[フレーム]

感じたまま

日々感じたこと。 外歩きや、見学をしたことを記録しています。

2016年04月

表題の散策に行ってきました

写真は4月27日(水曜日)に撮ったものです。
三回に分けました。


この地図の赤線にコースを歩いてきました。
R-P4277197

家を出て駅まで歩いていく途中にこんな花が咲いていました。
ペラルゴニュームというそうです。
R-P4277199

今日の集合場所「小田急読売りランド前駅」
年配の方はご存知だと思いますが、駅開設当時の駅名「西生田」は、
現在の「生田駅」が「東生田」という駅名だったことから、名づけられる。
1964年によみうりランドが開園したことから、「読売ランド前」と改称される。
R-P4277205

跨線橋をこえてこの付近から「多摩自然遊歩道」に入ります。
R-P4277206

今が盛りの「芋方喰」
雑草扱いですがこのように石垣に生えた場合は、葉が石垣内への
雨水の侵入を防ぎ、鱗茎とあわせ、石垣内の土の流失を防ぐ
役目もするなど益草としての一面も持っています。
R-P4277209芋カタバミ

何回も来ていますが、いい雰囲気の道です。
R-P4277210

この場所は近隣のボランティアの方によって整備されています。
R-P4277216

金蘭が咲いていました。
和名は黄色(黄金色)の花をつけることに由来する。
また人工栽培はきわめて難しいことが知られている。
R-P4277217金襴

斑入り日日草の葉。
日日草の葉、こんなにきれいだったかな
R-P4277219斑入り日日草

多摩美公園の藤の花。
R-P4277221野田藤

R-P4277222

カラスの豌豆。
花期は3〜6月でエンドウに似た小型の紅紫色の花を付ける。
豆果は熟すると黒くなって晴天の日に裂け、種子
を激しく弾き飛ばす。
若芽や若い豆果を食用にすることができるし、熟した豆も炒って食用にできる。
R-P4277225烏のエンドウ

公園のもみじの木
R-P4277226

カキドウシ。
カキドオシは古来から日本の民間薬としてゲンノショウコ等と
並んで有名な植物で、子供の夜泣き、ひきつけに用いられ、
カントリソウ(癇取草)の別名がある。
漢方の生薬(しょうやく)名を「連銭草」(れんせんそう)と言い、
利尿、消炎薬としても広く用いられた。
カキドオシ茶、カキドオシ酒等、現代でもいろいろな効能が喧伝され、販売されている

R-P4277227カキドウシ

アメリカフウロ。
アメリカフウロ(亜米利加風露)は北アメリカ原産の帰化植物
現在は全国の道ばたなどによく見かける。
R-P4277228アメリカフウロ

もっこうバラ(木香薔薇)
うまくお見せできませんがこのように大きなモッコウバラの開花時は圧巻でねす。
R-P4277229もっこうバラ

ベルディの練習を見ました。
R-P4277231

公園の中を通ります。
R-P4277232

藤が満開。
八重さくらの花びらが一面に、紅色のじゅうたん。
R-P4277235

農業技術支援センターにつきました。
昭和34年に園芸技術普及農場山地果樹試験地として設置され、
昭和47年にフルーツパークに名称変更し、一般に開放されるようになりました。
平成20年に、組織改編にともない現在の名称に改めました。
現在は市内農業者への果樹、野菜、花きの各分野に係る農産物の
生産技術の向上を支援する事業や、市民の農業に対する更なる理解と
参加を促進するための事業を行っています。
R-P4277238

温室、現在は安全上の理由から利用できません。
R-P4277237

4月9日(土曜日)にアップいたしました。
東名高速沿いの神社仏閣を歩く 3/3
の記事中の碑について川崎市の教育委員会にお尋ねいたしたところ
下記のようなご返事をいただきました。

このように書きました。

この碑、よく確かめないで通り過ぎてしまいました。
この碑文の意味となぜここに立っているのか
わかる方教えてください。
R-P4066317

以下が教育委員会からの回答文です。

48日にお問い合わせいただきました標記に関するご質問については、
「川崎市石造物調査報告書(資料篇)」(昭和54年度 川崎市教育委員会)及び
「川崎市石造物調査報告書(図版・解説篇)」(昭和55年度 川崎市教育委員会)
にお問い合わせの供養塔に関する記載がございます。
添付ファイルをご確認ください(赤枠で囲んである部分が該当箇所になります)。
当該調査では、建立時期は確認できますが、
建立のいきさつについては、資料に基づいた記録は確認されておりません。


