南下浦散策3/4
岩浦山壽福寺を後にして
三浦義村公の墓に向かいます。
急な階段を登ると茂みに埋もれて墓があります。
よく見ると何かおかしな形ですね、説明によれば、この三浦義村の墓は、
1923年(大正12年)の関東大震災で、ここから崖下の海へと転落してしまった
そうで、破損した残石を積み上げなおしたとの事です。
そのため、ヘンな形をしているのですが、三浦義村の旧墓として保存されています。
R-P9202746 ここは福寿寺の塔頭で南向院跡でもあるそうです。
上の写真のさらに奥に有志によって建てられた新墓(供養碑)があります。
R-P9202750 義村の墓の奥には八坂神社があります。
昔は神仏混交であったために神社も祀られていました。
ですからこの八坂神社は南向院の鎮守だったのかもしれません。
R-P9202751 何時頃作られたのか、彫ってある文字は読めませんでした。
R-P9202756 R-P9202752 壁面。
R-P9202753 蘇鉄でしょうか。
R-P9202760 金田漁港に着きました。
此処で昼食休憩を取りました。
此処の朝市は有名です。
R-P9202762 のどかな、静かな海.
暑くもなく、寒くもなくいい日和です。
R-P9202765 休憩を終わり
金田山清伝寺に行きます。
清傳禅寺の寺号標の上部には、臨済宗建長寺派と、
三浦観音第八番と書かれてありました。
R-P9202767 開山は建武年間(1334年〜1335年)、桃源宗悟禅師の建立とされています。
本尊は聖観世音菩薩です。
清伝寺には、カッパの証文の伝説が残されています。
寺の脇を流れている川は「すずの川」といいます。
昔はこのあたりまで潮がさかのぼり、川でスズキ(鱸)が釣れたので「すずき川」と
呼ばれていましたが、いつしか「すずの川」と呼ばれるようになりました。
伝説の一端を見ても、昔から現在に至るまで、三浦半島は隆起しているというのが
わかりますね。
昔はこの付近は深い森に囲まれた寂しいところで、すずの川にはカッパが住んでいました。夜となく昼となく、里人をだますいたずら好きのカッパで困っていました。
ある日、農夫が馬を引いて川に下り、杭に手綱をつないで馬を洗い始めると、いつの間にか手綱が解けていました。結びなおしても解けてしまうので、カッパのいたずらだと気が付き、杭を固く縛ってカッパを捕まえてしまいました。
普段からいたずらに困っていた里人たちは、よってたかってカッパを懲らしめていると、騒ぎを聞きつけてやって来た住職が見兼ねて止めに入り、カッパを助けてあげました。その代わり、人をだますような悪さをしないように良く諭したとのことです。
非を悔いたカッパは、詫び証文を書いたといわれています。
R-P9202769 お寺の境内に笠森稲荷があります。
大阪府高槻市にある稲荷神社と、そこから勧請された神社である。
笠森稲荷神社、笠森神社(かさのもりじんじゃ)とも呼ばれる。
笠の訓読により、
瘡(かさ、かさぶた)平癒の神として信仰された。
理由は分りませんが三浦半島では、神社仏閣に関係なく、稲荷社が祭られています。
R-P9202771 荒れ果てていますね。
今は瘡の人が少ないからお参る来る人も少なくなっているのかな。
R-P9202772 境内に有った蓮の実。
R-P9202773 何か曰くののありそうな鐘ですが良く解かりません。
R-P9202774 寺のすぐわきに河童伝説のスズキ川が流れています。
伝説によればここまで海水が上がってきたといいます。
R-P9202777 清伝寺を後に走湯神社に向かいます。
走湯神社と書いて、「そうとうじんじゃ」と読みます。
ついつい、「そうゆじんじゃ」と読んでしまいますね。
走湯神社は、地元では「金田の権現様」と呼ばれています。
R-P9202782 水盤舎。
R-P9202783 建立は、寛政12年11月とありました。
調べたら西暦1800年です
傷みが激しく、顔の鼻の部分がかけていました。
R-P9202784 実際に使われいた物かどうかは、わかりません。
常夜燈ですが、こちらは昭和16年に納められたと読めました。
R-P9202791 祭神は天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)です。
一般的には、水田などの農耕の神様です。
寛治元年(1087年)伊豆国加茂の金田走湯神社から分祀されました現在の社殿は
大正14年(1925年)に改築されたものです。
毎年、7月20日と、7月21日、夏の例大祭が行われます屋台が地区内を回り、
見せ場では屋台を豪快に引き倒します。
屋台にはそれぞれ五穀豊穣、天下泰平、国家安泰、大漁萬作、家内安全
などの願いが込められています。
3月14日には祈年祭の春祭、10月14日には例祭の新嘗祭、
12月14日には秋祭が行われるみたいです。
R-P9202793 この神社にも庚申塔が何体かありました。
一番右は青面金剛ですね。
この青面金剛も、右手に女性をぶらさげています。
この女性はショケラって言われています。
真ん中は文字碑です。
この写真では見えませんが、この庚申塔にも上部に日月が掘られています。
非常に彫りが浅いので、見えづらいです。
明治三十五年と書いてあり何とか衛門と読めます。
調べると西暦では1902年です。
一番左の庚申塔は、修復しています。
上から漆喰を塗りなおしてあるようです。
主尊の青面金剛が合掌しています。
R-P9202794 続いて金田山円福寺に行きます。
三浦七福神巡りで、恵比寿様のお寺です。
とくにここの恵比寿様は、金光恵比寿(きんこうえびす)と呼ばれています。
山門前に鎮座しています。
R-P9202800 浄土宗のお寺で、金田山円福寺といいます。
R-P9202801 遠い昔のある夜のこと、金田湾の海上に光るものを通りがかりの漁師さんが
見付けました。
これを怪しんで舟を寄せて拾い上げたところ、黄金に輝く恵比寿像でした。
大漁満足の瑞兆と喜んで、持ち帰って草庵を建ててお祭りしました。
そしてその草庵には、村人がこぞってお参りにきました。
R-P9202803 大銀杏や槇の古木を見ながら進みます。
R-P9202804 階段を登ると左側に平成8年落慶の鐘楼堂が見えます。
R-P9202806 南下浦散策3/4回目終わります。