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わが家の庭に、まだ、「アサガオ」が咲いている。初夏から晩夏のころに満開していた地植えの朝顔の群生は、役目を終えて種をつけたまま枯れ枝にぶら下がっている。

▼少し離れた場所には、地植えのバラがある。その近く、アサガオのこぼれた種が、初秋に地面から芽を出して、一週間前に咲きだした。支えの竹の棒もないから、上に伸びるために近くのバラの茎に巻きつき、板塀のすき間や木目にすがりつくように上に伸びている。

▼地植えのバラの枝に、巻き付いたころから観察していたが、健気に生きる姿に感動して、そのままにしていたら、四季咲きのバラにも秋の花が咲き出し、アサガオも同時に咲き出した。秋晴れが続く朝の庭は、朝露に光る「薔薇と朝顔」の競演が見られた。

▼目を転じると「石蕗(つわぶき)」の黄色い花が、「わたしも見てほしい」と庭の隅で手を振っている。大きな常緑葉は夏の強い日差しの中でも、黙って目立つこともなく陰にいたが、このときこそと言わんばかりに「火傷や傷」にも効くよと、存在感をアピールしている。

▼春から晩秋にかけて、わが世を謳歌した草花たちは、忘れることもなく子孫を残す種を付け、来年に備えている。当たり前の自然界の営みを毎日目にしている。この摩訶不思議な生態を、若いころには目にも止まらず、考えもしなかった。

▼選ばれた草花だけを植えて、鑑賞する「園芸趣味」もいいけれど、「雑草」だって生き物だ。お盆を過ぎたころから、気ままに生える草たちを摘み取らずにしておいた。共存共栄する地球に生きている「名もある雑草」と共に、同じ環境にいる「わが身」も、一生懸命に生きている「路傍の人」。

▼目に触れる「一期一会」を大切にして、日々を過ごす毎日でもある。

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