刻まれている文字。

正面 石橋供養塔

左面 十万他力 村中助力

裏面 慶應三丁卯年二月吉祥日

右面 天下泰平国土安穏 五穀成就 万民豊楽


文字から1867年(明治維新の前年)に建てられたことが分かりますが
この碑が建てられたいきさつは資料に基づいたものはありません。

しかし

橋の供養塔は橋は洪水や人の生死、村の存否に係わるので
新設や修理の際に永久に破損することの無いよう、
また安全を祈って供養したものであると考えられます。


川崎市教育委員会の係りの方、お忙しい中ご丁寧な
ご回答ありがとうございました。


千年の歴史があるといわれる八王子を訪ねました。
この写真は5月20日(水曜日)に撮ったものです。
写真は二回に分けた今回が二回目です。


信松院。
武田信玄四女松姫尼公を開基とし、天正18年(1590年)創建の寺院です。
松姫さまは七歳の時に織田信長の長男信忠と婚約しましたが、
三方ヶ原の戦いで両家は戦うようになり解消されました。
天正十年武田家は滅亡し、松姫は八王子へ落ちのび恩方に
ある心源院というお寺に入って尼僧になり創立したのが信松院です。
松姫祭りが終わったばかりでした。
R-P4207134

火事除けのお守りだと思いますが、竜ですかね。
R-P4207135

門には武田菱の家紋が。
R-P4207136

松姫が八王子に下ってきたときの姿といわれる像。
R-P4207137

この寺にふさわしい像。
R-P4207141


R-P4207142

松姫の墓。
扨て、関東へ入った家康は居城を江戸に定め、甲信への備えの為に
八王子に千人同心を配置いたします。
この千人同心は、元武田家に仕えていた旧臣達です。
又、関東の総代官所を八王子に置き、総代官には大久保長安が
任命されました。
この大久保長安もかっては武田の家臣でした。
異郷で新しい生活に従事する千人同心も、又、大久保長安も
八王子に旧主の姫松姫さまがおられるということで、どれほど
心強く感じられたでしょうか。
旧武田家の家臣は源松姫を心のよりどころにしたという言い伝えがあります。
R-P4207144

ここ信松院は八王子七福神の中の 家族円満の神、布袋尊を
お祀りしています。
ただ八王子の場合は「福徳自在の神吉祥天」があり「八福」になっています。

R-P4207148

松姫の像。
木像松姫坐像は市指定文化財です。
なお余談ながら信松尼の姉である見性院が徳川秀忠が
側室お静の方に産ませた、光秀の異母弟、後の
会津藩の初代藩主保科正之(幼名幸松君)をかくまった
のは有名な話です。
R-P4207150

何に使うものなのかわかりませんがずいぶん
きれいな飾りですね。
R-P4207152

何の花でしょうか。
桔梗のように見えるが、桔梗は秋だしね。
R-P4207157

信松院から
冨士森浅間神社へ。
浅間神社は木花咲耶姫を祭神とし富士浅間様と
言い、慶長年間徳川幕府創立のころの関東総代官で
当時、今の小門町に居住していた大久保石見守長安が
駿河国浅間神社を分社し現在の地に高さ約二丈
周囲六十間余の塚を築き頂上に浅間神社を勧請した
のが起源となっております。
R-P4207165

この付近一帯は「藤森公園」となっています。
R-P4207170

南大通りの八重桜の並木。
R-P4207173

念仏院。
甲州道八王子の時の鐘。
この鐘は元禄12年(1699年)に八日市宿の名主であった
新野与五右衛門ほか千人頭や千人同心たちなどの
協力によって寄進されたもので、神田鍋町の鋳物師椎名伊豫の
作と伝えられている。
鐘楼は昭和20年(1945年)の空襲で焼失したが、
昭和29年(1954年)に再建された。
現在は時の鐘として突かれることはなくなったが、
かつては明け六つ(午前6時)と暮れ六つ(午後6時)の2回、
周辺の地域に時を告げていた。
この鐘は八王子市の有形文化財に指定されている。
R-P4207176

本立寺。
八王子千人頭原家の菩提寺であり、墓地には原胤敦・新助兄弟、
千人同心であった考証家の三田村鳶魚がある。
R-P4207183

原胤敦・新助兄弟の墓、
R-P4207186

観音寺。
南清山一乗院と号します。観音寺は、薬師堂の別当寺として頼仙
(寛正元年1460年寂)が犬目に創建、天正年間(1573年-1591年)
当地へ移転、寛永年中(1624-1643)薬師堂領として5石の御朱印状
を幕府より拝領したといいます。多摩八十八ヶ所霊場74番です。

なおこの山門が八王子千人同心組頭、中村左京の屋敷の門を
移築したものです。
屋敷は江戸東京建物園にあるそうです。
R-P4207188

散策はそろそろ終わりになります。
八王子駅南口に進みます。
この建物は古いね、昔よくこういう建物、雑居ビルがありましたね。
R-P4207191

今回八王子に初めて訪れました、道路幅が広く街がきれいだなと
良い印象を持ちました。
今回の散策はほんの上っ面を軽くなでて程度でした。
また機会があればぜひ訪れてみたい場所です。
面倒を見ていただいた同行の皆さん、ありがとうございました。

