[フレーム]

感じたまま

日々感じたこと。 外歩きや、見学をしたことを記録しています。

2015年06月

表題のまち歩きに行ってきました。

文学散歩、この様なテーマでは、ほとんどの場所が
「かって此処に在りました」と言うところを見て歩くために
おいおい、それって本当ですか、等と言う話もあるが
それはそれで良しとする、感覚で歩いてきました。

写真は三回に分けて張ります。
これで二回目になります。

[画像:RP6219448]


日本橋を三越側にわたると「魚河岸跡」があります。
日本橋川沿いの魚河岸は、近海諸地方から鮮魚を
満載した船が数多く集まり、江戸っ子たちの威勢の
良い取引が飛び交う魚市が建ち並んだ中心的な場所で、
一日に千両の取引があるともいわれ、
江戸で最も活気のある場所のひとつでした。

この魚河岸は、大正12年(1923年)の関東大震災後に現在の築地に移り、
東京都中央卸売市場へと発展しました
RP6219301魚河岸跡地



三浦按針屋敷跡。
オランダ東印度会社東洋派遣隊の航海士であった
英人ウイリアム・アダムスは、慶長5年(1600年)
暴風のため大分県の佐志生に漂着しました。

のち、家康の通商顧問になり、日英貿易の発展に貢献しました。
現在、室町1丁目地内にある按針居住の地は、
昭和5年6月、東京府史跡の指定を受け、
同7月、地元有志の手で記念碑が建てられましたが、
戦災で破壊され、昭和26年5月に現在の記念碑が建てられました。

なお、横須賀に「按針塚」というところがあります。

RP6219302三浦按針屋敷跡
戸時代にはここに魚河岸があり、大変なにぎわいを見せていたそうです。大正12年(1923年)関東大震災をきっかけに築地に江戸時代に


弁松総本店

文化7年(1810年)、越後生まれの樋口与一と
いう男が日本橋の魚河岸に「樋口屋」という食事処を開きました。
盛りのよさが評判で繁盛していましたが、
時間のない魚河岸の人たちは、せっかく
食事が出てきても全部食べ切る前に席を立たねばなりませんでした。

そこで、残った料理を経木(きょうぎ)や竹の皮に
包んでお持ち帰りいただいたところ大好評で、
持ち帰り用を所望するお客様が増えていきました。
これが、弁松の折詰弁当の始まりなのです。

二代目竹次郎の時代には、最初から竹皮で包んだ
弁当を販売するようになり、三代目松次郎のとき、
食事処から日本で最初の折詰料理専門店に変わりました。


歌舞伎座前の高級弁当屋は「木挽町辨松」はこの店舗とは違います。舞伎座の河岸があり、大変なにぎわいを見せてうです。大正12年(1923年)関東大震災をきっかけに築地に移り、現卸売市場へRP6219303弁松弁当や
と発展しました。


芭蕉句碑。
老舗の佃煮屋「日本橋 鮒佐」の店先に松尾芭蕉の句碑が建てられています。
ここは江戸時代小田原町と呼ばれていて、1672年(寛文12年)29歳の松尾芭蕉が、故郷である伊賀上野から江戸へとやってきて8年間住んだ場所です。

松尾芭蕉は当時「桃青」と称していて、日本橋魚市場に近い繁華街小田原町に住み俳壇での地位を固め、1678年(延宝6年)に俳諧宗匠として独立しました。句碑にある「発句也松尾桃青宿の春」とは、その翌年の正月に宗匠としての迎春の心意気を詠み上げたものです

RP6219311鮒佐

RP6219308芭蕉の句碑

RP6219309


日本橋三越。
RP6219314三越



三井本館。
東京都 中央区日本橋室町にある、三井不動産保有のオフィスビルである。
越後の跡地にある。
現在の建物は1902年(明治35年)に竣工した旧三井本館が
関東大震災で被災したために建替えられたもの
1929年(昭和4年)3月23日に竣工。
RP6219313三井ビル


確かに昔の錦絵を見ると越後屋は真ん中の駿河通りを挟んで
道の両脇に店舗を構えていことがわかる。

当時、方向を決める基準は江戸城の天守閣と富士山を目印にしたといいます。
RP6219315真ん中は駿河通り


三井本館のほぼ向かい側に「木屋」があります。

東京都中央区日本橋室町にある刃物など金物を製造販売する企業。
江戸時代中期創業の老舗で、「刃物の木屋」として知られる。
主力商品は包丁だが、各種鋏・爪切りなど刃物や鍋など金物全般も扱う。

現社長加藤欣也は創業者初代加藤伊助より数えて9代目。

本家木屋の創業者は初代林九兵衛である。
天正元年(1573年)大坂に薬種商を開き、
豊臣秀吉の御用を務めたが、大阪夏の陣後
弟九兵衛が徳川家康の招聘により江戸に下り、
林家が二都に分かれたため、「林」の字を分解して「木屋」と号した。

