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感じたまま

日々感じたこと。 外歩きや、見学をしたことを記録しています。

2020年08月

今日8月31日はダイアナ妃が亡くなった日です。

ダイアナ妃交通事故死。


シニアの皆さまご記憶がありませんか
今から23年前です。

ダイアナ妃


こうやって過ぎ去ってみると月日の経つのが「光陰矢のごとし」とは
よく云ったものですね。

ダイアナ妃はなぜ世界を魅了したのか。



1997年の出来事。

渡辺淳一の「失楽園」がベストセラーになったのは此の年だったね。

皆様にはどのような思出、記憶が有りますか。




友人のお宅の、庭に咲いた「酔芙蓉」です。
写真を頂きました。

朝咲き始めた花弁は白いが、時間がたつにつれてピンクに変色する八重咲きの
変種であり、色が変わるさまを酔って赤くなることに例えたものですね。
なお、「芙蓉」はハスのことです。
混同しないように。

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映画アラビアのロレンスをテレビで見た。

アラビアのロレンス。

古い映画ですが、4Kレストア版だったので、映像はすごくきれいでした。

冒頭ロレンスがオートバイ事故でのあっけない死はびっくりさせられた。

4時間に渡る超大作であり、物語の内容もともかくとして

夜となく昼となく表情を変える砂漠の美しさに驚かされる。

その砂漠に描き出される色彩のコントラストが見事な描写です、

どのシーンを切り取っても一枚の絵画に成り得るようなフレーミング。

監督や技術陣のすばらしさに圧倒されます。

もう二度と、実写でこれほどの規模の、これほど美しい映画はないだろうね。

ただし物語、前半は良かったけど、後半は長く政治的なことになり冗長な感じでした。

ただし現在に続く中東の問題がこの頃起きたことを理解できます

ロレンスが英雄なのかと思ったら、何だこんな結末に、という感じでした。

アラビアのロレンス映像。


途中で休憩が入ります。
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これはテレビ画面をスマホで映したものです。
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3時間48分の長編。
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薬師池公園散策6/6
最後です。

町田薬師池公園(HPより)
四季彩の杜はあらゆる世代の人々が集う公園です。

園内のエリアそれぞれに、楽しみ方や過ごし方があり、

子どもたちは大地を駆け、生き物に触れ、新しい発見を楽しむ。

おとなたちはゆったりと時を過ごす。そこには自然と笑顔が集まります。

園内を彩る四季折々の草花が、訪れた皆さまの癒しとなりますよう。

この付近は梅円です。

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自由民権の像の説明。
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自由や権利という言葉が、人びとに新鮮な感動を与え、人間の精神の内に
秘めた活力を呼び起こす、という時代がありました。
近代に入ってもまだ憲法もなければ国会もなく、自治も市民的自由もなかった。
1870-1880年代がそういう時代でした。

当時の町田市域は、神奈川県の行政区にあって、
南多摩郡に属しており、自由や権利への実現への願いが、もっとも強く満ち満ちていました。
この地域は、武蔵国の辺境でありながら、相模国と接し、武相自由民権運動の
中心的な地域となる可能性と、エネルギーを内包していたのです。
ちなみに三多摩が東京府に移管されたのは1893年のことでした。

神奈川県内の自由民権運動を指導した石阪昌孝(野津田)をはじめとして、
村野常右衛門(野津田)、青木正太郎(相原)、細野喜代四郎(小川)、
若林高之亮(下小山田)など魅力あふれる民権家を生み全国でも有数の
豪農民権運動を展開しました。後発の若林美之助(下小山田)や
石阪公歴(野津田)ら青年たちも、民権の理想に燃えて活動をくりひろげました。
この活気に満ちた時代の創造力と、情熱にあふれた青年たちの奮闘と
努力をあらためて現代に呼びさまし、そして未来に伝えるために、
ここに自由民権の像を建立します。
[記念碑より]

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蓮池に行ってみました。
悪い予感・・・・
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一輪咲いて居ました。
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蕾も一輪。
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これは種になっていました。
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此処にも蕾が。
三つに分かれていた蓮田でこれだけでした。
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綺麗なモミジ。
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新東京百景薬師池公園の碑。
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西園に行ってみることにしました。
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この付近は花菖蒲田でしょう。
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キツネノカミソリ(狐の剃刀)はヒガンバナ科の多年生草本球根植物である。

盆(8月なかば)前後になると花茎を 3050cmほど伸ばし、
先端で枝分かれした先にいくつかの花を咲かせる。雌雄同花で花弁は橙色が6枚。

R-P8027063狐のカミソリ

水車小屋。
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玉アジサイ。
これは蕾。
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タマアジサイ(玉紫陽花)は、アジサイ科アジサイ属の1種の落葉低木。
開花しました。
同じ場所でも開花状況はかなり違いますね。

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薬師池公園西園に着きました。
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今日も暑かったね。
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西園から歩いて10分ほどの此の停留所から町田に出て帰りました。
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この付近は調べると色々面白い歴史があるのが分かります。
興味のある方ググってみてください。
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小田急の町田駅に出ました。
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薬師池公園散策を終ります。

今回、当てにしていた薬師池公園の大賀蓮が梅雨時の天候不順のために
思うように咲いて居ませんで、見られなかったのが残念ですが、それなりに
珍しいものも沢山さん見られました
同行の友人の皆さまお世話に成りました。




薬師池公園散策5/6

薬師池公園に向います。
真っ白な百日紅。
R-P8026967猿スベリ

鐘楼が出てきました。
薬師堂ですね。
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キンシバイ(金糸梅)はオトギリソウ科オトギリソウ属の半落葉小低木。

中国原産で、江戸時代の宝暦10年(1760年)に渡来したといわれ、
古くから観賞用として栽培されてきた。
花の形が良く梅に似ており、色が黄色であることが名前の由来である。

花期は6月から7月。
常緑の低木で、高さは1m。
庭木や地覆い用植え込みとして、北海道をのぞく日本各地に植えられている。

R-P8026976きんしばい

野津田薬師堂の由来。

野津田薬師堂は、聖武天皇天平年間に行基菩薩作の薬師如来を本尊とし
普光山福王寺と号して創建、新田義貞の兵火に罹り当地に移されたといいます。
別当寺華嚴院は、興満聖人(天正41576年寂)の代に現在地へ移転、
現在も華嚴院が別当を勤めています。

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采女霊神。
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はじめて聞いた理容の神様。
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現在の野津田薬師堂の建物は、明治16(1883)に再建されたもの。
本尊の木造薬師如来坐像は、像高70.6センチメートルの欅材の一木造で、
平安後期から11世紀ごろの作と考えられており、
1987年には市の有形文化財に指定され、町田市屈指の古い仏像として現代に
伝えられている。

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薬師池公園の由来。
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本堂。
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本堂内。
天井絵が素晴らしいと聞きました。
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これも薬師堂。
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参道脇に生え伸びるイチョウの大木が見事。
天蓋のように枝葉を広げるこの立派なイチョウの木は、
町田市名木百選にも選ばれている。

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休憩所と書いてあったが、なぜか象の置物が有りました。
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此れから薬師家公園に向います。
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梅園の中を通って太鼓橋を渡ります。
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薬師池。
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雲が映っています。
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薬師池公園散策5/6回目終ります。



薬師池公園散策4/6

ふれあい館の中の農機具の展示です。
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鍬類いでしょうか。
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左に脱穀機が見えます。
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足踏み式脱穀機。
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此のフアンはどういう時に使うでしょうか。
多分、籾と籾殻を分けるのに使ったのかな。
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私は百姓仕事をしたことが無いのでわからないものが多いです。
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石臼でしょうが木のおけに入っています。
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蓑とカマス。
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だいはち車。
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真ん中の者は「ショイコ」
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暖房器具ですね。
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鋸、鑿他。
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鍋釜コンロ。
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真ん中の赤いものは「角たる」
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箱膳ですから昭和30年代前半でしょうね。
ただ、ラジオらしきものが床に置いて有るのがちょっと気になりました。
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薬師池公園散策4/6

ふるさと館を出ます。



百合ですが「タイガーリリー」らしい。

わが国の各地をはじめ、朝鮮半島や中国に分布しています。
人里近くに生えていることが多く、古い時代に中国から伝わったものでは
ないかと考えられています。鱗茎は卵球状で、茎は1〜2メートルになります。
披針形の葉は互生し、葉腋に紫黒色の珠芽(むかご)をつけますま。

近縁の「こおにゆり」には、この珠芽がつきません。
月から8月ごろ、茎の先端に濃い橙色の花を咲かせす。
内側には黒紫色の斑点があります。
別名で、「てんがいゆり(天蓋百合)」とも呼ばれます。
こういう話もあります。

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ヤブミョウガの花。
R-P8026964ヤブミョウガの花

公園の前を通ります。
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薬師池公園散策4/6回終ります。


薬師池公園散策3/6

門をはいるとすぐそばに、

自由民権の碑(透谷・美那子出会いの地)が有ります。

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北村透谷は、多感な青年時代に自由民権運動に参加し、
多摩の個性的な人物と交流しています。
また、254か月の短い生涯での文学活動の原点には、
彼の自由民権運動への参加や離脱体験、多摩の人びととの交流、
石阪昌孝の長女美那との恋愛がありました。
1985113日に、民権の森(石阪昌孝屋敷跡、現在のぼたん園内)に建てられました。

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牡丹園の中を散策します。
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何の木でしょう。
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花の木。
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ハナカエデ。
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これもジャノヒゲでしょうか。
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ジャノヒゲ。
R-P8026920ジャノヒゲ

牡丹園内、牡丹の花が咲くと綺麗でしょうね。
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紅葉の時期もいいでしょうね。
可愛い水車。
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牡丹園を出て
ふるさと農具館へ。

町田市ふるさと農具館は、町田の農業を後世に継承するため、
また多くの市民に農業への理解を深めてもらうことを目的に設置しました。

農具館には、パネル館、ふれあい館、体験実習館の3つの建物があります。

パネル館では、農業をテーマとしたパネルや写真を展示し、
町田の農業などを紹介しています。

ふれあい館では、農家の人が使ってきた農機具や生活道具を展示しています。

体験実習館では、七国山地区で収穫した菜種を使い、油しぼりを毎月1回行い、
ここでつくられたなたね油の販売をしています。

季節により七国山地区で収穫したソバも販売します。

ふれあい館に入ります。

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薬師池公園散策3/6回目終ります。

薬師池公園散策は一回飛ばします。

今日8月21日は沖縄からの学童疎開の生徒、引率の先生、他を載せていた
対馬丸が米国潜水艦によって沈められた日です。

対馬丸事件とは、1944821日、日本郵船の貨物船「対馬丸」が、疎開学童、
引率教員、一般疎開者、船員、砲兵隊員1,788名を乗せて、沖縄から長崎へむけて
出港したが、1944822日夜、鹿児島県・悪石島の北西10kmの地点を航行中に、
米国海軍の潜水艦ボーフィンの魚雷攻撃を受けて沈没した事件のこと。

ほとんどの乗船者は船倉に取り残され、海に飛び込んだ人も台風の接近に伴う
高波にのまれたため、犠牲者数1,418名(20048月現在、氏名判明分)に達した。

救助された人々に対しては箝口令がしかれ、対馬丸が撃沈された事実を話すことを
禁じらた。

対馬丸事件が知られるようになったのは第二次世界大戦後しばらく経って
からのこととなった。

195010月、犠牲者の家族たちは遺族会の活動をスタートさせ、1997年、
遺族会からの要請に基づいて行われた悪石島沖海底捜索の結果、
1212日船体が発見された(北緯2931.93分、東経12932.90分、水深871m)。





薬師池公園散策2/6


野津田神社から、ボタン園に向います。


ムクゲと似ていますが、これは芙蓉です。

芙蓉はアオイ科フヨウ属の落葉低木。

7月10月初めにかけてピンクや白で直径10〜15cm程度の花をつける。
朝咲いて夕方にはしぼむ1日花で、長期間にわたって毎日次々と開花する。

同属のムクゲと同時期に良く似た花をつけるが、直線的な枝を上方に伸ばす
ムクゲの樹形に対し、本種は多く枝分かれして横にこんもりと広がること、
葉がムクゲより大きいこと、めしべの先端が曲がっていること、
で容易に区別できる。フヨウとムクゲは近縁であり接木も可能。

R-P8026862芙蓉

バナナの木を植えてあるお宅が有りました。
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此処で右に曲がります。
直進すると薬師池方面です。
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雰囲気の良い道を歩きます。
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牡丹園の塀ですが此処を入り口と間違える人が入るからかな、
門にはベンチで塞いであります。
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ふるさと農具館の前を通ります。
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大きな表示板が。
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やたらに表示が有ります。
町田牡丹園。
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牡丹園の中に入ります。
開花時入園料は有料ですが今は無料です。
牡丹の由来と歴史が書いてありました。
牡丹。
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園内に入りました。
名前分らず。
R-P8026874ジャノヒゲ

百日紅。
R-P8026882ガルスベリ

園内の様子。
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原始林の面影が。
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民権の森に行ってみます。
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森の中に入ると涼しいですね、何故でしょう
此処に出ています。

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民権の森の説明文。
石坂正孝の屋敷跡、北村透谷と石坂正孝の長女、美那が出会った場所である
ゆかりのあるこの地を「民権の森」名付け歴史と文化が刻み込まれたた緑と
森を守っていくことにしました。
町田市。
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石阪昌孝の墓
石坂昌考の生涯

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再び牡丹園の中に入ります。
ヘメロカリス。
R-P8026904ヘメロカリス

牡丹園の中の有る。

北村透谷・美那子(石坂昌考の長女)出会いの碑へ進みます。

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薬師池公園散策2/6回目終ります。

薬師池公園散策1/6

薬師家公園に蓮の花を見に行ってきました。

薬師池は、1982年に「新東京百景」、1998年には「東京都指定名勝」に指定。
さらに、2007年に「日本の歴史公園100選」に選定された町田市を代表する公園です。
園内中心部には池があり、梅、椿、桜、花しょうぶ、大賀ハス、新緑・紅葉等、
四季折々の彩が訪れる人々を楽しませてくれます。


活動データ
友人が記録を取ってくれました。
こんな風に歩いたのかと。
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これも高度差が出て、楽しめますね。
私もこのソフト入れて在りますがまだ使いこなせないのです。
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小田急線の黒川駅からバスに乗り20分ほどで着いたと思います。
薬師池公園には普通は町田からバスで行きますが、今回は
寄りたいところもあったので黒川から行ってみました。
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野津田神社に向います。
人っ子一人歩いて居ません。
強い日差しです。
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左側から来ました。
此処でここの場所で方向転換するように曲がります。
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タマスダレ(玉簾)は、ヒガンバナ科タマスダレ属の球根草。

和名の由来は、白い小さな花を「玉」に、葉が集まっている様子を
「簾」に例えたことによる。

R-P8026837玉すだれ

着きました。
野津田神社。

野津田神社は、町田市野津田町にある神社です。
野津田神社の創建年代等は不詳ながら、元禄13年(1700年)に
湯花神事が行われたいい、五社明神と称していたといいます。
明治21年(1888年)御霊神社と改称、明治42年(1909年)には
上ノ原の春日神社、本村の幸山神社、並木の伊勢神社、
川嶋の御嶽神社を合併、野津田神社と改めたといいます。

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丁度、草刈りと清掃をしていました。
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本殿です。

祭神
伊邪那岐命、伊邪那美命、国常立尊、天照大神、天津児屋根命、日本武尊

此処の灯篭は亀の上に載っています、珍しい。

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集会所でしょうか、新しいものが出来ていました。
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上の写真の建物の正面です。
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庚申塔だと思いますが、何かが巻き付いているように見えました。
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よくあるこんなものも。
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古い狛犬。
年代は分らず。
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もう一度正面からゆっくり見ました。
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社号標の脇に何故かお地蔵さん?らしきものが。
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野津田を後にして先に進みます。
お日様がこれでもかとばかり、照り付けています。
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カノコユリの群落が。
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アップ

カノコユリ(鹿の子百合)ユリ科ユリ属の多年草。
別名、ドヨウユリ(土用百合)、タナバタユリ(七夕百合)

江戸時代にはシーボルトがカノコユリの球根を日本から持ち出し、
初めてヨーロッパで知られるようになった日本のユリとされる。
明治時代には煮て乾かした球根が菓子原料として中国に輸出された。
大正時代には球根がアメリカに輸出され、クリスマスや復活祭用の
生花に用いられた。
戦後には海外で観賞用花としての需要が高まり、高度成長期には
良質なユリを生み出すための品種改良が行なわれたが、
1970年代以降には海外での需要が減少した。

R-P8026860カノコユリ


薬師池公園散策1/6回目終ります。


今日8月16日は1943年に上野動物園の猛獣殺処分命令が出された日です。

戦争という物は人間だけでなく動物の命も奪ったんですね。

大達茂雄東京都長官が、1943816日に上野動物園などに対して
猛獣の殺処分を発令した。
これに従って上野動物園では、ゾウ、ライオン、トラ、クマ、ヒョウ、
毒蛇などといった1427頭が殺処分された。
そのほとんどが餌に毒を混ぜての薬殺で、ほかにワイヤーロープを使った
絞殺や餓死、刃物による処分の例もある。

この処分命令はまったく唐突に発令されたものではなかった。
2年前の1941年(昭和16年)811日には、陸軍の指示に応えて、
上野動物園が「動物園非常処置要綱」を作成し、空襲の危機が差し迫った
場合の殺処分方針を決めていた。
同要綱では飼育動物の危険度により、「第一種」である
クマ・ライオン・ゾウ・トラ等から、一番危険度の低い
「第四種」カナリア・カメなどまでに分類していた。
処置の時期については、「第一期の防空下令・第二期の空襲の時に
処置の準備を完了させ、第三期の空襲による爆撃火災の危険近接したる時、
近接の程度に応じて第一・第二種動物を順次処置し、
更に危険のおよぶ時は第三種動物も順次処置す」と定められていた。
飼育動物の収集には多大なコストがかかっており、再取得も困難であることから、
軽率に殺処分すべきではないとの方針であった。
処分方法としては、薬殺を第一義として投薬量も定め、予備的に銃殺とした。

一連の殺処分の中で、3頭のインドゾウの処分は特に著名である。
うち気性の荒い「ジョン」については、命令が下る以前の813日に餓死による
殺処分が着手され、17日目の829日に餓死した。
処分命令により、残る2頭も餓死の方法で殺処分されることになった。
飼育係の菅谷吉一郎は、気性の荒いジョンは処分は仕方ないと思っていたが、
気性が穏やかで性格も優しかった「トンキー」と「ワンリー」(別名「花子」)は
何とか救ってやりたいと、福田園長代理に懇願したという。
後述のように福田も、トンキー達を救う為に他の動物園への譲渡を検討したが、
大達の反対で潰える事となった。
ワンリーは911日、最後まで生き残ったトンキーも923日午前242分に餓死し、
上野動物園のゾウは全滅した。
トンキーの場合、実に絶食開始から30日という長き苦痛と苦悶に満ちた日々であった。
空いた象舎は資材置き場となったが、後に413日の東京空襲で焼夷弾多数の
直撃を受けて破壊された。

こういうことは日本だけでなく各国の動物園で検討、または実施されています。

写真は

昭和18(1943)、猛獣処分となった上野動物園の「ジョン」。
829日、絶食による餓死。

[画像:戦時猛獣処分の対象となったジョン]





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