千年の歴史があるといわれる八王子を訪ねました。
この写真は5月20日(水曜日)に撮ったものです。
写真は二回の分けて貼ります。

八王子を初めて訪ねました。
大きくてきれいな街並みでした。


今日の見学したコースです。
駅から反時計回りに歩きました。
R-img134

改札口。
にぎわうわけですね、この駅にはJR中央線、横浜線、八高線、私鉄の京王電鉄の
四路線が乗り入れているのですから。
R-P4207090

私は初めて来ましたが、久しぶりに来た同行者の方が、「綺麗になったな」と。
なお八王子にある大学は、
工学院大学八王子キャンパス
明星大学日野キャンパス
帝京大学八王子キャンパス
東京造形大学
東京純心女子大学
杏林大学八王子キャンパス
多摩美術大学八王子キャンパス
創価大学
東京薬科大学
拓殖大学八王子キャンパス
中央大学多摩キャンパス(1978年4月-)
日本文化大学
法政大学多摩キャンパス
東京工科大学八王子キャンパス
首都大学東京南大沢キャンパス。
まだあるかもしれません。
R-P4207093

駅前の公園、きれいな街です、ごみが落ちていないのに感心しました。
R-P4207095

まず、横山神社へ。
横山神社は八幡八雲神社の境内にあります、小ぶりというか、とても小さいというか、
八幡八雲神社の大きさに圧倒されます。
横山神社は横山党の始祖横山義孝を祀った神社で、
和田合戦で横山党が敗退した後、この地を支配した
大江広元が建保2年(1214)に創建したと言われています。

因みに鎌倉に和田塚というところがありますが、
頼朝の死後14年後(実朝の時代)に起こった北条義時
と和田義盛の政権抗争。
北条側の勝利に終わりました。
横山党は和田側につき、敗戦の憂き目を見た。
その和田塚は和田合戦の戦死者を祀ったものと言われています。
R-P4207098

神社にあったお稲荷さんとモミジの木。
R-P4207102


R-P4207103

横山神社は右側の神楽殿の左に小さな鳥居が見えますか。
その小さい神社です。
R-P4207106

そばに寄ってみました。
R-P4207110

八幡八雲神社は、鉄筋コンクリートでできた、大きくて立派な神社です。
小野氏が武蔵守としてこの地にやってきたとき、
岩清水八幡宮を勧請したのが始まりとか。
R-P4207109

ご神体。
R-P4207107

歩いていたらこんな店が、弩派手ですね。
でも目立っていいかもしれませんね。
R-P4207115

産千代稲荷です。
大久保長安八王子陣屋跡の一部です。
大久保長安という人は多くの功績を遺した方です。

逸話として以下のような話もある。
まったくの外様(30歳近くまで徳川家と関わりがなかった)で老中(加判)に就いた
唯一の人物であり、その謎めいた生涯は多くのフィクションの対象となっている。

無類の女好きで、側女を70人から80人も抱えていたと言われている。

金山奉行などをしていた経緯から派手好きであり、死後、自分の
遺体を黄金の棺に入れて華麗な葬儀を行なうように遺言したという
(このような派手な出費ぶりが家康に長安の不正蓄財の疑いを抱かせたとも)。

一説に長安は、家康より政宗のほうが天下人にふさわしいと考え、
政宗の幕府転覆計画に賛同していたと言われている。

この様な言い伝えは後世の支配者が大久保長安を悪者に仕立てるために
作った話である可能性もある。
R-P4207119

境内に咲いていた西洋シャクナゲ、二態。
R-P4207125


R-P4207127

名前がわかりません。
R-P4207129

ハナミズキかな。
R-P4207130

境内にあった「大久保長安」記念館。
まだ、開館していません。
八王子市は「大久保町長安」を大河ドラマにするべく画策しているとか。
R-P4207131

中央線の線路を渡ります。
前方の高層ビルの付近が八王子駅です。
R-P4207132


小石川植物園四回目、最後です。


コーカサス沢胡桃。
イラン北部からウクライナにかけてのコーカサス地方が原産です。
この地方の山地では、もっともふつうに見ることができる樹木です。成
長が早く、高さは20〜30メートルになります。
葉は光沢があり、濃緑色の羽状複葉で互生します。
小葉は、長楕円形から披針形で鋸歯があります。
6月に花を咲かせ、果実は枝から下垂して10月から12月に熟します。

R-P4196983コーカサス沢胡桃

上の写真の木の葉です。
R-P4196985

鬼胡桃の雌花。
白っぽい簪のような雄花の後の雌花です。
この色はマゼンタというか濃紺というのでしょうか、
初めて見たために、この色と形にはちょっとびっくり。
R-P4196989鬼ぐるみ雌花

赤松、黒松、間松が出てきましたが、これは「白松」です。
和名は幹のから来たようです。
樹皮が非常に特徴的で若い時からマツとは思えないほ
ど滑らかで斑模様に剥がれ、ある種の広葉樹の樹皮を思わせる。
さらに成長すると白一色に変わる。
R-P4196991白松

この木も面白いことになっています。
サトザクラになんと琵琶の木が寄生?しています。
先生の推理ではハクビシンの仕業であろうと言ってました。
R-P4196998里桜に琵琶の木がハクビシン

姫山茶花。
日本固有種である。
奄美大島から西表島にかけて分布し、山地の林の中に生える。
サザンカの名がつくが、サザンカのグループではなく、
ヒメサザンカという別のグループに属する。
私は花粉症で鼻が利きませんが、同行者が花は良い香りがしましたと。