RP6219316木屋

木屋の店頭。
RP6219318金物



木屋から「浮世小路」へ進みます。
この場合は「ウキヨショウジ」と読みます。

日本橋大通りの室町三丁目から東に入る奥行二〇間ほどの
小路であり、突き当たりは伊勢町堀からの堀留で、
江戸中期以降には塩河岸(北側)に有名な料理屋
「百川楼」がありました。

浮世小路を加賀言葉で「うきよしょうじ」とも読むのは、
古くは加賀出身者が住んでいたことに由来します。
左に見える鳥居は「福徳稲荷の鳥居です。
RP6219321浮世小路


RP6219322福徳神社


福徳稲荷。

福徳神社の創建年代は不詳ながら、貞観年間(清和夫皇・八五九年〜八七六年)
には鎮座していたといい、福徳村と称されていた村の村名から
社名を福徳神社と称したといい、源義家・太田道灌など武将
からの尊崇も篤く、徳川家康・秀忠も参詣に訪れたとい
RP6219327


小津和紙店
伊勢出身の小津清左衛門長弘による1653年創業。
この創業地(当時の江戸の大伝馬町)が2013年現在の本社所在地である。
和紙店舗、小津史料館、小津ギャラリー、小津文化教室の4部門で構成。
和紙店舗は版画・日本画・油絵・書道・押花・インクジェット・
インテリア・その他工芸向けの和紙類から和小物類まで取り揃えている。
RP6219338小津和紙店

表題のまち歩きに行ってきました。

文学散歩、この様なテーマではほとんどの場所が
「かって此処に在りました」と言うところを見て歩くために
おいおい、それって本当ですか、等と言う話もあるが
それはそれで良しとする、感覚で歩いてきました。

写真は三回に分けて張ります。


本日の散策ルート。
[画像:RP6219448]


本日の散策出発点地下鉄「日本橋」です。

東京メトロの銀座線と東西線、都営地下鉄の浅草線の、
合計3路線が乗り入れている。

東京メトロでは「高島屋前」という併称を持つ。
なお、1932年の開業から1955年までは「白木屋・高島屋前」、
そして白木屋から東急百貨店日本橋店に名称変更して
1999年に閉店するまでの間は「東急百貨店・高島屋前」と案内されていた

RP6219268


ふと前方を見たら右側のビルの壁面に人が・・・RP6219264


よく見たらビルのガラスを外側を清掃している人でした。
ロープ一本を頼りに清掃していますが
こういうやり方ってすごいと思いませんか。
RP6219266


さーこれから歩き始めます。
最初の場所は「宵町草の歌碑」

竹久夢二(1884〜1934)は、大正3年(1914)この地に
「港屋絵草紙店」を開き、夢二のデザインによる版画、
封筒、カード、絵葉書、手拭、半襟などを売った。
RP6219269梅にの店後


一石橋。
一石橋(いちこくばし、いっこくばし)は、東京都中央区にて日本橋川に架かる橋。


北橋詰の本両替町に幕府金座御用 の後藤庄三郎、
南橋詰の呉服町に御用呉服商の後藤縫殿助の屋敷があり、
当時の橋が破損した際に、これらの両後藤の援助により再建された。
そのため後藤の読みから「五斗」、「五斗+五斗で一石」と
もじった洒落から一石橋と名付けられたと伝わる。
またそのまま「後藤橋」とも呼ばれていた。
江戸期を通して神田地区と日本橋地区を結ぶ重要な橋
RP6219270一石橋


花柳章太郎が板絵 お千世の図額を奉納した地蔵尊。
花柳章太郎は、戦前、戦後の新派を代表する女形役者で、
文化功労者となっている。

当時まだ無名であった花柳章太郎が日本橋の花街を
舞台とした日本芸者物語のお千代役を熱望、
西河岸地蔵堂に祈願し起用された。
このお千代役が出世作となった。

RP6219273延命地蔵


中にかかっている額。

RP6219274



願掛けの絵馬。
RP6219275


新河岸橋。
かっての日本橋河岸の西側に位置することからついた名前。
江戸時代は白亜の土蔵が並び諸国の物産が船だ運ばれ陸揚げされにぎわった。
泉鏡花の「日本橋」の舞台です。
RP6219279西河岸橋


木原店(ダナ)通り。
日本橋一丁目東新堂の俗称。
地割役木原家の役所跡。

RP6219284木原店通り


上の写真の右側がこの写真「コレド日本橋」

ここはは、かつて五島慶太が、老舗のデパート
「白木屋」を乗っ取ってた東急百貨店日本橋店跡です

白木屋は、近江国
長浜 の材木商大村彦太郎が、
寛文2年8月(1662)に江戸に進出。
もともとは小間物屋(雑貨屋)であったが、後に京の呉服を
扱うようになり、江戸経済の成長もあいまって、駿河町の越後屋、
旅籠通町の大丸屋と並ぶ、江戸三大呉服店のひとつであった。

