聞きましたか、安倍総理の施政方針演説?
中高年なら憶えているかもしれない、坂井義則さんの名前。
聖火の最終走者として国立競技場に入ってきたあの若者です。
でも、坂井義則さんという名前だけで、そのときのことを思い出す人がそれほど多いとは思えません。
私何故憶えていたかといえば、私の小学生のときの友人の一人が、自分の名前と同じヨシノリだといって喜んでいたことが記憶に残っているからです。
で、安倍総理は演説のなかで何と言ったのか?
「五輪史上初の衛星生中継。世界が見守る中、聖火を手に国立競技場に入ってきたのは、最終ランナーの坂井義則さんでした。8月6日広島生まれ。19歳となった若者の堂々たる走りは、我が国が戦後の焼け野原から復興を成し遂げ、自信と誇りを持って高度成長の新しい時代へと踏み出していく。そのことを、世界に力強く発信するものでありました」
「『日本オリンピック』。坂井さんがこう表現した64年大会は、まさに、国民が一丸となって成し遂げました。未来への躍動感あふれる日本の姿に、世界の目は釘付けとなった。半世紀ぶりに、あの感動が、再び、我が国にやってきます。本年のオリンピック・パラリンピックもまた、日本全体が力を合わせて世界中に感動を与える最高の大会とする。そして、そこから国民一丸となって、新しい時代へと、皆さん、共に踏み出していこうではありませんか」
安倍総理が得意な「○しろまる○しろまるしようではありませんか」という台詞が出てきますね。
でも、共に踏み出していこうではありませんかと言われても...
多くの人は何とも感じない筈。
でしょう?
吉本と癒着といってもいいほど仲がいい訳ですから、ここは「○しろまる○しろまるしようではあ〜りませんか」とでも言ったら少しは受けたかも。
しかし、アベシンゾウはそんな冗談は言わない!
いや、言ってはいけない。
あくまでも真面目そうな表情で言うことが肝心。
「任命責任は私にある(キリッ!)」
「丁寧に説明責任を果たしたい(キリッ!)」
「私が嘘をつく筈がないじゃないですか(けしきばんで)」
ねえ、そうでしょう?
まあ、それはそれとして...
こうして紹介された坂井さんは、今回の東京五輪を安倍総理と同じく非常に楽しみにしていたかのように想像される訳ですが...
LITERSが報じています。
安倍首相は「国民一丸」のアイコンとして、1964年東京大会の聖火リレーで最終走者を務めた坂井義則さんの名前を持ち出したのだが、しかし、坂井さんをめぐる一番肝心なことに一切触れなかった。
昨年のNHK大河ドラマ『いだてん』でもクローズアップされたが、坂井さんは1945年8月6日、アメリカが広島に原爆を落とした数時間後に広島県三次市で生まれた。聖火ランナーに選ばれたのもその原爆と深い関係があった。
あらためて、当時の新聞記事や坂井さんのインタビューを読んでみる。国内メディアは選出された坂井さんに「原爆っ子」と見出しをつけ、海外メディアは「アトミック・ボーイ」と呼んでいた。後年になって坂井さんはメディアに、「本当に俺に資格があるのか」と悩んだ末「一億総国民が団結しているのに、一人だけそっぽを向けない。役に立てるのならば頑張らなければ」との思いで決意したと語っている。
(中略)
「選ばれたときは複雑な気持ちだった」という坂井さんだが、聖火ランナーの大役を務めて、五輪本来の理念である平和を真剣に考えた。閉会式では、各国の選手が肩を組み笑顔で歩く姿を見て「それこそが平和じゃないか」と感じたという。しかし同時に、厳しすぎる現実にも直面した。大学卒業後、坂井さんはフジテレビに入社し、記者やディレクターとして五輪に関わった。パレスチナゲリラがイスラエル選手団を殺害するという選手村襲撃事件の起きた1972年ミュンヘン大会、爆弾テロ事件で100人以上が死傷した1986年アトランタ大会も現地で取材した。坂井さんは複数のマスコミに、当時を振り返ってこう語っている。
「平和の祭典などという美しい言葉は捨てた方がいい。五輪はアマチュアの祭典でも平和の祭典でもなくなった。金もうけのための祭典じゃないか」
「アマチュアリズムの理念に立っていた五輪そのものもプロ参入による商業主義が幅を利かせ、金もうけの道具になっています」
「お金や政治に振り回される負の面も見た。純粋な平和の祭典は東京が最後だったかもしれない」
それでも、2020年東京五輪を待ち望んだ。政治や金ではない「平和の祭典」として、「もう一度、五輪の原点に立ち返らなければいけない」「世界の現実は厳しい。だからこそ、本当の平和とは何かということを、日本から改めて発信してもらいたい」という思いからだ。坂井さんは「今度は3人の孫と一緒に」と願いながら、2014年に亡くなった。
坂井さんは、天国でどのような気持ちで安倍総理の演説を聞いたことでしょう。
安倍総理は、地域創世の具体的ケースについても触れました。
「東京から鉄道で7時間。島根県江津市は『東京から一番遠い町』とも呼ばれています。20年以上、転出超過がつづき、人口の1割に当たる2800人が減少した町です。
しかし、若者の起業を積極的に促した結果、ついに一昨年、転入が転出を上回り、人口の社会増が実現しました。
◯◯◯◯さんはパクチー栽培をおこなうため、東京から移住してきました。農地を借りる交渉をおこなったのは、市役所です。地方創生交付金を活用し、起業資金の支援を受けました。農業のやり方は地元の農家、販路開拓は地元の企業が手助けしてくれたそうです。
『地域みんなで、手伝ってくれました』
地域ぐるみで若者のチャレンジを後押しする環境が、◯◯さんの移住の決め手となりました。
『地方にこそ、チャンスがある』。そう考え、地方に飛び込む若者を、力強く応援してまいります」(注:伏せ字の部分は演説では実名)
しか〜し...
名前まで挙げられたこの人、既に島根県江津市から転居して東京に戻っているのだとか。
なんともまの抜けた話!
これ、米国の大統領の演説なら、名前を上げられた人が議会に招待されていて、名前を上げられると立ち上がり、そして議員たちの拍手を浴びる段取りになっていますよね。
中途半端にアメリカの大統領の演説を真似した結果が、このありさま!
し〜らけどり、と〜んでいく、みなみのそ〜ら〜へ。みじめ、みじめ...
ああ、恥ずかしい!
なんだこの総理の演説はと思った方、怒りを込めてクリックをお願い致します。
↓↓↓