R-P4197000姫山茶花

コデマリ。
春に白の小花を集団で咲かせる。
この集団は小さな手毬のように見え、
これが名前の由来となっている。
日本では、よく庭木として植えられている。
私は桜のあとにこの花を見ると「あ〜〜春だな」と思いますね。
R-P4197005コデマリ

精子発見の銀杏についてお話を聞く受講生。
[画像:R-P4197006]

モミジのトンネル。
紅葉もいいが新緑もいいね。
道に見える赤いものが雄花の残骸です。
もちろん雌花は落ちません、種子になって木についています
R-P4197012

モミジの種子。
R-P4197018

藤、八房。
R-P4197024八房

マリアアザミ。
原産地は地中海沿岸。
日本においても帰化植物として分布している。
に白いまだら模様があるのが特徴。
模様はミルクがこぼれたように見えるために、
ミルクを聖母マリアに由来するものとしてマリアアザミの名がある。
R-P4197030マリアアザミ

野田長藤。
R-P4197031野田長藤

白花美短。
柔らかな白色と緑の葉のコントラストがきれいですね。
R-P4197036白花美短

紫花美短。
全てに言えますが写真では鮮やかな色が出ません。
この藤もきれいな濃紺なんですが・・・
R-P4197040紫花美短

大葉紅柏。
新芽のころは真っ赤ですがだんだんこのように
サーモンピンク色になり、さらには冴えない薄い緑色になる。
R-P4197050大葉紅柏

エビネ。
花を見ると確かにランですね。
R-P4197052エビネ

黄エビネ。
本来、西日本に自生していたもので、東日本には純粋なキエビネはなく、
ほとんどの場合エビネとの交雑種で、植栽されたものであるとされています。
これもランです。
R-P4197054黄エビネ

ギョリュウ梅。
こんな時期に「梅が」と思っていたが、ギョリュウバイの名は、ギョリュウ
似て葉が小さく、花がウメに似ることから。ギョリュウ科のギョリュウ(檉柳)
ともバラ科のウメとも関係がないそうです。

R-P4197057ギョリュウ梅

犬桜の花。
前年枝の下方に試験管ブラシ状の総状花序が数個互生し、
径5mmの白色の5弁花を多数咲かせる。
花序は長さ6-9cmになり、花序枝には葉がつかないのが特徴で、
花序枝に葉がつく同属のウワミズザクラシウリザクラと区別することができる。
R-P4197065犬桜

芭蕉の花芽。
芭蕉とバナナのの違い。
R-P4197068棕櫚の花

日の出霧島。
久留米つつじの園芸種。
江戸時代19世紀半ばに、九州の久留米藩士が育成したものが、
九州から京都・江戸へと広まった。
大紫躑躅より花は小さい。
また、皐月とは花がそっくりだが
開花時期がちがうので区別できる
R-P4197070日の出霧島

京鹿ノ子。
「京鹿子」とは京都で染めた、「鹿の子絞り(かのこしぼり)」のこと。
R-P4197072京鹿の子

写真が重複しているかもしれません、花車。
モチツツジの園芸品種。花は4〜5cmのつつじにしては
花弁が細い薄紫色の花です。
葉もツツジ類の中では大型で、枝は分枝して株立ち状になります。
R-P4197074花車

メタセコイヤ。
R-P4197077メタセコイヤ

長崎一才。
つる性でよく藤棚として植えられている藤の中でも、
長崎一才藤は矮性種で、鉢植えにすると幹が見えなく
なるほど良く花が付きます。
R-P4197078長崎一才

入口付近から見た景色。
R-P4197086

これで小石川植物園散策を終わります。
今回の写真の撮り方で失敗したかな・・と感じたのは
木全体を撮らないで、幹、葉をアップでとるべきだったなと。

いずれにしても有意義な散策でした、みなさんお世話になりました。

小石川植物園散策続きます。
三回目です。


アメリカアサガラ (亜米利加麻殻)
エゴノキ科の エゴノキハクウンボク に似るが、
花びらが広がらず釣鐘型。
北アメリカ原産で、日本には明治時代に渡来。
R-P4196899アメリカアサガラ

モミジバスズカケ。
スズカケノキアメリカスズカケノキとの交配種
新緑や紅葉がきれいなため街路樹や公園樹として植えられている。
R-P4196903モミジばスズカケ

月桂樹。
ギリシャ神話アポロンダフネの物語に由来し、ギリシャやローマ時代から
アポロンの聖樹として神聖視された樹木。
古代ギリシアでは葉のついた若枝を編んで「月桂冠」とし、
勝利と栄光のシンボルとして勝者や優秀な者達の頭に被せた。
R-P4196907ゲッケイジュ

月桂冠に寄生する「ルビーロウカイガラムシ」
R-P4196908ルビ色カイガラムシ

「大かなめもち」の大木。
大要黐(オオカナメモチ)はバラ科カナメモチ属の常緑高木である。
カナメモチのように若葉が赤くならない。

R-P4196911大かなめもち

ハンカチの木。
幽霊の木ともいうらしい。
ここ小石川植物園はこの木がたくさん見られるので有名だとか。
花をつけるまでには10〜15年ぐらいかかるらしい。
だから、花をつけたハンカチの木はなかなかないそうだ
R-P4196917

ガクウツギ。
花弁がモンシロチョウのように見えますね。
R-P4196923ガクウツギ

マルバスミレ。
スミレの仲間です。
日本にはスミレの仲間は変種を含めれば50種〜70種にも及ぶと言われ、
見分けるのも大変です。
R-P4196937マルバスミレ

梶楓。
和名は、葉がクワ科カジノキ(梶の木)に似ることによる
オニモミジともいう。
R-P4196939オニモミジ

関東大震災記念碑。
大正12年の関東大震災時。多くの避難者がここ小石川植物園に
避難してきました。
一部の方は園内の救護所でさらに長期にわたる避難生活を送りました。
最後の避難者が退去したのは大正14年1月でした。
R-P4196941

常盤万作の大木。
これほど大きいものは大変珍しいと聞きました。
R-P4196944

この木の花
R-P4196948万作の花

タラヨウ。

葉は肉厚で20センチほどもある長楕円形をしており、
その縁は鋸のように細かいきざぎざとなっている。

日本では葉の裏面に経文を書いたり、葉をあぶって
占いに使用したりした]ため、その多くは寺社に植樹されている。

また、葉の裏面を傷つけると字が書けることから、
郵便局の木として定められており、東京中央郵便局の
前などにも植樹されている。

文字を書くことのできる性質がインドで経文を書くのに使われた
貝葉の原料であるヤシ科タラジュ(多羅樹、という木のようだ
ということで、タラヨウ(多羅葉)名前の由来となっている。
R-P4196950タラヨウ

誰かが葉にいたずら書きをした。
R-P4196951はがきの木

セイヨウヒイラギ。
鋸歯のある葉がヒイラギの葉に似ているため、この和名が
つけられましたが、本種はモチノキ科で、葉は互生します
(ヒイラギはモクセイ科で、葉は対生)。
花は白色で芳香があり4月から5月に落下傘状に集まって咲きます。
R-P4196955西洋ヒイラギ

枝垂れ桜が枝垂れないで上に伸びています。
周りに木があり日当たりが悪いと日差しを求めて
こういう風に上に伸びていきます。
R-P4196959しだれ桜上に伸びている

サイカチ(皁莢)
幹はまっすぐに延び、樹高は15mほどになる。
幹や枝にはするどい棘が多数ある。
葉は互生する。

豆果は皁莢(「さいかち」または「そうきょう」と読む)
という生薬で去痰薬、利尿薬として用いる。

またサポニンを多く含むため古くから洗剤として使われている。
莢(さや)を水につけて手で揉むと、ぬめりと泡が出るので、
かつてはこれを石鹸の代わりに利用した。石鹸が簡単に手に
入るようになっても、石鹸のアルカリで傷む絹の着物の洗濯など
に利用されていたようである(煮出して使う)。
R-P4196963サイカチ

豆果は皁莢(「さいかち」または「そうきょう」と読む)のさや。
枯れて落ちていました。
R-P4196965槐のさや

ハナミズキ。
この話はかなり有名ですからご存知の方も多いと思いますが、
この木は北アメリカ原産で

日本における植栽は、1912年に当時の東京市長であった尾崎行雄が、
アメリカ合衆国 ワシントンD.C.サクラ(ソメイヨシノ)を贈った際、
1915年にその返礼として贈られたのが始まり。
この話は、1981年
改訂版の日本の中学生向け教科書『NEW PRINCE』
中3版でもエピソード的に取り上げられた。
R-P4196971ハナミズキ

山法師。
まだ花がつぼみに状態ですね。
R-P4196972山法師

ハナミズキ。
R-P4196974

ハゼノ木の胴にイロハモミジが生えてきました。
モミジの種子が風に乗ってハゼノキのくぼんだ所に
落ちたのでしょうね。
マー偶然というのでしょうか、よくこういう風になったものだと
感心しますね。
[画像:R-P4196981ハゼに木にイロハモミジ]

上の写真を裏から見ました、縦の幹がハゼノキ、斜めの木が
イロハモミジです。
R-P4196982裏側



小石川植物園散策続きます。



ケラマつつじ( 慶良間躑躅)。
奄美大島から琉球諸島に分布し,海に近い常緑樹林の縁に生える。
高さ1〜2m。若枝や葉柄には褐色で扁平な剛毛が密生する。
R-P4196834慶良間つつじ

オオヤマツツジ、初霜。
花色は淡紅紫色から紅紫色と様々な色を咲きわける。
1本で様々な花が楽しめる面白い品種である。
R-P4196838初霜

モチツツジ、花車。
モチツツジの園芸品種。
花は4〜5cmのつつじにしては花弁が細い薄紫色の花です。
葉もツツジ類の中では大型で、枝は分枝して株立ち状になります。
モチツツジの園芸品種と言われます。
R-P4196841モチツジ花車

オオヤマツツジ、白鳳殿。
清楚な白色です。
R-P4196845白鳳殿

八重大紫。
濃い紅紫色の花を咲かせる、オオムラサキの八重咲き品種です。
R-P4196850八重大紫

大アマナの群生。
こういう景色が至る所に見られました。
[画像:R-P4196851]

灯台草。
どこが花でどこまでが葉なのなのか、わからないな。
R-P4196854灯台草

赤樫。
材は堅くて器具、車輛、船舶、機械、枕木、木刀などに使われる。
1978年古市古墳群の一つである三ツ塚古墳からは、
アカガシを使った修羅が発掘され話題となった。
[画像:R-P4196855赤樫]

水カンナ。
カンナという名ですが「カンナ」全く異なるものです。
湿地や沼沢地に生え、高さは1〜3メートルほどになります。
6月から7月ごろ、
紫色 の花を咲かせます。
R-P4196859水カンナ

こんな神社がありました。
名前はわかりませんがこの付近に湧き出た水を
祀ったものだと言われているらしい。
R-P4196860

見ただけでは全く区別がつきませんが「アイグロマツ」と言います。

別名はアカクロマツ(赤黒松)、アイアカマツ(間赤松)、アイノコマツ(間の子松)。

アカマツとクロマツの交雑種で、赤褐色の樹皮はアカマツに、
濃緑色で硬直な葉はクロマツに似ているといいます。

吉祥の木としても植えられることがある。
R-P4196861

この園の中でたくさん見られてせり葉飛燕草。
R-P4196864セリ葉飛燕草

タニウツギ、谷空木。
沢や谷間の水が流れているそばによく自生し、そこからタニウツギの名前があります。
卯の花の別名でも親しまれているウツギとは違うものです。
R-P4196867タニ宇津木2

白琉球。
大輪一重の白い花をつけるツツジです。
上弁に淡黄色の小さな点々がついています。
R-P4196873白琉球

青木昆陽が享保20年(1735年)に幕府に進言しこの地で甘藷の栽培を試み
試作は成功し甘藷が全国的に栽培されるようになった。
その功績をたたえる記念碑。
R-P4196876

昼食休憩をした。桜の木の下です。
R-P4196880


R-P4196888

野田藤
R-P4196889野田藤

葉ボタンのトウ、菜の花にそっくり。
R-P4196890葉ボタンのとう

姫踊子草、群生していました。
明治時代中期に帰化した外来種で、主に本州を中心に分布する
R-P4196892踊子草

笹の花。
非常に珍しいものと聞いていますが?
[画像:R-P4196896笹の花]

ギョリュウ、檉柳、または御柳
葉は小さい鱗片状で針葉樹のように見える。
春と秋に枝先に桃色の1mmほどの小さい花をたくさん咲かせる。
果実は長さ数mmのさく果で、種子は細かく房状の毛が生え風で飛ぶ。
乾燥と塩分に強く、砂漠など乾燥地でも根を長く伸ばして水分を強く吸収する

R-P4196895

ヤマブキソウ。
R-P4196898山吹草


小石川植物園、つくば大学文京キャンバスを散策いたしました。

この写真は4月19日(火曜日)にとったものです。
写真は四回に分けて貼ります。



集合場所地下鉄丸ノ内線の「茗荷谷駅」です。
R-P4196777

春日通りに出ます。
R-P4196780

つくば大学正門前ですが、何やら珍しいオブジェがあります。
R-P4196783


R-P4196784


R-P4196785

キャンパス正門前。
構内の庭園に入らせていただきます。
R-P4196786

桂の新芽。
今の時期、新緑がきれいですね。
R-P4196791桂花芽

桑の雌花(先の丸い)、尾花(長いもの)
今日は花粉がしきりに飛んでいました。
R-P4196795桑の雄花雌花

昭和6年、東京高等師範学校(現在のおつくば大学)創立60周年記念式典に
天皇陛下がおいでになった記念碑でした。
R-P4196798

アメリカスズカケの大木。
R-P4196800アメリカスズカケの木

加納治五郎先生の銅像。
嘉納は教育者としても尽力し、1882年(明治15年)1月から学習院教頭、
1893年(明治26年)より通算25年間ほど東京高等師範学校
校長ならびに東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)
校長を務めたほか、
旧制第五高等中学校(現・熊本大学)校長などを務めた
(部下の教授に、
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)等がいた)
[画像:R-P4196801]

大きな銀杏の木。
[画像:R-P4196804銀杏の大木]

黄菖蒲。
遠目にもはっきり分かる鮮やか黄色の花を咲かせるキショウブ。
水辺に群生する姿はなかなか美しい。
原産地はヨーロッパからアジア西部にかけての地域で、
英名では「Water Flag(ウオーターフラッグ)」
「Yellow Iris(イエローアイリス)」と呼ばれる。
原色日本帰化植物図鑑(保育社)によると、日本に入ってきたのは
明治30年(1897年)ごろだが、今では各地の溜池や沼、水田脇などで野生化している。
R-P4196812黄菖蒲