コレドとは「coreと江戸」をくみあわせたものです・
ついでに「コレド京橋」というものもあります。
RP6219286コレド日本橋


木原だな通りの先に「白木屋の名水」の碑があります。

白木屋は、もちろん呉服店としてよく知られていたが、
その敷地内にあった「白木観音・白木名水」がも有名であった。
「白木観音・白木名水」とは、ここにあった湧き水と
それを引き立てるための、観音像のことである。

いい伝えによると、2代目大村安全が、敷地内に
井戸を掘ったところ、一体の観音像が発掘されて、
さらに水が滾々(こんこん)と湧き出すようになった。
そこで、店内に祠を建てて観音像を祭り、
さらにその名水を庶民に配ったところ、その水を飲んで
万病が癒えた人が現れた。

そして、この「白木観音・白木名水」は名所となり、
多くの人が白木観音詣をするようになったというのだが、
店の宣伝としては良くできた逸話である。
RP6219287白木屋の名水


RP6219288


日本橋。
RP6219283


橋の袂の交番。
ここは晒場でした。
人通りの多い場所に罪状を書いた高札などと共に長時間放置される刑罰。
江戸時代中期以降から幕末までこの広場あたりは日本橋の
晒し場として使われていた。
晒し刑は、主殺し、女犯僧、心中者を、朝8時から夕刻4時まで並んで座らされる。
RP6219291日本橋晒し場



東野圭吾の小説で有名になった翼のあるキリン。

なお、話とは関係はありませんがこのキリンい意味は
「ここから羽ばたく」ということです
RP6219297


日本橋の歩道や欄干にある空襲時の焼夷弾の
炎に焼かれた跡が茶色く残っています。
RP6219294焼夷弾による焼け焦げ

RP6219295

表題の散策に行ってきました。

以前から「桜田門外の変」と言う小説を読みこの事件の
有った、江戸城桜田門は何度も見ていましたが、井伊家の屋敷は
どのあたりに在ったのだろうかと、時々思い出すが、今回機会が
在って「井伊家の屋敷跡を見る」機会が有り言って来ました。

二回に分けて書きました。
二回目です。


赤坂プリンスホテルの、新築工事を見ながらホテルニューオオタニに向かいます。
ここ辺りが大久保利通が暗殺された紀尾井坂付近です。

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ホテルニューオオタニ。
1964年東京オリンピックを2年後に控えた1962年(昭和 37年)、
オリンピック委員会と政府は外国人来訪を約3万人と予想して
受入れ施設の確保を計画し財界に打診すると、
大谷重工業社長、大谷米太郎が受諾してホテル建設したといいます。
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ホテルの敷地内に彦根藩井伊家の中屋敷跡だったと
言う表示が有ります。
此処も加藤清正の下屋敷が引き継がれています。
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第二次世界大戦後、伏見の宮家がここを手放すに当たり,
外国人の手に渡ろうとしたとき、ホテルニューオオタニの創業者
である故大谷米太郎が「この由緒ある土地を外国に売り渡すのは
惜しい」として買い取り荒れ果てた庭を改修し、名石、樹木を配し
今日の4万平方メートル庭園となりました。
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この湧水山水風の池の中には江戸時代からの大木の化石がある。
加藤清正の時代から残っているもので木の根がそのまま化石になった
珍しいものです。
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このホテルの創業者、大谷米太郎氏の銅像。
意外なことに元力士だったのですね。
大相撲力士。四股名は鷲尾獄。
相撲取りから、一念噴気して事業を始めてのちに
太平洋戦争前は「鉄鋼王」と称された。
戦後の一時期は菊池寛実、南俊二とともに「日本の三大億万長者」と並び称された

[画像:RIMGP2035]


庭園内には松やヒノキなどの巨木がたくさんあります。
[画像:RIMGP2041]


寛永寺の灯篭。
上野の寛永寺が放出したものを大谷米太郎が購入したもの。
天保12年の刻印が有ります。
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意味不明だがきれいなモニュメント。
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建物の中に入りました。
此処は何をする場所でしょうかね。
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新しい、赤坂プリンスホテル、工事中です。
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赤坂見附の跡です。
錦絵と比較するとわかりますが、高速道路が昔の入り口です。
道路の左側の石垣は昔のまま残っています。

見附とは主に城の外郭に位置し、外敵の侵攻、侵入を
発見するために設けられた警備のための城門のことで、
江戸城には外堀および内濠に沿って36の見附が
あったとされています。

赤坂見附はそのうちのひとつで、他に現在に名を残すものとして
は四谷見附(四谷)、市谷見附(市ヶ谷)などがある。

手前欄干が見えます、弁慶橋です、私はその橋の上に立っています。
弁慶橋とは江戸城普請の大工の棟梁の名前です。
この橋はもちろん昭和になってから新しく架け替えられたものです。
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左側を見ると建設中の赤坂プリンスホテル。
立派なものができることでしょうね。
新しい名前は「ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町」です。
開 業 予 定 は、2016年夏頃だと聞きました。
[画像:RIMGP2055]


