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感じたまま

日々感じたこと。 外歩きや、見学をしたことを記録しています。

2022年03月

高麗の里2/4

摩利支天神社を出て先に進みます。

埼玉県道15号川越日高線は、
埼玉県川越市小仙波の国道16号から、日高市久保の国道299号を結ぶ県道です。

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奇麗な梅の花。
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高麗郷古民家。
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巾着田の近くにある古民家です。
木造の入母屋造(いりもやづくり)の2階建で、母屋は江戸時代末から明治時代前半に、
客殿は明治39年に建てられたものと考えらえれています。
新井家は高麗本郷村の名主や、後に村長を務められた家柄。
さすがに立派な作りです。
母屋は平成5年までは茅葺きだったそうです。

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入り口には毛氈が敷いてありました。
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中はお雛様が飾ってありました。
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母屋の裏に出ると巨大な切り株があってびっくりしました。
直径が2m近くあったかな。
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裏庭に咲いていました。
この花もリュウキンンカでしょうか。
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各時代ごとのひな人形が飾ってありました。
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高麗の里2/4回目終わります。

高麗の里1/4

昨年秋にも訪問いたしましたが昨秋は彼岸花は全部刈り取られていました。
季節が変われば見える景色も変わるだろうと、訪れてみました。


高麗駅です。
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将軍標。
横から見ました
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リーダーから
今日の散策コースの説明。
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歩き出しました。
立派なしだれ梅。
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青空に梅。
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高麗村石器時代住居跡。

史跡の名称は「石器時代」とありますが、実際は縄文時代の住居跡です。

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こんな感じです。
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こんな花が、リュウキンンカかな。
違っていたらごめんなさい。
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摩利支天神社。
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摩利支天と言えば、寺院に祀られていると思っていました。

日高市には摩利支天を神社で祀っている場所があるのです。
摩利支天。

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こういう説明版はどこでも長すぎて読みにくい。
500年以上前からあったと言います。
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高麗の里1/4回目終わります


大船植物園2/2

大船植物園、続きます。


いつも同じような写真ですいません。
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奇麗だったのでついつい撮ってしまいました。
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いろいろな花の寄せ植え。
パンジーだけはわかりました。
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シクラメンかな。
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蘭の花でしょうね。
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これは知ってました
麒麟草というサボテンです。
30cmほどのてっぺんに花がついてました。
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ブーゲンビリア。

実際の花はいわゆる花の中央部にある小さな3つの白い部分です。
色づいた花びらに見える部分は花を取り巻く葉(包葉)であり、
通常3枚もしくは6枚ある。

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これがブーゲンビリアの花です。
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名前はわかりません。
教えてくださった方がいました。
ラナキュラスナというそうです。
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火炎カズラ。
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モンステラ。
あまりにもたくさんの種類があってよく判りませんね。
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此処訪れるたびに、感心する木。
槐です。
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これは・・・・・何だか分からなかったな。
離れて遠くから見たらわかりました、トラの顔です。
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大船植物園を終わります。
黄色のセツブンソウを教えてくれた友人に感謝。
皆様お世話になりました。

大船植物園1/2

大船の植物園に行ってきました。

入場料、シニアは150円です。
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此処に貼った写真は2022年2月27日に撮ったものです。
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玉縄桜が咲いていました。

玉縄桜 (たまなわざくら)は、 神奈川県 鎌倉市 にある 神奈川県立フラワーセンター
大船植物園 にて染井吉野( ソメイヨシノ )の早咲きのもの中から選ばれ育成されたもので、
1990年(平成2年)に品種登録された サクラ の園芸品種である 。
「玉縄桜を広める会」によって植樹も行われている 。
名の由来は近くにあった「玉縄城」にちなんでつけられた。

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名前はわかりません。
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噴水
今日もいい天気です。
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水仙。
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スノードロップ。
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仲間から黄色いセツブンソウがあると聞き
これが見たくて来ました。
セツブンソウの写真。
R-P2270145黄色いセツブンソウ


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つわぶき。
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たびたびですいません。
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やつで。
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此処は梅の花がほぼ満開でした。
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大船植物園1/2回目終わります。