花瓢箪木。
スイカズラ族の花木。
私はまだ見たことはありませんが赤いきれいな実をつけると聞きました。
R-P4196815花瓢箪木

ここ占春園(センシュンエン)は都市公園ではありません。
水戸徳川家2代光圀の弟松平頼元が、万治2年にここに屋敷を構えた。
その子頼貞は陸奥国守山藩主として2万石を領し、大学頭となった。
占春園はこの松平家の屋敷内の庭園の名残である。
筑波大学附属小学校の自然観察の場ともなっていますが、
一般区民にも開放されています
斜面と低地を利用した園内は様々な樹木がうっそうと生い茂り、
ササに覆われた樹木の下には細い階段状の園路が池に向かって下っています。

中島のある池の回りには大木が生い茂り、静かな雰囲気を漂わせています。
R-P4196818センシュン園

占春園をでましたら「すみれ」見つけました。
野に咲く花の代表として知られ、古くから親しまれてきました。
花の形は基本的にはどれもほぼ似ていて、左右対称で、
見ただけでスミレとわかるものである。
R-P4196819スミレ

常盤万作と赤花常盤万作を上手に組み合わせて
植えてありますね。
R-P4196820常盤万作赤花常盤万作

ウバメガシ(姥目樫)の花芽。
暖地の、海岸近くの山地に多く生える。単木で育てば15mを
越える高木になるが、生育環境により通常は5m前後の低木になる。
よく枝分かれして繁るため、生垣として使われる。
ウバメガシが自生する紀州で独特の製法で作られた白炭が
紀州備長炭と呼ばれている。和歌山県木炭協働組合の登録商標である。
鋼のように固く、打ち合わせるとキンキンと金属音がすることで有名である
R-P4196822ウバメカシの尾花

小石川植物園に入ります。

東京大学大学院理学系研究科附属植物園は、東京大学の附属施設の一つで、
植物に関する様々な研究を行っている。

本園と分園がある。
本園は
東京都文京区白山三丁目にあり、一般には小石川植物園と通称され
「東京大学大学院理学系研究科附属植物園本園」が正式な名称である。
国の名勝および史跡に指定されている。

また、栃木県日光市に分園があり、こちらは一般には日光植物園と
通称されているが、正式名は、東京大学大学院理学系研究科附属植物園日光分園である。

R-P4196823

銀杏の雄花、花粉が出てしまったものです。
R-P4196827公孫樹の雄花花粉が飛んだあと

大アマナ。
大甘菜(オオアマナ)はユリ科オオアマナ属の球根植物である。
英名は英名はスター・オブ・ベツレヘム(Star of Bethlehem)である。
キリスト生誕を知らせたベツレヘムの星にたとえられた名前である。
和名甘菜(アマナ)に花が似ていることからつけられたものである。
ただし、大甘菜(オオアマナ)は有毒なので食べられない。

R-P4196829大アマナ

ヒッコリー。
懐かしい名前の木ですね。
昔、すきーの板といえばこの木で作ったものがほとんどでしたね。
R-P4196832ヒッコリー





私は戦時中の学童世疎開を経験していないが少し年上の方からは、地獄だったと言う

話は良く聞いた。

辛くて、親が恋しくて疎開先から逃げ出し、汽車の線路沿いに歩いて道端の畑から野菜を盗んで飢えた腹をごまかし、夜は道端に寝て親元まで逃げ帰った方の話も聞いた。

この長編はまさに戦時中人疎開した少女二人が、戦後を対照的に生きた物語である。

主人公の佐織(さおり)内向的だがもう一人の風美子(ふみこ)は何事にも積極的。

話しは平成8年、すでに六十を過ぎた二人が海を望む邸宅を買うか、家を見学する場面から始まる。

実は四十年前、朝鮮戦争の頃二人は銀座のデパートで出会う。

風美子は自分が戦時中、伊豆の修禅寺に疎開しあなたに助けられたと語る。

だが佐織は疎開の思い出はあるものの彼女に記憶はない。

むしろ辛かった疎開生活は忘れたかった。

だから風美子の出現委には戸惑う。

それでも風美子の積極さに負けて付き合いだす。

どころが、佐織が結婚すると風美子は佐織の夫の弟と夫婦になる。

詰まり二人は義理の姉妹となり風美子は佐織の子供の世話までする。

佐織にとって料理研究家として成功する風美子は最も親しい中になるのも

ごく自然の成り行きだが、すべて芙美子の計略ではと、佐織は疑いだす。

物語は、なぜ佐織は疎開を思いだしたくないのか。

なぜ風美子を疑うのか、と言う謎が絡み合って展開する。

この謎にひかれて読み続けることになる。

この物語の面白さは登場人物の配置が見事なことです。

良妻賢母でありたいと願う女と時代の波に着き進む女。

研究一筋の兄と、定職を持てないダメな弟、登場人物の性格の違いで風波も立つ。

時間を二人が出会った時に戻し、折々の事件や風俗などもはさみ平成八年まで二人の姿を現していく。

読んでいて時代に揺れる佐織の心理の変化を追う事になる。

結局謎の背景には疎開先のいじめがあるとわかる。

作者は暖かい結末で物語を終わらせて、読んで居る者をホッとさせる。

196P

「・・・極限状態に追い詰められたら、人って、何とか助けあうように気がしていたんだけど、そうじゃない、自分よりほんの少し弱った、攻撃できそうな人を見つけて徒党を組んで追い詰めていくのが人間の本性なのかもしれない」。

205P

・・・20代の女が十歳かそこらの子供に嫉妬してやっかむなんて、異常以外の何ものでもないよ。でもどんなに異常だったとしても、あれが私たちの土台じゃないの。

根っこだよ。忘れて何んもなかったように、なんてできるはずがない。

[画像:_SX336_BO1,204,203,200_[1]]

羽村チュ-リップ祭りに行ってきました。

写真は三回に分けてはり今回は三回目で終わりです。
写真は4月15日(金曜日)に撮ったものです。


郷土博物館のロビーの一部。
この博物館委は玉川上水がどのようにして計画、実行、維持されてきたか
詳しく展示説明されています。
興味のあるかた、機会があればぜひ行ってみる価値はあると思います。
R-IMGP5397

五月人形が飾ってありました。
R-IMGP5398

江戸の上水の説明。
R-IMGP5415

江戸時代の水道管、木管ですね。
R-IMGP5423

江戸時代の羽村の堰、水門の模型。
R-IMGP5417

1900年(明治33年)に新しくなった水門。
1923年(大正13年)まで使われました。
R-IMGP5420

この付近も養蚕が盛んだったのですね。
R-IMGP5418

中里介山を紹介するコーナー。
R-IMGP5432

屋外展示の「赤門」
もとは三ヶ島(現在埼玉県所沢市)の徳川幕府に仕えてい
た眼科医鈴木家の門でした。
昭和10年(1935)12月に介山がこれを譲り受け、
記念館の前に移築しました。
江戸時代中頃の創建といわれ、朱塗りの建築から赤門と称し、
本郷にある東大の赤門に匹敵すると常に自慢していたと
いわれています。
記念館閉館後の昭和52年(1977)、中里家より町に寄贈され、
昭和59年(1984年)12月に現在の郷土博物館の中庭に復原しました。
R-IMGP5435

旧下田家住宅(国指定重要有形民俗文化財)
この住宅は、羽村市羽西1丁目13番地3号にあった
下田季吉氏の家を譲り受け、昭和57年(1982年)3月に
現在の郷土博物館の敷地に移築復原しました。
記録によって、弘化4年(1847年)に建設されたことが明らかになりました。

入母屋づくりの茅葺(かやぶき)民家で、この地方の一般農家姿
をよく示しています。建築後、四ツ間として改造し使用していましたが、
移築にあたり当初の広間型に復原しました。
旧来の生活様式をよく守り、建物の改造も少ないことなど
この民家で使用されていた生活用具と建物の1210点が
「羽村の民家(旧下田家)とその生活用具」として国の
指定を受けました。
右側がお勝手側。
R-IMGP5444

上の写真の中央部から撮りました。
内部の様子。
R-IMGP5446

お勝って側から座敷方向。
R-IMGP5449

農機具。
R-IMGP5452

風呂場。
R-IMGP5453

郷土博物館の見学を終わり、コミュニティバスで
羽村駅に出ました、駅東口前に「五ノ神神社」があります。

五ノ神社は、推古天皇9年(601)の創建と伝えられ、
宝亀年間(770年〜780年)に熊野五社大権現を祀った
ことから地名(五ノ神村)が起こったといいます。
江戸期には五ノ神村の鎮守に、明治期には村社
に列格していたといいます。
五ノ神社本殿は市指定文化財に指定されている他、
隣接地の「まいまいず井戸」は東京都史跡に指定されています。
R-IMGP5463

質素な佇まいの本殿、市指定文化財です。
R-IMGP5468

その境内に「マイマイズ井戸」があります。
まいまいずとはカタツムリのことで、その名のとおり地面
から渦巻き状に掘られている。大同年間(806年〜810年)
のものといわれ、当時は垂直に掘る技術が未熟だったため
にこの形になった。直径約16m、深さ約4m。
羽村市に上水道が普及するまでの昭和37年(1962年)
まで利用されていたと言うから驚きです。
R-IMGP5476

ところで、この「まいまいず井戸」。
どうしてこんな変わった形をしているのだろうか?
その理由は、この地域の地層に隠されている。
羽村の地層は、垂直に掘り下げることが難しい砂礫層で、
井戸掘り技術が未発達だった時代
(まいまいず井戸ができたのは、鎌倉時代頃ではないかと推測されている)
には、このように渦巻き状に井戸を掘るのが、最も安全で確実な方法だったのでしょうね。
R-IMGP5473

境内にあった木の根っこらしいもの。
置いてある理由がわかりませんが、立派なものです。
R-IMGP5481

羽村駅東口。
本日の散策はここまです。
R-IMGP5482


これで羽村チューリップ見物散策終わります。
同行のみなさんお世話になりました、好天で
一同事故けがもなく楽しんできました。


このページのトップヘ

traq

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /