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感じたまま

日々感じたこと。 外歩きや、見学をしたことを記録しています。

2018年08月

在る時友人たちと雑談していたら一人が「俺、この年になって"自分がこれほど馬鹿だとは思わなかった、思い知った」と言った。

本人はなぜ自分が馬鹿かと言えば「物事を深く考えずに行動して
失敗することが多かった」と言って居ます。

そういう事から言うならば私なども「典型的なバカ」かもしれない。

そもそもバカか、りこうかはどのように定義付けられるのか。

イワユル知恵おくれとかいう者は別にして、区別などつけられるのだろうか。

私の感覚でも優秀な大学を出ても言ったりやったりすることが「バカな事」を
していた人を良く見かけました。

一般的な言い方では「知識が足りない」や「思慮が足りない」、更には
「理解の度合いが足りない」等の時に「アイツはばかだ」という事が多い。

ある特定分野にのみ通暁し、一般常識が欠落している人物を評する場合のバカもある。

有名な話ではあの湯川博士の奥さんが「湯川は馬鹿ではありません」と言ったとか。

イワユル専門バカと言う場合でしょう。

また何かに熱中している人を、例えば「釣りバカ」など言う事が在る。

これは釣りのためなら仕事を投げ出しても構わないと言うバカであろう。

また肯定的に言う場合もある「柔道一直線、柔道バカ」などでしょう。

この話は以下のページを参考にさせていただきました。

馬鹿


写真と本文は関係がありません。
捨てるスイカの種をプランターに終えて置いたらソフトボール大のスイカが
成りました、それも二個も。
恐る恐る切ってみたら、なんと中が赤くなっていました。
冷蔵庫で一晩冷やして食べてみたらなんとこれが甘いのにびっくり。
ナスやキュウリは鉢植えで作る人は多いが、スイカもなるのですね
本当に驚きました。
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東京大学博物館 他4/4続きます。

こういう特別展示もありました。
この展示の説明によれば

日本における人類学と先史学の曙は、東京大学が創設された明治10年(1877年)
に遡る。
それは、初代動物学教授のE. S. Morseの大森貝塚の発掘に始まった。
その後、坪井正五郎が人類学講座の初代教授に付き、明治期から大正期にかけて
日本の古代が初めて発見されてゆく。
本展示では、大森貝塚のみならず、モースが2年の短い日本滞在期間に全国各地で
収集した標本資料の一部と、モースの指導で1880年に開設された「博物場」に
展示された標本を展示する。

この年明治10年の2月15日から9月24日まで西南戦争 が起こっています。(削除) (削除ここまで)

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今回も以前の郵政博物館見学時の様に前半の見学で疲れ切ってしまい
折角の良い展示物をさあ-っと眺めて終わってしまいました。
今になると本当に残念なことをしました。
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初めての縄文人の全身骨(1906年に堀之内貝塚出土)

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これは初めのコレクションボックスの展示品ですが。
説明をしていただいて分かったのですが上前歯の4本に縦の切れ込みが
入っています。
ろくな石器もない縄文時代このような綺麗な溝を歯に彫ったとは
先生方にも様々な意見がありますが、集団の長のような立場の人が威厳を
見せるためのものかもしれませんとのことでした。
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下の前歯は抜いてあります。
このこともそういう意味があったのでしょうか。
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博物館を出ました。
いつ見ても格好にいい安田講堂。
覚えていますか「安田講堂事件」
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東京大学の構内をでて赤門の前に来ましたらこんな説明版がありました。
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上の説明版に出ている「ゆく雲」の中に出てくるお寺はこの浄真寺です。
当時はこの参道も広かったといいます。
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現在は境内地手前の駐車場になっている場所に「桜木の宿」はありました。
木造倉庫がついていた45坪もあった家でした。
この時は、姉のふじも最初の嫁ぎ先から戻ってきており、両親、二人の兄、
そして妹と、家族全員がそろっていて、父親の則義の事業も順調で、
経済的にも家庭的にも最も恵まれていた時代だったのです。
ただ文京区の説明版によれば「法信寺」の左手にあったと記されています。
ここは右手になります。

