[フレーム]

感じたまま

日々感じたこと。 外歩きや、見学をしたことを記録しています。

2023年03月

老人はなぜすぐ怒るのか。

先日雑談の中で友人が

「何かに怒って居る人ッテサ〜〜大概オジンだよね〜」と

言ってました。

なぜ老人、特にジジイは怒りっぽいのか?

考えてみた。

まず私は(後期高齢者)老人です。

そして精神的な問題についてはを研究したこともなければ、
聞いたこともない全くの素人です。

かなり前の話ですが散策会を行ったとき

「バスの降り場所をきちんと説明がない」と

怒り狂って喚き散らしている参加者の老人(70歳代くらいか)がいた。

同行者がしきりに宥めていたが、なかなか収まらなかった。

後でよく見ると穏やかな感じの方でそういうことで

怒る雰囲気の人ではないように見えた。

もしかしたら出がけに奥様と大喧嘩したのか。

はたまた集合場所に来るとき何か嫌な思いをしたのか。

この方も現役の頃には奥さんと大喧嘩して家を出てきても
出社すれば何食わぬ顔で仕事に掛かったと思う(私もそうだったから)

今や私も後期高齢者になり、なぜ高齢者が不機嫌に

なるのか分かるようになってきました。


先ず

私たちはこれまで長い時間を生きてきて、

たくさんの嫌なことを我慢してきました。

しかし、ほとんどの老人は子供と同じになり
もはや忍耐力がなくなっています。


さらに歳を取るにしたがって体のアッチ、コッチに不調が出てきます。

私は昨年三回入院、一回手術をしました。


体のあちら、こちらが痛みが続く現実に

穏やかさを保てず、いらいらし
年中あっちが痛いコッチが悪いと医者通いです


私は80歳ですが、ハイキングクラブ主催の
週一回、2,3時間程度の散策なら
可能なほどそこそこ健康です。


とは言え家内は腰痛持ちで、年中医者に掛かっています。

またこれも言いたくなりますが「医者が老人には冷たい」のです
言い出せばきりがないですが、診断はいつも「お歳ですから」と

此れも腹が立つ原因の一つです。


我が家は二階家ですが、何時のころからか家内は洗濯物を

干しにいくのに、二階まで持っていく事が出来なくなりました。
私が洗濯籠を持って行くように成ってしまいました。


今は自分たちで何とか動けるので自立した生活をおくっていますが、

この先何年自活できるのか自信はありません、時間の問題でしょう。


また認知機能がうんと落ちています。

置き忘れた物、探し物の連続です。
約束したこと、頼まれたこと 等々忘れることは毎日のようです。


また、仕方がないのですが、

大事な人を亡くして行きます、夢の中で会うくらいです。

特に親しい友人との別れが一番悲しいことです。


先日も友人と話しましたが私のこの近所の趣味の親しい仲間5人が、
よく、近所のレストランなどで世間話等をしていましたが
今は私ともう一人だけ、二人になりました。

本当にさみしいですよ。

こういった様々な出来事が重なると、毎日が悲しみに

包み込まれた状態になってきます。

こういう様々なことを忘れていても
心の底に澱となってよどんでいます。
そこに
自分たちが望むようなやり方で接してくれない人
が出てくると一気に
怒りを感じるようになりのです。
勿論そのことをいいこととは思って居ませんが。

でも、前向きに考え元気に明るく振舞っています。

そして新しいネットワークを作るべく頑張っています。


自らの気分をコントロールしようと試みています。

そこには「信頼とか思いやりとか」も絡んできますが
その話はまた後に譲って。

私は

たまに自分が他人が対して乱暴な態度を取っていると
(なかなか気が付きにくいが)感じると、
「人には優しくしてあげよう、大事にしてあげよう」と

思うことにしています。


ぴたりと、できるかどうかはわかりませんが。

友人達も私と同じように歳を取っているのですから
同じ悲しい気持ちに成っているはずだと思います。

若い人たちへ

「老人がなぜすぐ怒るのかか」様々な理由があります。

だからと言って機嫌を悪くして、周りに八つ当たりして
いいとは思いませんが。

少しでもわかっていただければ嬉しいです。


人は理解しあわなければ未来はありません。


写真は
近所の公園に散歩に行き見ました。
桃の花でしょうか。
こういう花を見ると穏やかな気持ちになりますね。

IMG_0688

IMG_0691



狩川の春木経(ハルキミチ)・幸せ道6/6

最後の回です。


狩川の幸せ道を歩きます。

此処の春めき桜は、南足柄市内の農家などで彼岸の頃に咲いていた桜の枝から育成し、
平成12(2000)3月に品種登録された、
比較的新しい桜です。
カンヒザクラとシナミザクラの交雑種の一つとされており、
足柄桜と呼ばれたこともある。

P3190118

朝渡った神崎橋が見えてきました。
この橋を渡り、右岸に出ます。
P3190120

名残の椿。
P3190121

橋の上から上流側をみました。。
P3190123

右岸も同じハルキミチです。
P3190124

水神様です。
P3190128

この付近も水害がとても多かったそうです。
村人が村を守ってくれるようにお祭りしました。

何代目かの現在の水神様は、明治四拾一年五月建立と記されている。
その後のたび重なる水害や、戦後のアイオン台風にも耐えても中沼の除災平安と
これからの地域の発展を見守っている。

P3190129

南足柄市名誉市民であり、富士フイルム株式会社の創立者である春木榮が
尽くされたご偉業を偲び、永く後世に伝えるため、この創業の地に101本の
春めき桜(旧、足柄桜)を植栽し、多くの人々の憩の場とし、
この地を「春木径」と名付けされた。

P3190130

富士フイルムの工場でしょうか、大掛かりに解体されていました。
金属片が沢山出ていますね。
P3190137

桜を堪能し、再び大河原橋を渡りまっすぐ進むと
電車の駅に出ます。
P3190141

此処で解散しました。
P3190142

在れこの駅、スイカが使えないの。
P3190143

切符を買いました。
結局、ホームの入口にスイカのゲートがありました。
P3190144

古い鉄道のレールを使った駅舎。
何時出来たのかな。
調べると1956年(昭和31年)813日:開業しています。

P3190145


狩川の春木経(ハルキミチ)・幸せ道おわります。
友人の皆様、お世話に成りました。


狩川の春木経(ハルキミチ)・幸せ道5/6

着きました。
南足柄神社。
P3190073

創建は不詳だが、最乗寺が創建された年(1394年)には既に存在していたとされる。

江戸時代までは「飯澤八幡/飯澤大明神」などと称されて来たが、
873年(明治6年)7月に「飯澤神社」と改め、1910年(明治43年)515日、
南足柄村の村内にあった11社と3神合祀して「南足柄神社」と改称、村社に指定された。

P3190075

祭神

誉田別命 ( ほむだわけのみこと )

大日・命 ( おおひるめのみこと )

少名彦命 ( すくなひこなのみこと )

速玉男命 ( はやたまおのみこと )

保食命 ( うけもちのみこと )

大山祇命 ( おおやまつみのみこと )

市杵島姫命 ( いちきしまひめのみこと )

手力雄命 ( たじからおのみこと )

天之御中主命 ( あめのみなかぬしのみこと )

事代主命 ( ことしろぬしのみこと )

白山比売命 ( しらやまひめのみこと )

素盞嗚命 ( すさのおのみこと )

南足柄村の村内にあった11社と3神合祀したために凄いことに成っていますね。


P3190076

神楽殿。
P3190077

大木の下に小さな神社が・・何か面白く見えました。
P3190081

サカキの花がありました。
今回の散策は時期がよかったせいか様々な花が見られました。
P3190084ヒサカキ

神社を後にして狩川に向かいます。
御用達を自慢しているように見えました。
P3190085

狩川に着きました。
P3190086

橋の上から下流方向を見ました。
P3190087

だいゆうはし。
P3190088

川に沿って右岸の土手を歩きました。
P3190094

少し進むとこの橋に着きました。
P3190097

この付近の地図。
左に和田河原駅、斜め下に神崎橋が見えます。
先の話になりますが、最後は「富士フイルム前駅」で解散になりました。
スクリーンショット 2023年03月26日 224555

大泉河原橋を渡り左岸に出ます。
ここからが桜並木になっています。
P3190103

こんな表示もあります。
P3190107

ただただ感動の連続。
P3190108

来てよかったね。
P3190109

車、進入禁止の札。
金太郎になっています。
P3190115_front

振り返ると「矢倉岳」が見えます。
うまくいくと矢倉岳に左に富士山が見える筈ですが、花曇りで見えませんでした。
P3190117

狩川の春木経(ハルキミチ)・幸せ道5/6回目終わります。



狩川の春木経(ハルキミチ)・幸せ道4/6


極楽寺続きます。

本堂付近から見た庫裏。
P3190056

十一面観音。
1987
9月、檀信徒により寄進されました。
十一面観世音菩薩は頭上に11の顔を持ち、全方向を見守っています。
現世での10の利益(十種勝利)と来世での4の果報(四種功徳)を
もたらすといわれています。

P3190057

極楽寺を後の先に進みます。
途中で見た木蓮の大木、見事な木ですね。


P3190060モクレンの大木

また出てきました。
シベリア雪ノ下。
P3190061シベリア雪ノ下

梅の枝先にかわいい梅の実がついていました。
写真ではわかり難いでしょうが10mmくらいの大きさでした
P3190062

シキミの花です。
私は、ほとんど見たことがありません。
P3190064シキミ

そうきつくはありませんでしたが、長い長い登坂でした。
P3190066

この花は何の花でしょうか。
梅はもう終わりですし桜では無い様ですし・・
桃の花かな。
P3190070花桃

此処からも大野山がよく見えました。
P3190071

此の湧水にはいきません。
P3190072

狩川の春木経(ハルキミチ)・幸せ道4/6回目終わります。

狩川の春木経(ハルキミチ)・幸せ道3/6


中沼薬師堂を過ぎ極楽寺に着きました。
P3190037

山門。
P3190038

由緒書き。
此れだけ立派なお寺がこれではがっかりします。
いつも感じるのだが、もう少し綺麗にしておいてほしいね。

上関山極楽寺。
鎌倉円覚寺を本山とする臨済宗円覚寺派の禅寺です。
1344年開創。
開山(寺を開創した僧侶)は仏満禅師大喜法祈大和尚、
開基(寺の創建に尽力した資主)はその弟、今川範国です。

P3190039

「三界万霊」と彫られた石碑は、3つの世界に宿るすべての霊を
供養するために建てられたものです。
三界とは欲界(食欲、物欲、性欲の世界)、色界(物質の世界)、
無色界(欲も物もない世界)の3つの世界を表します。

P3190040

参道の突き当りにある石段の手前左には、六地蔵菩薩像が2組、前後で並んでいます。
人は死後に六道という6つの世界のいずれかに生まれ変わるとされています。
六道とは地獄道(生前の罪により罰を受ける世界)、餓鬼道(飢えと渇きの世界)、
畜生道(人以外の動物の世界)、修羅道(憎しみと争いの世界)人間道(人の世界)、
天道(人を超えた存在であるが、まだなお悟りに達しない天人の世界)の6つです。
それぞれの世界で地蔵菩薩は人々を救済するといわれています。

P3190059

本堂です。

開創時のことは不明。天正時代(1573年〜1593年)に松田尾張守憲秀により復興。
その後、幾度かの火災や地震に見舞われ、1926年、現在の本堂が建立されました。
1926年の出来事。

P3190041

ご本尊の釈迦如来。
1717年、鎌倉の仏師、後藤政義により造立。
極楽寺の本尊は釈迦如来坐像です。
釈迦如来とは仏教の開祖である釈迦を仏として敬う呼び名です。
釈迦は古代インドにあった小国の王子で妻と子もいた実在の人物です。
釈迦如来坐像はその釈迦が悟りを得た姿を表しています。

P3190048

天神堂。

堂内には古くから極楽寺に現存する菅原道真の小さな木像が祀られています。
学問、書、詩文にすぐれた菅原道真は天神様という学問の神として崇められています。
合格祈願、学業成就にご利益があるお堂です。

P3190042

鐘楼には、高名な鋳物師 鵜塚太郎左衛門吉辰により鋳造された
梵鐘(全長約124cm、直径約70cm、厚さ約7cm、重さ約300kg
1698224日鋳造)が掛けられていました。
しかし太平洋戦争下に金属類回収令を受け、この鐘は回収されてしまいました。
その後、195648日、檀徒一同と富士フィルム株式会により
現在の梵鐘が取り付けられました。
この鐘の側面には、当時の住職、第22世無禅貫一による説明文
(この梵鐘が寄進されるに至った背景)が刻まれています。
また現在の鐘楼は、19567月に再建されたものです。
4本の﨔柱には各方位に合わせて、東西南北の四方を守る四神
(東は青竜、西は白虎、南は朱雀、北は玄武)の精巧な彫刻が施されています。

P3190043

ミズキの花。
P3190044ミズキ



P3190045



今、ボケの花が満開でした
P3190049


P3190050ボケの花

ハクモクレンも満開でした。
P3190052モクレン

本堂前のミズキの花。
何度も貼ってすいません。
P3190055本堂前とミズキ

狩川の春木経(ハルキミチ)・幸せ道3/6回目終わります。


狩川の春木経(ハルキミチ)・幸せ道2/6


富士日イルム工場を横に見ながら歩きます。

P3190019

ホトケノザでしょうか。
P3190020ホトケノザ、ヒメオドリコソウ

おや、神社らしきものが見えてきました。
P3190022

手水鉢、水が流れていませんね。
此処で小休止。
P3190024

中沼薬師堂。

中沼薬師堂は、寛弘8年(1011年)に創建、東光山小泉寺と号していたと伝えられ、
本尊の薬師如来像、脇侍の日光菩薩像は平安時代中期〜末期の作と推定されています。
江戸期には一寺をなしておらず、薬師堂と記載され、玉傳寺の管理下にありました。
現在は中沼自治会が管理しています。

P3190026

本堂内は二重に仕切られていて薬師如来像は全く拝めません。
勘ぐると、防犯のためにここのは置いて無いのかも知れません。
P3190030

P3190029


P3190027

大きいです
樹齢200年ぐらいと書いてあります。
P3190028

様々な石碑がありますが、由来が全くわかりません。
P3190031

境内付近には
花が沢山咲いていました。
開いていますがクローバーの花だと思います。
P3190033クローバー

ヒメオドリコソウかな。
P3190035ヒメオドリコソウ

ヒマラヤ雪ノ下だと思いますが。
綺麗な花ですね。
P3190036ヒマラヤ雪の下


狩川の春木経(ハルキミチ)・幸せ道2/6回目終わります。


狩川の春木経(ハルキミチ)・幸せ道1/6

此の散策は2023年3月08日 土曜日に行ったものです。

リーダーが配ってくれた地図です。
地図右の、和田河原駅〜狩野川を渡り〜フジフイルム前を通り〜中沼薬師〜
地図左に進み極楽寺〜富士フイルム駅方向に進み
狩野川堤防の幸せ道を桜を見ながら歩き〜朝渡った神崎橋をまた渡り狩野川の
右岸に出て堤防の桜を見ながら進み、また狩野川を渡り〜富士フイルム駅に出ました。
P3190010

小田原駅の改札前。
小田原に来たのは何年ぶりかな〜〜。
P3190001

駅ビルになったのは何時だったかな。
何もかもが立派になっていきますね。
ちなみにこの駅の発車メロディーは「お猿の籠屋」です。
P3190002

此処から箱根大雄山鉄道に乗り換えます。
P3190003

誰も居ね〜〜〜。
P3190005

和田河原駅はここです。
[画像:スクリーンショット 2023年03月22日 172659]

なんという立派な駅、建物はマンションです。
左側に小さく「和田河原駅」と見えるのが駅入口です。
P3190008

警察官連絡所。
「暫金時」ってなんでだろうと思ってググってみたら・・
歌舞伎の「暫」と「金時」を合わせてつけた名前の防犯組織のようでした。
金時とはここに出てます。
P3190006

マンホールの蓋。
P3190011

歩き出すとすぐに狩川の岸に出ました。
P3190012

鉄道橋のような立派な橋です。
P3190014

橋の名前にひらがなと漢字が使われている理由が初めて分かった。
世間には博識の方がいるものですね。


橋の名前が書いてある「橋名板」は、道路の起点側(入口)から見て
左側には漢字表記で、終点側(出口)にはひらがな表記になって
いることが一般的(地域によって差がある)。
ちなみに大正時代、すべての道路の起点は東京・日本橋。
日本橋に近い方を起点、遠い方を終点と呼んだ。
と、説明されているが必ずしもそうでないような気がします。

P3190013

橋の上から見えました。
白っぽい地肌の山が大野山です。
白っぽく見えるのは牧場です。
初心者向けのとてもいい山です、一回は登ってみてください。
P3190015

フジフイルム社、前を通ります。
P3190016

狩川の春木経(ハルキミチ)・幸せ道1/6回目終わります。


以前からどうも気分が悪いと思っていた事。

うまいことやっているなと思って居ました。


インクジェットプリンタとインクビジネスですのことです。
私が使っているエプソンEP882AWですが
量販店で買えば2万円くらいで買えます。
紙が2種類セットできて、WiFiに繋げられ、印刷するときにはトレイが

オートローディングして出てくるなんて

2万円くらいで売れるわけがない。

絶対に2万円くらいとかでは作ることができないはずのプリンタを販売し、
買ってもらったら最後、高額なインクを売りつけて儲ける。

インク全色を純正で買えば6000円くらいしますからね。

年賀状50枚印刷するのに幾らかかるのだろう。

計算したことはないけど。

マー私のようにあまり印刷しない者には大した問題ではないけど。
友人の中にはプリンターで印刷しないで
印刷屋さんお頼んでいる方もいます。


イワカガミの花

P3290710 (2)

名栗川沿いの散策6/6回目 最後です。

能仁寺を参拝して中央広場で解散となりました。

飯能駅に向かいます。
P3050762

飯能恵比須大神というのがありました。
社は見えませんでした。
通り過ぎました。
P3050763

此の写真はEWBからお借りしました。
スクリーンショット 2023年03月15日 085844

こんな表示がありました。
森を守ろうとしている姿勢がいいね。
P3050765_front

こんな感じの森です。
P3050766

こういう雰囲気の良い道を駅に向かって歩きました。
P3050767

なぜか墓場にいきなり出てきました。
この後で分かったのですが、我々はお寺の墓の中を歩いてきたのです。
「仏さまは、みていますよって」
P3050768

此のお寺の正面に出ました。
P3050773

此処からは商店街の中を歩きました。
時期がよく、古いお店は店先にお雛様を飾っていた店が沢山ありました。
この店も見事な吊るし雛ですね。
P3050779

人通りは少ないです。
P3050782

こんな笹がありました。
葉の大きさが普段よく見る「隈笹」の半分ほどのでした。
調べてみるとどうも「飯能笹」らしい。
此処の出ています。
P3050784

今使っているカメラは「偏向レンズ」が
ないのでガラスの映り込みを消せません。
見にくいですがお許しを。
P3050785

何処の古い店は「我が家のものはこんなに綺麗だぞ」と競って見せていました。
P3050786

こういう看板を見たら、好きな方は通り過ぎできませんね。
私は甘酒を買いました、重かったが買ってよかったです。
P3050789

ということで出発地の飯能駅に着きました。
来た時と同じように、元町中華街行、直通電車で武蔵小杉に出て帰りました。
P3050790

名栗川沿いの散策を終わります。
珍しいところに連れて行って下さりありがとうございました。
同行の友人の皆様本当にお世話に成りました。
ありがとう。。


名栗川沿いの散策5/6

能仁寺続きます。


境内です。
左から本堂、
開山堂、当寺開山の斧屋文辰大和尚の座像を祭ってあります、
不動堂、開山厄除け青不動明王を祀ってあります。
P3050744

鐘楼。
人間国宝の香取正彦氏鋳造。
広島の平和の鐘を作ったの此の人ですね
P3050745

大書院。
総ヒノキ作りですって。
P3050746

これは何でしょう?
周りにいる博識そうな方に聞いてもう〜〜んでした。
P3050747

本道の前に左右一対あります。
P3050748

本堂。

本尊は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)。

史実の人物としてのゴータマ・シッダールタを超えた宇宙仏(法身仏)。
宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏。
と言われても教養がないからさっぱりわかりません。

P3050749

内陣
真ん中の黄金に輝いているのがご本尊。
P3050751

境内前に鬼瓦がありました。
本堂を立て替えた時のものでしょうか。
P3050752

飯能戦争の説明版。
P3050754_front

ここで一休みしました。
もう疲れたね。
P3050755

本堂の再建記念碑
昭和29年に再建されています。
P3050756


名栗川沿いの散策5/6回目終わります。

このページのトップヘ

traq

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /