出会いと別れである」。そんな繰り返しを重ねて半世紀。「達観の人生」と豪語してきたが、年々老いを感じるようになって「もうろく」したのか、「春の陽気」で、次の行き場所がないとことへの、「うらめしい」気持ちがそう思わせたのかもしれない。やっぱり、春は幾つになっても「ウキウキ」するものだ。

▼十年ほど前に、著名な小説家が「定年後の人生は、余禄の人生である」とラジオ番組でしゃべっていた。それを聞いて大きく感銘を受けて、今日まで来た。健康が一番の「宝物」だと自負して、元気に働けることへの感謝と、「一生懸命、今日を生きる」ことを毎日意識してきた。そして、「自分が楽しめることは、相手にも喜んでもらう」。

▼3月いっぱいで旧式のテレビが受信できなくなった。「デジタル方式」だというが、わが家は「ケーブルテレビ」。従来の一方的な受信から、交互にやり取りができる方式になったというが、よく分からない。そんなテレビの横で、満開に咲く枝サクラを眺めている。生活周辺機器はどんどん進化しているが、わたしもサクラもむかしのまんまである。

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