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一葉塚と右に樋口一葉の像が、左の観音像が「ゆく雲」に出てくる
腰衣の観音様、濡れ仏におわします・・・・がこの観音様でしょう。
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24歳という若さで逝った一葉が、ここで唯一幸せに暮らしていたのです。

そんな一葉のご供養のため、法真寺二十一世顕譽浩永和尚
(平成17年5月30日に往生の素懐を遂げる)が、地元の町会の人々と昭和55年に
「文京一葉会」を発足し、毎年11月23日に「一葉忌」を厳修し、
現在に到っています。 一葉忌は毎年、幸田弘子先生の朗読と、
その年の講師の先生がお話をしてくださるそうです。

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本尊は阿弥陀如来(座像)で、恵心僧都の作と伝えられています。

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本堂前の仁王様。
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左手が本堂、奥が庫裡だと思います。
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東京大学博物館 他これで全部終わります。

東京大学博物館 他3/4回目続きます。


東京大学博物館 他3/4


珠玉の昆虫標本続きます。
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五十嵐邁

企業人としても実績は評価され、1979年から1985年にかけて大成建設の
取締役を務める。
定年退職後、退職金をつぎ込み、それまで全く幼虫期の生態や形態が不明だった
テングアゲハ(Teinopalpus imperialis)の調査団を結成し、ヒマラヤ山脈の
ふもと、インドのダージリンで探索を行った。
結果、キャンベリーモクレンが食樹であることを明らかにするとともに、
各齢の幼虫形態の記載を行た。
その後、信越半導体で社長となる。

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五十嵐邁さんが白木隆会長に送った「発見成功」の電報右上
左は採取した蝶
右側の布状の物はその時採取した網。
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電報部拡大。
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これでもか、と展示してあります。
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展示は皆同じように見えますが色や形、模様が一点ずつ異なっているそうです。
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確かに微妙に違いますね。
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透明な板に
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透明な板に付けてあるので、標本の裏が見えるようになっています。
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とにかくすごい数の標本。
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東京大学博物館 他3/4回目終わります。

東京大学博物館 他2/4続きます。


展示品


3上科6科を含む蝶類の翅は実に色彩豊かで翅型も多様である。

派手な色は配偶行動と関連したり、有毒を示す警告色と種も多い

翅が地味な夜行性のシャクガモドキ科は翅の基部に蝙蝠から逃れる

耳を持つ。
個々に名前が振られていないのでどれがシャクガモドキ科なのか不明ですが
図鑑から左、一番上の物だと思われます。

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アサギマダラ(浅葱斑、学名:Parantica sita)は、
チョウ目タテハチョウ科マダラチョウ亜科に分類されるチョウの1種。
翅の模様が鮮やかな大型のチョウで、長距離を移動する。

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アサギマダラの成虫は長年のマーキング調査で、秋に日本本土から
南西諸島・台湾への渡り個体が多く発見され、または少数だが初夏から夏に
その逆のコースで北上している個体が発見されている。
日本本土の太平洋沿岸の暖地や中四国・九州では幼虫越冬するので、
春から初夏に本州で観察される個体の多くは本土で羽化した個体と推測される。

移動の研究は、捕獲した成虫の翅の半透明部分に捕獲場所・年月日・連絡先などを
マジックインキで記入(マーキング)、放蝶するという方法で個体識別を
行われている。
このマーキングされた個体が再び捕獲された場所・日時によって、
何日で何 km移動したか、あるいは同所で捕獲した場合何日そこに居たかが分かる。

写真の写りが悪くすいません。

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南洋の奇獣
バビルサの頭骨。

バビルサ(シカイノシシ、鹿猪、Babyrousa babyrussa)とは、
インドネシアのスラウェシ島と周辺の島々に生息するブタに似た動物である。
マレー語とインドネシア語で"babi"がブタを、"rusa(roesa)"がシカを意味する。
1属1種で、一般的にイノシシ科に属する。

頭に向かって湾曲しながら伸びる牙は「最後には頭に刺さって死に至る」と
いう話が広まったことから、自分の死を見つめる動物とも呼ばれる。

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体長85-105 cm。肩高65-85 cm。体毛は少ない。 バビルサはその
2対の牙で有名である。
上下の犬歯はとても発達し、頭の方に湾曲している。
オスの上顎犬歯は肉を貫き鼻の天辺から突き出ている程である。
この牙は何のためにあるのかはっきりとしたことはわかっていないが、
牙が折れているオスよりも、牙が立派なオスのほうがよりメスと交尾できることが
分かっている。
時折オス同士で喧嘩をし相手の牙を折るのは、競争相手を減らすためだと
考えられている。

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ヒメネズミの頭骨。
宮尾嶽雄コレクションから。
1cm程の小さいものです。

ヒメネズミ(姫鼠、Apodemus argenteus)は、ネズミ目(齧歯目)
ネズミ科 アカネズミ属 に属する小型のネズミ類の1種である。
日本固有種であり、北海道から九州までの全域に分布している。
同属であるアカネズミとは、生息域が重なることが多い。

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頭胴長65-100mm、尾長70-110mm、後足長18-21mm、
体重10-20gになる。
体毛は、背面が栗色で腹面は白色になる。

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インドガビアル液侵
受け継がれる解剖体
細長い口吻が特徴的な鰐
1920年代以降本学医学部で比較解剖学をけん引した西成甫教授の
比較動物学のコレクションである。

比較解剖学は、解剖学に基づく生物学の分野のひとつである。
基本的には、個々の生物の解剖に基づき、他の生物のそれと比較することに
よって、その体制などを体系づけ、生物学的な知見を得ようとするものである。

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左右非対称の鶏の剥製。
偶然の記録
脚部の色が左右で異なる珍しい鶏である。
発生時に偶発的に起きた事例とされる
沖縄県の畜産業者より導入、標本化された。
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本当、左右の足の色が違いますね。
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正面から見ました。
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アウストラピテクス足、下がかかとです。
足跡化石(印象)と歩行
ラミダスと異なりアウストラピテクスはアーチ状の構造を持っていたものと
思われている。
人類祖先としては極めて稀な足跡化石が直立二足歩行とそれに適した
足構造の存在を裏付けている。


アウストラロピテクス (Australopithecus) は、哺乳類霊長目(サル目)
ヒト科の絶滅した属であり、化石人類の一群である。

アフリカで生まれた初期の人類であり、約400万年前 〜約200万年前に
生存していたとされる、
いわゆる華奢型の猿人である。
頑丈型の猿人(200 - 120万年前)は、以前はアウストラロピテクスに
含めていたが、最近ではパラントロプスに分類することが多。

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新石器時代、女性の土偶
メソポタミア最古級の女性像
女性土偶は農耕開始期先史遺跡で良く見つかるが多くは様式化されている。
展示品は顔毛髪、衣服が具体的に表現されている点、異例である。
他の土偶とは違い、長期利用された女神像であったと考えられる。
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特別展示の会場に来ました。
これはチラシです。
このチラシの下、左に丸い綿上の中にある標本が200年前の江戸時代のものです。
会場では写真撮影は禁止でした。
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展示品についての個々の説明はありませんから、我々素人には
さっぱりわかりませんが、ただものすごいコレクションであることは
分かりましね。
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この中には約200年前の江戸時代に製作された日本最古の昆虫標本、
近代養蚕学の父・佐々木忠次郎やミツクリザメで知られる箕作佳吉
明治〜大正期の昆虫標本、昭和初期に採集された
鳥類学者の侯爵・山階芳麿の昆虫標本、ブータン国王陛下から贈呈された
ブータンシボリアゲハ、昆虫学史上に名を連ねる加藤正世五十嵐邁
石川良輔のコレクションなどが含まれます。

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二番目の写真の蝶が「ブータンシボリアゲハ」です。
標本の下に「ブータン国民からの贈り物」と書いてあります。
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東京大学博物館 他2/4回目おわります。

東京大学博物館 他1/4

猛暑も一段落した日、久しぶりに出かけてみました。
何処に行こうか?迷った末近くて金のかからない東京大学の
博物館に行ってみました。


最寄りの「本郷三丁目駅」

東京メトロと都営地下鉄の駅である。
もちろんバス停も何か所もあります

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歩いていたら神社が見えました。
寄ってみました。
富士浅間神社。
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説明版によればかって本郷に富士山があったということだそうです。
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大正十年の銘が見えますね。
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碑文。
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これには明治十四年の銘があります。
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見えにくいですが左に発起人のお名前が見えます。
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東大の構内に入りました。
珠玉の昆虫標本展が行われています。
説明によれば

東京大学総合研究博物館に収蔵されている約70万点の昆虫標本のうち、
日本の昆虫研究史の源流ともいえる学術標本から現在に至るまで

継続的に収集、研究されてきた秘蔵コレクション約50,000点を一挙公開します

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入館すると真っ先にコレクションボックスと呼ばれるコーナー
があります。
モース発見の大森貝塚土器や、ナウマン発見の象(一部)の化石などがあります。
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展示品
浜珊瑚、鹿児島県喜界島、完新世。

完新世とは

地質時代の年代区分の一つで,約 1万1700年前から現在までの世
人類文化史では新石器時代が完新世に始まる。

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ミドリシャミセンガイ。
奄美大島、笠利湾。

シャミセン「貝」という名で、貝殻様の殻を持つが、貝類ではない。

特異な外観は、日本では三味線に例えられているが、中国では舌やモヤシに
例えられて、命名されている。

太古から姿が変わっていない生きている化石の一つと言われることも多いが、
実際には外形は似ているものの内部形態はかなり変化しており、
生きた化石とは言いがたいという説もある。化石生物と現在のものとは別の
科名や属名がつけられている。

2003年には、殻の形が大きく変化していることから、
生きている化石であることは否定され

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アンモナイト
北海道小平町達布
白亜紀中期
この博物館にはアンモナイトの化石がたくさんあります。
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スケーリーフット
南西インド洋海嶺の熱水ベントで採取。
水深2700m
英国南極研究所寄贈。

ウロコフネタマガイ(学名:Chrysomallon squamiferum)は2001年にインド洋
から発見された巻貝である。
体表に硫化鉄でできた鱗を持っており、鉄の鱗を持つ生物の発見として
注目された。
その鱗の様から俗にスケーリーフット(鱗を持つ足)とも呼ばれる。
後生動物の中で唯一、骨格の構成成分として硫化鉄を用いる生物として
知られている。
長らく国際動物命名規約に則った命名がなされていなかったが、
2015年にChen et al. によって遂に新属新種Chrysomallon squamiferumとして
記載された。

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日本ウナギの卵。
いくら目を凝らしても見えませんでした。
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日本ウナギの幼虫
孵化後3〜4か月
台湾東方海域
1973年 東京大学農学生命科学研究所提供。
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ヘリコプリオン
これは歯の化石です。
群馬県みどり市花輪
ベルム紀前期
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こういう生き物です。
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Polycotylidaeの前足の化石

北海道小平町
白亜紀後期。
[画像:R-IMGP2001 (2)]

コンナ生き物です。
最大 9 メートルにも達しました。
[画像:450px-Edgarosaurus]

カピトサウルス下顎関節部。
日本最古の四肢動物化石。
二億五千万年前の三畳紀前期の宮城県稲井層群から出土
どの様な生き物だったのか映像がありません。
参考にしてください。
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東京大学博物館 他1/4回目終わります。

人というものはいったん嫌われてしまったらよほどのことがない限り、
好かれるということはない。

この事を自分の事として感がえた場合嫌いになっている相手を、
好きになることがありますか、まずないでしょう。

嫌われてしまった場合それを修復するテクニックはない事もないでしょうが
その技術は普通の人には難しいのではないのだろうか。

人間関係というものは嫌われないようにすることが大事で、
いったん嫌われてしまったらどうしようもない、諦めた方がいい。

私たちはいったん自分が下した印象はおいそれと変えないものである。

もし皆さんが誰かに嫌われてしまったら、小手先の親切で仲直りしようと
するよりは、もはや彼との関係は諦めて新しい友人を増やすようにしたほうが
現実的には意味があるしそちらのほうがずっと容易である。

どんな理由であれ、いったん嫌われた相手に何とか好かれようとしなくても良い、
余計なことをすると、かえって溝が深まるばかりである。
そういう人には近づかないようにしていたほうが良い。
自分を嫌いな人は嫌いで結構、もっと別なところで人脈を広げていけば
いいではないかと言う位の気持ちでいたほうが気楽で精神的なプレッシャーも
感じない。
人間関係は状況にも拠るだろうが頑張れば何とかなると言うものではないのである。

写真はみなとみらいの海上保安庁。
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郵政博物館2/2


続きます。

郵便物は専用の容器に入れて運ばれます。
初期のころは竹の行李に漆を塗った物が使われましたがその後
「行嚢(コウノウ)」という布袋になっていきました。
現在はファイバー製やアルミ製のものが使われています。
それにしても「御用」という文字がいかにも御上の仕事だと威圧していると
思いますね。
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郵便物の大きさを計る折尺です。
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航空郵便専用ポスト。
昭和4年4月1日に航空郵便制度が出来ました。
それに伴い航空郵便専用ポストが東京、大阪、福岡に設置され昭和7年には
静岡にも設置されました。
スカイブルーのポストは後に速達専用ポストに受け継がれました。
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物資不足の戦争末期に作られたストーニー製のポスト。
瀬戸物製?
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原爆投下を家族に知らせた葉書。
良く検閲に引っかから無かったのか不思議ですね。
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現代の配達用バイクとポストです。
記念写真を撮ることが出来ます
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簡易保険は大正5年(1916年)10月1日に当時の逓信省
(後の郵政省→総務省郵政事業庁→日本郵政公社)によって創設された。

販売チャネルは営業職員(外交員)と郵便局の窓口である。

加入に際して医師の診断や職業上の制約がなかったため、「簡易保険」と
いう名がついていた。
民間の保険への加入が難しいスタントマンや暴力団関係者など危険度の高いと
される職業の人でも加入が可能だった。
ただし、加入に際する制約が少ない分、契約可能な保険金は一般生命保険に
比べて低く抑えられていた。
また、加入限度額も年齢により700万円から1,300万円と規定されていた。

また、簡易保険は簡易生命保険法によって規定されていたため、
保険業法で取り扱っている通常の生命保険と違い、
様々な特典(公的サービス)があった。
時効期間の違い(3年と5年)などの細かな違いもあったが、
中でも特徴的だったのが「倍額保障」と「非常取り扱い」であった。

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国民保険体操。
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様々な郵便貯金通帳。

お金を金融機関に預ける時、「預金」と「貯金」という二つの言い方があります。
ではこの2つ、どんな違いがあるのでしょう? これは金融機関により違います。

「預金」・・都銀、地銀、長信銀、信用金庫、信用組合

「貯金」・・郵便局、農協、漁協等

この「預金」と言う言葉は、銀行は明治時代、企業や商店主などの事業性の
お金を一時的に預かる役割を担っていた色合いが 強いことから、
「お金を預ける」ので「預金」という言葉が生まれました。

一方「貯金」は本来「お金を貯める」意味です。
「貯金箱」や「たんす預金」と言う言葉にもありますね。
郵便局に自分のお金を「貯める」ので「貯金」という言葉になりました。

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郵便局で使われた様々なそろばん。
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どうぶつゆうびんきょく。

彫刻家はしもとみおの魔法が言葉なき動物たちからのメッセージをあなたの
心に届けます。

動物たちが人間にメッセージを届けようと開いた郵便局
「どうぶつゆうびん局」をテーマに、動物たちが仕事をしている
瞬間を切り取ったような楽しい展示を行います。

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これらの作品は全部木を削り出して作った物です。
実に上手に作ってあります。
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郵政博物館を終わります。

お詫び
http://blog.livedoor.jp/a7617a/archives/76524210.html
赤城自然園3/3の項で「キツネノカミソリ」として載せました
花は「ヤブカンゾウ」の間違いでした。
訂正いたしました。
教えていただいたXさん有難うございました。


郵政博物館1/2

郵政博物館
大手町に「逓信総合博物館」がありましたが平成26(2014)年3月1日に公益財団法人
通信文化協会が運営する博物館として開館しました。

他を見てからここに来たために熱さで疲れ、丁寧に見学しなかったのは
とても悔やまれます。
解り難い場所にあります。
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入館するとすぐに動物が展示してありました。
そばによってよく見たら、木彫りの物です。
今回特別展示 どうぶつゆうびん局へようこそ! ーしもとみお
木彫の世界ーが開催されています。
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良くできていますよ。
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入館するとすぐにkの方のブロンズがあります。
郵便制度の父
前島密。
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日本初の鉄製赤色ポスト(俵谷式ポスト、中村式ポスト)の実物大復元模型。
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明治4年に郵便制度が発足したときの役所。
旧幕府の建物が利用された。
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明治初期は街灯もないため配達時馬車に使われたランタン。
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明治初期の一頭立ての郵便馬車の模型。
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明治10年頃の郵便馬車の模型。
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自動三輪車、昭和10年代の物です。
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左は雪上車、昭和30年代模型。
右は郵便専用車 同じく昭和30年代模型。
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制服、傘、ラッパ、拳銃。
場所によっては配達員は拳銃を携帯していたとは驚きでした。
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郵便自動車、昭和12年製の模型。
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郵便自動車、昭和44年以降、模型。
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郵便鞄、明治四年当時は郵便を利用する人が少なかったためシンプルな
物でしたが、時代が下がってくると鞄は大きなマチの付いたものに
なってきました。
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私たちの世代の方はご記憶があると思います。
郵便、仕分け用の棚です。
県と市の棚が交じっています。
例えば島根、鳥取は一つの区分です、また東京市、横浜市、千葉市などは
一つの区分になっています
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今でも重さと大きさによって郵便物の料金は異なります。
この秤は昭和32年の物で1kgまでは計量できます。
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日本の電信電話事業は、明治2年(1869年)12月、東京〜横浜間で公衆電報の
取り扱いが開始されたことに始まる。
1890年(明治23年)1月に、東京―熱海間で公衆用市外電話の取り扱いが開始
され、同年12月には東京―横浜間で電話交換業務が開始された。
創業当初の加入者数は、東京155、横浜42であった。

アメリカで電話が発明されたのが1876年(明治9年)。
その翌年、日本は世界に先駆けてこれを輸入しているが、それから
電話事業創業まで13年もかかったのは、官営か民営かで議論を重ねて
いたためである。
官営論を進めていたのは工部省、民営論を進めていたのは渋沢栄一を
はじめとする実業家たちである。
しかし明治18年(1885年)に工部省が廃止され、電信、郵便、灯台、
海運などの業務をひとまとめにした逓信省が発足すると官営論が一気に加速し、
明治23年(1890年)、電話事業は郵便事業とあわせて逓信省の所管となり、
国営事業としてスタートすることに決定した。


左、明治23年導入時の電話「ガワーベル電話機」
右、 フランスのディニエ社により1860年頃に製作された印字式モールス

電信機です。
インクのついた円盤にテープを軽く押し付けるとテープ上に符号が印字される
仕組みで、ゼンマイ駆動の時計仕掛けが使われています。

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ドイツ製の日付印字機。
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郵政博物館1/3回目終わります。

8月15日(水曜日)
今年もこの日が来ましたね。
今年は昭和20年と曜日が同じになる年だそうですね。

第二次世界大戦に於ける各国の犠牲者。


日本政府は昭和1963年(38年)5月14日の閣議決定
「戦没者追悼式の実施に関する件」において「戦没者」について
「支那事変以降の戦争による死没者(軍人・軍属及び準軍属のほか、
外地において非命にたおれた者、
内地における戦災死没者等をも含む者とする。)」
であると決定し、戦没者の数を約310万人としてい。

厚生労働省は戦没者の概数を240万としている。



終戦の詔勅。
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以上です。


赤城自然園3/3回目 続きます。

山芍薬の実です。

ボタン科ボタン属に分類される多年草の1種。

花弁は白色で5-7枚、開花時期は4〜6月。
花が開いているのは3〜4日程度。
秋に実が熟すと結実しない赤色と結実した黒色の種子ができる。

和名の由来は、山地帯に生え全体がシャクヤクに似ていることによる.

R-P7265400山芍薬赤く避けた花


R-P7265402

こんな花です。
WEB上からお借りしました。
園芸種として販売されていますね。
[画像:無題]

白いオミナエシ(オトコエシ)。

オトコエシ(男郎花) は、オミナエシ科の多年草。
オミナエシ(女郎花)に姿形は似ているが、花の色は白く、姿は遙かに逞しい。

和名はオミナエシに対立させる形で、より強豪であることを男性にたとえた
ものである。
最後のエシは元来はヘシであり、またヘシはメシに変化する例もあり
そのため本種の別名としてオトコメシもある。

R-P7265410白いオミナエシ

キンロウバイ (金露梅)
バラ科キンロバイ属の落葉小低木。

花期は6〜8月。分枝した各茎先にまたは葉腋に集散花序をつけ、
1〜数個の花をつける。
花の径は2〜2.5cm。花柄があり白毛が生える。

ときに白色のものがあり、白色のものはハクロバイ(別名ギンロバイ )
に分類される。

R-P7265420キンロウバイ

フジバカマ (藤袴)とはキク科ヒヨドリバナ属の多年生植物。秋の七草の1つ。

原産は中国ともいわれるが、万葉の昔から日本人に親しまれてきた。
8〜10月、散房状に淡い紫紅色の小さな花をつける。

また、生草のままでは無香のフジバカマであるが、乾燥するとその茎や葉に
含有されている、クマリン配糖体が加水分解されて、オルト・クマリン酸が
生じるため、桜餅の葉のような芳香を放つ。 中国名:蘭草、香草

かつては日本各地の河原などに群生していたが、今は数を減らし、
環境省のレッドリストでは準絶滅危惧(NT)種に指定されている。

R-P7265417フジバカマ

名前がわかりません、どなたか教えてください。
R-P7265422

フシグロセンノウ (節黒仙翁)
ナデシコ科センノウ属の多年草。

和名の由来のように茎の節が黒褐色になり、茎の上部は分枝し、
まばらな軟毛がある。

花期は7〜10月。野草では珍しい色の朱赤色の花を、
分枝した茎の先にまばらに数個付ける。

R-P7265427フシグロセンノウ

ソウシシヨウニンジン(想思子様人参」

想思子とはマメ科のトウアズキの種子のこと。

トウアズキは中国名で相思豆と呼ばれていて、その実は赤く三分の一程度から
黒くなっていて有毒なのだそうですが、熱処理をすると毒性が減って生薬として
洗眼薬などに使用され、生薬名を相思豆の種(子)だから「相思子(ソウシシ)」
と言うのだそうです。

この種子にソウシシヨウニンジンの種子が似ているからということです。


トチバニンジンに似て居ますが分けて解説しているものが多いです。
R-P7265438


R-P7265437ソウシシヨウニンジン

展望台(と言っても高さ10ほどの高台)からの景色。
良い景色ですね。
R-P7265444展望台からの景色

ヤブカンゾウ(藪萱草)。

キスゲ亜科の多年草の一種。

広義にはワスレグサ属(別名キスゲ属、ヘメロカリス属)のことを指し、
その場合は、ニッコウキスゲなどゼンテイカもユウスゲもワスレグサに含まれる。
また長崎の男女群島に自生するトウカンゾウなどもワスレグサと呼ばれる。

ワスレグサ(忘れ草)は、花が一日限りで終わると考えられたため、
英語ではDaylily、と呼ばれる。
実際には翌日または翌々日に閉花するものも多い。

ムラサキ科のワスレナグサとは無関係である。

R-P7265448キツネノカミソリ

ユウスゲ (夕菅)ススキノキ科ワスレグサ属に分類される多年草の1種。
和名は花が夕方に開き翌日の午前中にしぼみ、葉がスゲに似ていることに
由来する。別名が、キスゲ。

1本の茎の先端が花序が枝分かれして、レモン色のラッパ状の花を上向きに
次々と咲かせる

日本では本州、四国、九州に分布する。田中澄江による『新・花の百名山
で榛名山を代表する花の一つとして紹介されている。兵庫県 美方郡 香美町では
町花に指定されている
R-P7265451ユスゲ

この花の欠点としてはアブラムシがたかりやすい。
アブラムシがビッシリたかっています、気持ちが悪いですね。
R-P7265453ユウスゲにたかるアブラムシ

園内の雰囲気。
R-P7265456

先ほど通った池、反対側を通ります。
前に紹介したミソハギとハンゲショウが前方に見えます。
白い紫陽花が綺麗ですね、アナベルという種類です。
R-P7265457景色

紫陽花の先に読ま百合が咲いています。
この園は今の時期、ヤマユリが嫌というほど沢山咲いていました、
R-P7265458

ノカンゾウ(野甘草)

萓草の名はありますが、ユリ科の草本です。
漢方薬として有名な「カンゾウ」は「甘草」で、マメ科の草本で全く別種です。

夏に高さ60cm前後の花茎を立て、橙赤色の花を数個つけます。
花被片は、長さ7cmほどで6枚です。ただし、花色には変異が多く、
赤色の強いものもあります。

ほとんど結実しません。


属名や和名のワスレグサは、花の蕾(つぼみ)を調理して食べると、
心配事をすべて忘れる程美味しいことからきているという説と、
その美しい花を見ると憂さを忘れることからきているという説があります。

他にヤブカンゾウと、はま甘草というものがあります。

R-P7265461ノカンゾウ

この花も名前がわかりません。
R-P7265462不明

マツカゼソウ (松風草)
ミカン科マツカゼソウ属の多年草。

花期は8〜10月。枝先に円錐状集散花序を出し、多数の白色の花をつける。

松風草の意味は、秋風に吹かれる草姿に、ある趣が感じられるということで
付けられたらしい。
葉の根元の色が薄いですね。

R-P7265464松風草葉の根元色が薄い

お土産物売り場。
R-P7265466

赤城自然園の散策これで終わります。

此処には野生種だけでなく園芸種と思われる植物もたくさんありました。
何故だろうかと不思議に思いました
こういう事らしいです

経営理念の一部を紹介します。
HPより
1980年代に、西武セゾングループの堤清二氏が主導となって、
21世紀の課題「人間活動と自然の平和的共存」に挑戦し、自然の存在形態を発見、
創出して広く市民活動の発展に寄与することを目的として、開発された森です。

堤清二氏がデパートの屋上でカブトムシやオタマジャクシを初めて目にする子ども達の
姿にショックを受けたことが、開発のきっかけのひとつとも言われています。

「花を育てるのではなく、環境を整えることで植物が育つ手助けをする」
美しく快適な国民生活を創造するための総合自然観察園を目指し、およそ30年の
歳月をかけ、元はマツやスギの雑木林を、植生を入れ替え、環境を整備し続けて、
種類豊富な樹木や花々が生きる豊かな森に再生しました。


以上

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