わたしにとって、今年最後の5連休。「勤労感謝の日」を挟んだ「シルバーウィーク」が終わった。小春日和があり、冷たい風が吹く日や、秋の澄みきった青空のキャンパスに、白い一本線を描く飛行機雲は、「一服の絵」として眺めた日もあった。
▼好天を目掛けての「紅葉狩り」や秋の味覚を楽しむ予定もなかった。長い休みを利用して試験勉強の予定だった。「加賀ふるさと検定」の教科書4冊を読み返す日々が予定になっていた。ところが、完全に予定が狂った。
▼大谷哲夫著「永平の風(道元の生涯)」を、秋の夜長に読みふけってしまった。明日の予定がない夜に、朝寝坊できる環境を利用して、若い時分の読書のやり方を復元してしまった。行間の広い大き目の活字は、抵抗なくページが進む。
▼そして、「寝床読み」も再現してしまった。何十年ぶりかに、復活の読書法。眠たくならないから不思議である。数年前に同じやり方で試みたが、10行もいかない間に眠りに入る「睡眠薬」代わりだった。それでも、分厚い小説の、3分の1ぐらいを深夜の2時で止めて、楽しみは翌日に残した。
▼道元の母は、幼くして父の政略的な道具にされて、木曽義仲の側室にもなった。時は、「末法思想」が民衆の心を支配していた。「法然」は「極楽浄土」を望む人々に、「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで往けると説いていた。そんな風潮の中、母「伊子」はこの浄土信仰になぜか馴染めないものを感じていた。
▼せっかく生まれてきたこの世ではないか。それならば最期の最期までの一瞬まで自分の力で生きたい。自分を救えるのは、この自分でしかありえない。この母の遺伝子が道元も受け継いでいた。
▼今から、800年ほど前の「道元禅師」は、距離的に近い永平寺で、「ただひたすらに、座禅にうち込むことが最高の修行である。」と主張しながら、53歳で逝った。せっかくの連休を、ただあれこれと、迷いながらだったことに自戒を込め、道元に一歩も近づけなかった連休だった。
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