弁慶橋のかかっている弁慶掘り。
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此れで彦根藩井伊家江戸藩邸を歩くを終わります。

表題の散策に行ってきました。

以前から「桜田門外の変」と言う小説を読みこの事件の
有った、江戸城桜田門は何度も見ていましたが、井伊家の屋敷は
どのあたりに在ったのだろうかと、時々思い出すが、今回機会が
在って「井伊家の屋敷跡を見る」を見ることが来ました。

先ず
桜田門外の変の有った当日井伊家の行列が出た上屋敷は
現在の皇居前庭園、憲政記念館、日本水準原点表のあるあたりです。
また中屋敷は現在のホテルヌーオオタニの敷地一帯。
さらに下屋敷は現在原宿に在る明治神宮一帯です。
想像もつかないような膨大な広さの敷地に大名屋敷が有ったのがわかります。

このことは幕府はに江戸城防衛上の見地から、こういう
急所、急所に有力譜代大名配置したのがわかりますね。



今日の集合出発点、江戸城桜田門。
桜田門は、江戸城(現在の皇居)の内堀に造られた門の一つ。
桜田堀と凱旋堀の間にある。
昭和36年(1961年)に「旧江戸城外桜田門」として国の
重要文化財(建造物)に指定された。
特別史跡「江戸城跡」の一画を占める。
なお江戸城には内桜田門と外桜田門の2つが存在するが、
前者は桔梗門とも呼ばれ、単に「桜田門」という場合には
この門を言います。
RIMGP1964


門のなかに入ります。
この門の形は、桝形門になっています。
城門の内側に L 字形の城壁を設け,あいている辺に城門を構え,
曲輪(くるわ)内にはいるのに二つの門を通るようにしたものです。
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桜田門を出て掘り沿いに歩きます。
あの事件の時には此の辺りで壮烈な切り合いが有ったのです。
左側に桜田門が見えます。
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左から二番目のビルが2014年(平成26年)6月11日に開業した虎の門ヒルズです。
超高層ビルで、森ビル株式会社が開発・施設しました。
なおこのビルの建設は2020年に開催される、東京オリンピックと密接な
関係がが有ります、興味のある方調べてみてください。
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皇居前庭園の時計台が見えます。
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上の写真の道路を渡ると井伊家の上屋敷跡です。
元は加藤清正の屋敷であったものが加藤家が改易され、
井伊家の屋敷になったそうです。
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これは井戸ですが、加藤清正が作ったと説明版に書いて在りました。
なお、ついでに明治神宮にも「清正(セイショウコウ)井戸」と言う
パワースポットが有ります。
明治神宮も加藤清正の屋敷で後に井伊家の下屋敷になりました。
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この庭園から見た江戸城桜田門、右側のタワーのある大きな建物が警視庁です。
それにしても、ここから桜田門までは、本当に近い距離である。
どうしてこんな近距離にもかかわらず、直弼の家臣たちは直弼を
守ることができなかったのか。
事件を深く知るとさまざまな要因が有っての結果ですね。

私の知識と経験は取るに足らないものであるが、其のつたない
知識をもってしても、この景色が特別な意味を持って見えます。
[画像:RIMGP1983]


日本水準原点の在る建物で日本水準原点標庫といいます。
日本の水準測量の基準点となる場所です。
日本水準原点は東京湾平均海面からの高度です。

当然、原点の高さは不変ではない。原点を設置した
当初の標高は、T.P.+24.5000 Mだった。
その後1923年に関東大震災が発生。地殻変動が生じた為、
再測量によってT.P.+24.4140 Mに改定された。


さらに、2011年3月11
に発生した東北地方太平洋沖地震
(東日本大震災)によって24 mm沈下したため、
原点標高はT.P.+24.3900 Mに改正された

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憲政記念館。
日本の議会政治に関する展示施設。
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国会議事堂の脇を通りさらに最高裁判所裏手を通りました。
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JA共済ビル、日本都市センタービルの中を通り、清水谷公園に着きました。
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清水谷公園。
清水谷公園のある紀尾井町は町名の由来からわかるように
江戸時代、紀伊(紀州徳川家)、尾張(尾張徳川家)、
井伊(井伊家)のそれぞれの屋敷があった場所である。
綺麗な清水が湧いていたのでこのながつきました。
RIMGP2020


1878年(明治11年)、当地付近に自宅を構えていた
大久保利通が暗殺されるという事件が起きた。
この事件は人々に衝撃を与え、後に暗殺の現場となった
当地に大久保利通哀悼碑が建てられた。
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現在建設中の赤坂プリンスホテル。
此処も江戸時代までは紀州徳川家の上屋敷でした。
RIMGP2022