大船から称名寺5/5

散在ガ池の説明版。
子供の水死事故が多かったので「秘話を作った」と言います。
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この池のほとりで昼食、休憩になりました。
いつもの楽しい時間です。
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昼食休憩を終え今泉不動に進みます。
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六地蔵。
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穴の中のお地蔵さん。
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弘法大師の子供のころの像。
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今泉不動称名寺。

称名寺(しょうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市今泉にある浄土宗の寺院。
山号は今泉山。
本尊は阿弥陀如来。通称は今泉不動。

弘仁元年(810年)、空海の創建と伝えられる。
もともとは円宗寺という寺で、不動堂の別当を兼ねていた。
一度は廃絶したが、貞享元年(1684年)に直誉蓮入が本堂を再建した。
元禄6年(1693年)には増上寺の末寺となり、「今泉山」という山号と
「称名寺」という寺名を受けた。

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ミツマタの花がありました。
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不動堂に行く階段。
疲れたのでここまで。
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弁天堂。
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この像は何でしょう。
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称名寺をお参りしてバスで大船まで戻ります。
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大船につきました。
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大船から称名寺を終わります。
ご案内していただいたリーダーの皆様、同行のお仲間の皆様
今回も大変お世話になりました。

大船から称名寺4/5

街道沿いに進みます。
古いけれど立派なお宅です。
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こんな道を歩きました。
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白山神社前。
此処には寄りませんでした。
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白山神社の鳥居。
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此処の前を通り過ぎ。
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マンホールのふた。
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この道標に源氏の家紋、笹竜胆がデザインされています。
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昼食休憩地に進みます。
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う〜〜ん、だいぶ汚いね。
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こんな注意書きもありました。
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この池のほとりで昼食、休憩になりました。
いつもの楽しい時間です。

散在ケ池について

安政(18541859)の頃、この地域を裏今泉と称し、すべて今泉山称名寺
(弘法大師僧空海が創建したと伝えられる不動堂の別当寺)の持山で、
江戸末期の住職がこの域を大船、岩瀬、今泉の3部落に無償で分与していたため、
この山を『散在の山』と呼ぶようになったと伝えられています。

明治2年当時この地域を統轄していた小菅谷(現在の横浜市栄区)の代官梅澤与次右エ門が、岩瀬・今泉の部落有志を集め灌漑用水池(長さ70m、幅5.5mの土堰堤)を築造しました。

『散在の山中にある池』ということで、『散在池(サンザイケ)』と称され今日に至っています。

昭和32年に大船土地改良区(代表市川治朗)が結成され『散在ケ池』の改修
(堤高13.3m、堤長56.5mの土堰堤)を行い、昭和34年に完成しました。

その後、昭和42年〜43年にかけて宅地造成があり、
調整池としての機能整備が整えられました。

散在ガ池データ 海抜 43m 面積 9,495m2 湖岸線延長 772m 最大水深 7.6m

平均水深 3.1m 貯水量 29,900m3

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上が管理事務所、下はトイレになっています。
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大船から称名寺4/5回目終わります。

大船から稱名寺3/5

多聞院を見てから熊野神社に進みます。

鳥居。
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鳥居脇の椿の木の葉に、何と此の時期にセミの抜け殻が・・・・びっくり。
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恐らく去年の夏に飛び立った蝉の抜け殻が残って居たんですね。
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拝殿までの長い階段。
40段以上あったかな。
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熊野神社拝殿。

熊野神社とは、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)から
勧請された神社を指す。

有史以前からの自然信仰の聖地であった熊野(紀伊国牟婁郡)に成立した
熊野三山は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての中世熊野詣における
皇族・貴紳の参詣によって、信仰と制度の上での確立をみた。
しかしながら、中世熊野詣を担った京からの参詣者は、
後鳥羽上皇をはじめとする京都の皇族・貴族と上皇陣営に加勢した
熊野別当家が承久の乱において没落したことによって、
歴史の表舞台から退き、かわって、東国の武士や有力農民が前面に出てくるようになる。

こうした一般の参詣者とそれに伴う収入に経営の基盤を求めた
13世紀半ば以降の熊野三山は、全国に信仰を広め、
参詣者を募るため、山伏や熊野比丘尼を各地に送り、熊野権現の神徳を説いた。
この過程で、全国に数多くの熊野神社、すなわち熊野三山から勧請された神社が成立した。

ここ大船の鎮守社。

『相模風土記』が伝えるところによれば、天正7年(1579年)
甘粕長俊が束帯姿の木像を勧請して祀ったという。

木像は今も御神体として祀られており、その台座には長俊勧請の旨が記されている。

明治期の神仏分離までは、隣接する真言宗寺院の多聞院が長らく別当を務めた。

甘粕氏は相模平氏の一族で、長俊は神仏への信心が篤いことで知られ、
他にも永禄10年(1567年)、常楽寺の文殊菩薩像の修理も行っている。

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名前はわかりません。
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狛犬、字が擦れていていつ奉納されたものか不明です。
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能舞台。
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梅の花と青空。
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こんなトンネルを通っていきます。
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トンネルの中。
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大船から稱名寺3/5回目終わります。



大船から称名寺2/5


常楽寺続きます。
蔭涼・・・なんて読むのかな。
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銀杏の古木、おおきいね〜〜。
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文殊堂。
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本堂。
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本堂内。
中央が阿弥陀如来、両脇は脇侍の観音菩薩。
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お参りを終えて先に進みます。
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熊野神社方向に進みます。
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多聞院の梅の花がきれいです。
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寄せ集めてきた庚申塔。
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多門院。
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多聞院
真言宗大覚寺派の寺院で、山号は天衛山という。 寺伝によれば、
創建は天正7年(1579年)で、開山は南介僧都、開基は甘糟長俊である。
本尊は毘沙門天。

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大船から稱名寺2/5回目終わります。


大船から称名寺1/5

この地図の左大船駅から鎌倉湖まで歩きました。
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集合場所の大船駅改札口。
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こんな通りがあるのですね。
芸術館通り
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こんな物がありました。
確かに芸術品だな。
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大船中央病院。
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常楽寺に進みます。
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参道、寺号標。

常楽寺(じょうらくじ)は、神奈川県鎌倉市大船にある臨済宗建長寺派の寺院である。
山号は粟船山(ぞくせんざん)。
本尊は阿弥陀三尊。嘉禎3年(1237年)の創建で開基は北条泰時、
開山は退耕行勇である。

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山門左にある案内板。
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常楽寺はもと「粟船御堂」(あわふねみどう)と呼ばれ、
北条泰時夫人の母の追善供養のために建てたものであった。
創建当時は密教系寺院、また、浄土系寺院でもあったとされているが、
次第に禅宗色が強まり、後に臨済宗の寺となった。

建長年間、時の執権・北条時頼によって宋の禅僧、蘭渓道隆が鎌倉に招かれた。
蘭渓ははじめ常楽寺の住持となり中国風の禅宗を広め、
寺には多くの僧が蘭渓の教えを乞うために訪れた。

その後、建長寺が創建され(落慶供養は建長5年(1253年))、
同寺が鎌倉における禅宗の中心寺院になったが、
それ以降も臨済宗建長寺派においては「常楽は建長の根本なり」と
重視されつづけた。

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ゾクセンザンと読みます。
舩という字。
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17世紀ごろの建立で鎌倉市の指定有形文化財。
茅葺の四脚門。

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大船から稱名寺1/5回目終わります。

チョー・ヨンピルさん
この人、今どうしているのかな。

この方の
「釜山港に帰れ」も流行ったね。
1987年ころ皆さんカラオケでよく歌っていたね。
バブル景気の始まりころだったかな。
35年も前の事ですね。
1987年の出来事

昭和歌謡、いいですね。
曲も良いが私はこの画像がいいと思います。
どうやって作るのかな。
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想いで迷子


愛に溺れて あなたに疲れ

生きることにも ため息ついて

ひとり口紅 ふきとるだけの

生き方だけなら 淋しい

こんな夜には 少しお酒で

泪の相手しましょう

そしてぬけがらパジャマあなたのかわりに

時はあしたを連れてくるけど

過去のどこかで迷子になってる

夢のつづきを 誰かに見ても



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