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「新吾捕物帳」三番勝負番外編

森田新吾(もりた・しんご)。1969年1月生まれ。大阪市内の某普通郵便局で郵政3事業の外務をすべて経験。当時から髪の色は金、茶かオレンジ。酔うと郵便局の悪いところを語り出すのが短所と言われている。97年に退職。某競輪専門紙、某スポーツ紙(ボート、競輪担当)を経て、2002年にデイリースポーツへ。当初は競輪担当だったが、03年4月から10年2月まで児島ボートを担当。10年3月から競輪、ボートの取材で各地を回っている。趣味は演芸鑑賞。漫才師の故・若井たまるさんが経営していた立ち呑み「たまやん」で生ビールを呑むのが好き(現在は別人が経営)。ツイッター(@shingo_1969)でこのブログの更新情報が確認できます。

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平塚競輪「GP・KEIRINグランプリ2020シリーズ」はきょう(30日)最終日。11Rで「GP・KEIRINグランプリ2020」が行われ、(4)和田健太郎(39)=千葉・87期・SS=が1着。(1)郡司浩平を追走し、最終3角から内に進路を取り、4角からはあいたコースを踏み込んで、KEIRINグランプリ初出場初優勝。賞金1億340万円(副賞込み)をゲットした。打鐘から主導権を握った(2)脇本雄太(福井)は2年連続2着、(8)新田祐大後位から切り替えた(9)佐藤慎太郎(福島)が3着に入った(本紙HPに記事あり)。
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選手生活18年5カ月の和田がVゴールを駆け抜けた。初出場初優勝は10人目(第1回を除く)。G1タイトルなしでの優勝は小野俊之(04年立川)、有坂直樹(06年京王閣)以来3人目だ。

レースは南関同士で郡司を追走。事前には「(郡司が)勝てるように走ってくれ」とだけ伝えて臨んだ。5番手を確保した郡司は最終1角過ぎからまくり上げる。3番手の(3)松浦悠士(広島)に阻まれると、和田は進路を内に切り替えた。松浦から切り替えて内に入った(5)清水裕友(山口)がまくり上げると、番手の(7)平原康多(埼玉)がブロック。脇本と平原の間にできたコースを和田がすかさず突き、しっかりと踏み込んで優勝をつかみ取った。
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「郡司君が仕掛けたので、前の選手の意識が外に行った。そのおかげで自分の突っ込むコースができただけ。郡司君のおかげです」と和田は郡司に感謝しきりだった。

高校1年から自転車競技を始め、86期で日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)を受験も不合格。2回目の挑戦で合格して競輪選手に。G1初の決勝進出は17年2月の全日本選抜(取手)。直前に父が病気で倒れてしまい、練習がまともにできない中でファイナルに駒を進めた。父は今もリハビリ中だが「この優勝は両親に伝えたい。母がベッドの上の父に新聞を見せてくれると思うので」と喜びをかみしめた。
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来年はG1優勝が期待されるが、スタンスは変わらない。「グランプリでも普通の開催でも車券は一緒。ファンが大事なお金を賭けているし、一生懸命に走るだけ」。賞金王の座に就いても、普段通りの競走を強調する。新年は岸和田記念(1月9〜12日・和歌山開催)から始動。真っ白のチャンピオンユニホームでGP覇者の走りを披露する。

また、果敢に先行した脇本は2年連続で2着。惜しくも優勝を逃した(本紙HPに記事あり)。
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大一番での脇本は「初手は理想の位置。(落車した)競輪祭の分も勇気を振り絞った」と打鐘前の2角から踏み込んで主導権を奪取。「松浦君の動きが想定外で焦りはあった。臨機応変に駆けたつもりだし(優勝した)高松宮記念杯のような走りはできた」と好ペースで駆けたが、最後はあいた内を突いて伸びた和田に差された。

「自分のできる最善は尽くした。これで負けたら仕方がない」。今年は平原との初連係が注目を集めたが「初連係でうまく行った方。お互いにいい経験をさせてもらった。関東勢、近畿勢にもいい刺激を与えられた。お互いを尊重するレースができた。走っていて楽しかった」と振り返った。

今後については「来年は新たなオリンピックイヤーだと思っている。目標をオリンピックに絞って頑張りたい」と語った。延期になった東京五輪での金メダル獲得を目指し、ナショナルチームでの活動が中心になりそうだ。
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