この写真は解体前、最後のクリスマスイルミネーションです。
IMGP3033



当たり前ですが人間は一人で生まれてきます。

そして一人で死んで行かねばなりません。

しかし、その二つの孤独の時をつないでいる人生の時間、
人は一人で生きて行くことはできません。

無数の出会いによって支えられています。

自然との出会い、様々な出来事との出会い、
物や芸術、文化、学問との出会い。
そしてさまざまな人々との出会い。このさまざまな
出会いを考えると私は「神秘的」な思いに打たれます。

どのような出会いであろうとも、本人には作る事が出来ない
と言うのが私の考え方です。

先ず、生まれて初めての出会いとなる両親との出会い、
それがどのような親であってもです、出会いが生じるのは、
人智を超えたはるかに大きな力が働いているからでしょう。

この事はもちろん人が作ろうとして作れるものではありません。

学校に行けば教師との出会い、友人との出会い、
さらには職場での上司、同僚との出会い。
生まれてくる子供との出会い。

全ての出会いは人間が作ることはできないのです。

私たちは日常その事に思いをはせる事は無く、
惰性のうちに一つ一つの出会いを過ごしているのです。


そして出会いに込められた神秘に思いをはせるのは特別な時だけです。

大切な人と別れなければならなくなった瞬間、
当たり前だと思っていた出会いが突然奪われた時。

そのような時になって私たちは出会いの神秘や、
かけがえのなさを意識するのです。

どんなに願っても再びその出会いは訪れない事を知るのです。

出会いが決して当たり前でなかったのに気が付くのです。

私たちは何か大きなものに動かされていると思います。




写真は本文と関係ありません。
6月22日(月曜日)朝の散歩中に見たご近所の
柿の木の実です。
もう4cmほどの大きさになっていました。
夢中になっ生きていますが、ふと気が付けば自然の移ろいが感じられますね。
RP6229449

表題の場所に散策に行ってきました。

写真は三回に別けて貼り
今回が三回目になります。


今回の散策した個所の地図ですが、左下の「東村山駅」西口から左上の
「西武園駅」会出を歩きました。赤印は主な立ちより箇所です。
Rkouenmap2 - コピー


北山公園の菖蒲です。
トントン花と表示してありました。
野生種の花菖蒲です。
RP6168905


へメロカリス。
園芸種では、日本や中国原産のユウスゲやカンゾウ類を元として、
品種改良で生まれたものをヘメロカリスと呼びます。

毎年花を咲かせる多年草です。


花が短命で一日でしおれてしまうので「デイリリー」とも呼ばれます。
学名でもあるヘメロカリスの名前はギリシア語で「一日」を
意味する「へメロ」と「美」と言う意味の「カロス」の
2語から来ています。
RP6168914ヘモロカリス

RP6168915甘草ヘメロカリス



白龍の爪。
開くと龍の爪状に見えるそうです。
RP6168920白竜の爪


こんな景色もありました。
RP6168935


北山公園をでて八国山に向かいました。

蒲の穂が有りました、この状態はなかなか見ることができなく
初めて見ました。

穂の下部は赤褐色で太く、雌花の集まりでありソーセージに似た形状である。
穂の上半分は細く、雄花が集まり、開花時には黄色い葯が一面に出る。
風媒花である。雄花も雌花も花びらなどはなく、ごく単純な構造になっている。

雌花は結実後は、綿クズのような冠毛を持つ微小な果実になる。
この果実は風によって飛散し、水面に落ちると速やかに
種子が実から放出されて水底に沈み、そこで発芽する
RP6168937ガマの雌花上 雄花下


こんな道を歩いて尾根まで登ります。
尾根の上が東京都と埼玉県の県堺です。
RP6168939


ねじの木の軸。
確かにねじれて成長しています。
[画像:RP6168940ねじの木の軸]


リョーブの花芽(令法)。
昔、飢饉に備え、若葉を食料にするため、令にて植えさせたためこの名がついた。
別名の畑積りも
花の咲く様子が百千万の旗が翻っているように見立てたことから
この名がついた。
RP6168941リョーブの花芽


八国山を下りまして「東村山ふるさと歴史館」を見学しました。

東京都東村山市にある歴史博物館。平成8年(1996)創立。
地域の考古・歴史・民俗資料を収集・保存し展示する。「みち」を
テーマとした常設展示のほか、企画展も行う。

下宅部(シモヤケベ)遺跡東京都史跡指定記念「東村山の遺跡展」
行っていました。

RP6168944


館内の展示の一部。
RP6168946


ふるさと歴史館の庭に在った、ユスラウメ(山桜桃梅)の実。

現在では「サクラ」を意味する漢字「櫻」は元々はユスラウメを指す字であった。
ユスラウメの実が実っている様子
を首飾りを付けた女性に見立てて出来た字である。

果実は薄甘くて酸味が少なく、サクランボに似た味がする。
そのままでの生食、あるいは果実酒などに利用される。
RP6168961湯すら梅の実


下宅部(シモヤケベ)遺跡に行く途中で見たお寺の門の前に
置かれたアンパンマンの石造。
RP6168963



下宅部(シモヤケベ)遺跡に着きました。
此処には以前市営住宅が有りその立て直しの時偶然
この遺跡が発見されたといいます。
RP6168964


この池が「3号水楊遺跡で丸木舟未製品などが出土した木材加工の場所です。
左前方に見えるものが「ヒメガマ」です。
RP6168965



遺跡公園い有った「万歳欅」。
枝の出方に特徴があり、枝の根元から折れやすいそうです。
RP6168970万歳欅



公園を後にして最終目的地西武園駅に着きました。

当駅は隣接する埼玉県所沢市 に開設された村山競輪場
(現在の西武園競輪場)の観客輸送のために1950年(昭和25年)
5月23日に開業した支線の終着駅であった。

当初は競輪開催時のみ営業する臨時駅であったそうです。
RP6168973


駅構内に在る競輪開催時臨時の改札口。
RP6168974



北山公園の菖蒲と八国山散策を終わります。

同行の皆様お世話になりました。

表題の場所に散策に行ってきました。

写真は三回に別けて貼り
今回が二回目です。

今回の散策した個所の地図ですが、左下の「東村山駅」西口から左上の
「西武園駅」会出を歩きました。赤印は主な立ちより箇所です。
Rkouenmap2 - コピー


とうもろこし畑が有りました。
トウモロコシの花穂。
まっすぐに立っているのが雄花。

イネ科の一年生植物。穀物として人間の食料や家畜の飼料となるほか、
デンプン(コーンスターチ)や油、バイオエタノールの原料としても重要で、
年間世界生産量は2009年に8億1700万トンに達する。
世界三大穀物
の一つ。
[画像:RP6168841トウモロコシ 上雄花下雌花]


此れがトウモロコシの雌花。
我々がトウモロコシの鬚と呼んでいるものがこれです。
この写真はWEBからお借りしました。
R220px-Maispflanze


国宝のある「正福寺」に行きます。
参道に在った、「斑入りの本榊(サカキ)。

サカキの枝は昔から神事の際に用いる
玉串として利用されてきました。
神棚にあげるのに使用されます。
葉は厚みがあり深緑色で光沢があります。
別種に葉が小さいヒサカキやこの様に
斑が入るフイリヒサキ等があります。
RP6168846斑入り本榊


タイサンボクだとおもますが。
まだ花があるのかな??
RP6168847タイサンボク


タラヨウ。
葉の裏面に傷をつけるとその部分のみが黒く変色し、
長期にわたって残るため、字を書いておくことができる。
ここから、ジカキシバ、又はエカキシバともいわれる。
戦国時代にこの葉の裏に文字を書いて情報のやりとりを
したという話もあり、これがはがき(「葉書」)の語源になったといわれ、
葉書の木、郵便局の木と呼ばれることもある。

種はこのようにヘリコプターの羽根状な葉が有り風に乗り
回りながら遠くに飛んでいきます。
RP6168862菩提樹 タラヨウ



此れがこの正福寺の国宝「正福寺地蔵堂」
1952年3月29日国宝指定 、禅宗様仏殿の代表作の一つ
関東では数少なく、東京都では唯一の国宝の建造物である。


尾垂木の墨書から室町時代の応永14年(1407年)の建立と知られる。
同時代の建築である鎌倉の円覚寺舎利殿と規模・形式が近似している。
内部には本尊地蔵菩薩像のほか、多数の地蔵菩薩の小像が安置されている。

茅葺であったが1933年(昭和8年)の解体修理に際して建築当初の杮葺(こけらぶき)に戻された。
鎌倉街道沿いにあり、外部は常時見学可能、年一回の地蔵祭には内部も公開される。
RP6168848


参道の仏様。
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鐘楼。
RP6168870


本殿前に蓮の花が咲いていました。
RP6168875蓮の花



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正福寺を後にして北山公園に向かいます。
途中畑にベニバナが咲いていました。
切り取ってドライフラワーにするもののようです。

日本では、平安時代以降で盛んに栽培された。
しかし、明治時代以降、中国産の紅花が盛んに
輸入され さらに化学的に合成可能な染料が
普及したことから、こうした紅花生産は急速に衰退した。

現在では紅花染めや観光用などにわずか
に栽培されている。
山形県ではベニバナが県花になっており、
同県河北町には、「紅花資料館」がある。
RP6168885紅花


北山公園に入りました。
狭山丘陵を背景にした自然公園で、新東京百景に選ばれています。
この時期には8千株10万本の花菖蒲が咲き乱れます

面白いことに「東村山菖蒲祭り」と言っています。
RP6168891



RP6168889


公園内に咲いていた「昼顔」
白い花ばかりかと思って居たら赤いものもあるのですね。
RP6168893昼顔


表題のところに行ってきました。

梅雨時にしては薄日もさした、穏やかに日でした。

写真は三回に別けて貼ります。



今回の散策した個所の地図ですが、右下の「東村山駅」西口から左上の
「西武園駅」までを歩きました。赤印は主な立ちより箇所です。
Rkouenmap2 - コピー


初めて下りた西武鉄道の東村山駅。
特急「小江戸」号を含む全列車が停車します。
新宿線、西武園線、国分寺線の3路線が乗り入れ、4
方向の列車が利用できる交通の要所です。
西武園線は当駅が起点で、国分寺線は当駅が終点と言う言い方をします。
RP6168813


歩き始めました。
ブラシの木が枯れていました。
華やかの木なのにね・・・・
RP6168815ブラシの木


今日も見ました夏椿。
花言葉は「愛らしさ」ですって。
貴女の事です。
RP6168816なつ椿シャラ



これはジャガイモの苗にトマトが成っている珍しい、状態です。
ジャガイモとトマトは同じナス科の植物です。
ですからジャガイモが成長していく過程でこのようにトマトの実が着くことが有ります。
普通はジャガイモが大きくならないので摘花してしまうのですが、このお宅のように
なにかの事情で、ほっておくとこの様にトマトの実が着きます。

なおついでに面白い話を記、しますが
特別な技術により、近縁ではあっても自然交雑できない異種間の雑種を作ることができるます。
この技術を利用して「ジャガイモ」と「トマト」の交配種「「ポマト」と言う植物が有ります。

ポマトは本来ジャガイモとトマトの一挙両得を狙ったものではなく、
暖地性のトマトにジャガイモの耐寒性を持たせる目的で開発されたが
完成した植物はトマトとしてもジャガイモとしても不完全で役に
立たない失敗作であり、一時期未来の植物と注目されたポマトは消えていきました。
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辯天池公園。
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社殿の周りを池に囲まれた神社です。
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綺麗に蓮の花が数輪咲いていました。
RP6168824


ネズミ細麦。
標準和名の通り、ムギ様の細い葉を持つ、葉色は光沢のある緑色
草丈は通常30・60Cm程。
ヨーロッパ原産のこの草がはびこっています。
RP6168828鼠細麦


裏側から見ました。
鯉とミズスマシがいました。
RP6168830



芋カタバミ(芋片喰)。
南アメリカ原産であるが、江戸時代末期に観賞用として
導入されて以降、日本に広く帰化している

気を付けてみればいたるところにあります。
RP6168831芋カタバミ


タチアオイ(立葵)。
八重です、珍しいので貼りました。
今年は五月が暖かかったせいでこの花に限らず
この様に早く咲いて物が多く見られました。

日本には、古くから薬用として渡来したといわれている。

花がきれいなので、園芸用に様々な品種改良がなされた。
草丈は1~3mで茎は直立する。花期は6〜8月で、
花は垂直に伸びた花茎の下から上に咲き上っていく。

ちょうど梅雨入りの頃に咲き始め、梅雨明けと共に花期が終わる
ことになぞらえて、「ツユアオイ(梅雨葵)」という別名も冠されている。

アオイの名から静岡市と会津若松市が市花に制定している。
[画像:RP6168835立ち葵八重]


姫イワダレソウ。
ご覧のように花の形はランタナそっくりです。

横をはう株から、小さな白い花をたくさん咲かせます。
花の中央部分には黄色やピンクの部分もあり、かわいい花です。
丈夫で成長が早く、適地ならほとんど手間もかかりません。RP6168837姫イワダレソ鵜


朝鮮槇(マキ)。
此れも初めて見ました。

イヌガヤの園芸品種です。
名前に朝鮮とついていますが、何の関係もありません。
幹からよく分枝して、枝は直立します。
「イヌガヤ」の
が2列に並んでつくのに対して、螺旋状に互生します。
また
の色も濃緑色です。ときどき先祖返りで、
「イヌガヤ」と同じ2列に並んだ葉もつくそうです。
[画像:RP6168839朝鮮槇]


スカシユリ(透百合)。
海岸の砂礫地や崖などに生える多年草、
野生の百合の園芸種をスカシユリと呼ぶ。
杯状の花を上向きにつけることが特徴。RP6168840透かしユリ


此処までで、一回目終わります。

小網代の森 散策続きます。

三回目になります。

此れで最終回になります。

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子網代の盛から宮ノ前の入り口から、白鬚神社に行きました。

祭神は白髭明神(中筒男命)。この社は小網代湾が
昔から避難港だった関係上、「航海安全」「大漁満足」の
神として古くから崇拝されていた。

天文年間(1532〜54)に村の浜で漁民の網にかかった
束帯姿の木像をご神体としている。
現在の社殿は三浦道寸義同が改修したと伝えられている。
社殿の左手にある石は鳴石、別名「カンカン石」と呼ばれ、
これは昔の石の錨で、海上安全のために船頭が納めたものである。
たたくと「カンカン」と金属音がします。
RIMGP1852


神社から見た「子網代湾」
RIMGP1854 パノラマ写真


白髭神社を参拝して再び子網代の森に戻り、岐路に行きました。
大きな綺麗な蛾が留まっていました、大きさは10Cmくらい在りました。
オオミズアオと言う蛾だと思います。
蛾と言うとちょっと汚らし感じを受けますがこの蛾は綺麗で立派です。
RIMGP1862


散策路の画脇に、居ました、見えました「アカテカニ」ちゃんが。
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此処にも居ました。
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これは1、5m位の高さの木の穴の中にいたものです。
見つけるとすぐに穴の奥に逃げ込んでしまいました。
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この付近が浦の川の河口付近で、先が干潟になっています。
RIMGP1872浦の川 河口部分


川に青大将が泳いでいました。
RIMGP1873


これが小さくて見にくいですが「稚児ガニのダンス」です。
点々と見えるのが稚児蟹です。

甲幅は10mmほど。甲は丸みを帯びた横長の六角形だが、
額域(眼の間)が狭く五角形にも見える。
甲の背面には短毛がまばらに生える。
鋏脚は左右とも同じ大きさで、掌部(鋏つけ根の膨らんだ部分)が広い。
体色は全体的に灰褐色だが、生体の鋏脚先端部は白い。
また、甲の腹面・口の左右が水色や淡緑色に色づいているも居る。
RIMGP1879


オスは摂食行動の後に両方の鋏脚を振る"Waving"を行う。
近く個体にタイミングが影響されるらしく、密度が高い場合、
群全体で波打つように一斉に白い鋏脚を振る行動が見られる。
これは雄のみが行うため、雌に対するディスプレイであり、
他の雄個体に対する威嚇であると考えられるが、
繁殖期の夏以外でも鋏脚を振ることが多く、
はっきりとした理由はわかっていないと言います。
RIMGP1928


正確には判りませんが「メス」が誘われて出てきました。
RIMGP1954


この芝生の広場の先の磯で7〜8月の大潮(満月か新月)の夜、
満潮の時間に合わせてメスが海岸に集合する。
メスが体の半分くらいまで海水に浸かって体を細かく震わせ、
腹部を開閉させると同時に卵の殻が破れて幼生が海中へ飛びだす。
煙のように泳ぎだした無数の幼生は引き潮に乗って海へと旅立つ


真夏の大潮の日神秘的なアカテガニの放仔(ほうし)を
観察することができます。
そのころには見学者の公募しています。
RIMGP1960


此処からまた、来た道を引き返して、引き橋のバス停から
三崎口に戻り帰りました。


今回はアカテ蟹の顔を見ること、稚児蟹のダンスを
見ることができました。

同行の皆様お世話になりました。



小網代の森 散策続きます。

子網代の森に入りさらに、歩いていきますました。
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少し歩くと流れが出てきました。
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こんな道を歩きまました。
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パノラマ。
RIMGP1798 パノラマ写真


6月半ばになり、緑が一段と濃くなってきましたね
RIMGP1803


水木。
果実は核果、球形で紫黒色をしている。

和名は早春に芽をふく時、地中から多量の水を吸い上げることからこの名がついた。RIMGP1812水木


榎にキズタ。
この森でこう言う物はたくさん見られます。
木蔦という言う名の通りこのように絡みつきます。
蔦には秋に紅葉し、冬に落葉するツタはナツヅタ、
この様な常緑のキヅタは、フユヅタとも呼ばれる。

若かった頃、冬山に行くと山麓で枯れ木ばかりの中にこの蔦が
アオアオしていて目立ったのを思い出しました。
[画像:RIMGP1813榎にキズタ]


コオロギだと思います。
蛙を飼育していた方がこのコオロギをペットショップから購入。
餌として与えていたと聞きました。
RIMGP1820


バッタ類の幼虫だと思いますが名前は判りません。
RIMGP1821


半夏生。
季節の呼び方で半夏生と言う言い方が在り7月2日頃のことです。
そのころにこの花が咲くので半夏生と言います。
名前の通り半分白くなって化粧しているように見えます。
RIMGP1825半夏生


ヒメジョンに蝶が留っていましたが名前は判りません。
此処には様々昆虫が飛び交っています。
RIMGP1835


緑の葉の透明感と赤い実のコントラストがとても
綺麗に見えました。
ヤマクワの集合果です。
RIMGP1843真弓


昼顔。
ヒルガオ科の植物。アサガオ同様朝、開花するが
昼になっても花がしぼまないことからこの名がある

RIMGP1844昼顔

子網代の森散策
二回目を終わります。

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