[フレーム]
新聞購読とバックナンバーの申込み
×ばつ

【コラム】金子達仁

理解できなかった中国の"制御可能"な情熱

[ 2024年11月29日 11:00 ]

中国サポーターを背にピッチに入る日本代表イレブン(撮影・西海健太郎)
Photo By スポニチ

カンプノウに白い巨人を迎え撃つバルセロニスタ。ボンボネーラでリーベルを待ち受けるボケンセ。カトリック対プロテスタント、あるいはケルト対アングロサクソンという側面も持つ、セルティック対レンジャーズも凄かった。代表チームの試合では、アステカで見たメキシコ対米国戦、ロッテルダムでのオランダ対ドイツ戦が忘れられない。サッカーの世界では、時に、凄(すさ)まじいほどの憎悪に出くわすことがある。

わたしが初めて中国で戦う日本代表を取材したのは、90年夏に行われた第1回のダイナスティ杯だった。横山監督に率いられた日本は、得点力のある福田正博をウイングバックに配するという、現代にも通じる斬新なやり方をとったものの、結果は3戦全敗だった。

日本人記者は2人だけ。宿泊先や食事はチームと同じ。会場への移動は選手と同じバス。練習では初代表で所在なさげだった永島昭浩にPKの相手を頼まれるなど、いまでは到底考えられない牧歌的な時代だった。

もうひとつ、もはや幻としか思えないのが、中国との一戦だった。会場の北京工人体育場は超満員。それでも、試合前の君が代に対するブーイングはもちろん、日本人であるがゆえに危険を感じるような雰囲気は皆無だった。正直、敵意の鋭さで言えば、東南アジアで感じた方がよほど強烈だった。

スタジアムを覆う憎悪の大半が歴史に起因しているためか、21世紀に入って、世界中で観客の空気は柔らかくなった。サッカーだけではない。甲子園での巨人戦も、以前とは比較にならないぐらい穏やかになっている。

中国だけが、不可思議な変化を見せている。

19日に行われたW杯最終予選。中国人が君が代にブーイングをしたことに、驚愕(きょうがく)した日本人がどれだけいただろう。わたしは「やっぱり」としか思えなかった。

しかも、会場の様子を撮影したYouTubeの中には、君が代が流れ始めると、大半の観客が腰を下ろすという映像もあった。薄ら笑いを浮かべて時間をやり過ごした彼らは、中国国歌が始まると立ち上がり、元気よく熱唱を始めた。

わたしは、彼らの行為が恐ろしく醜悪だと感じるが、ただ、憎悪という感情の表れ方としては理解できる。敵の大切なものに罵声を浴びせるのは、以前は洋の東西を問わず見られたものだ。

ただ、まったく理解できなかったのは、その後の彼らの反応だった。

ご存じの通り、中国は日本に1―3で敗れた。わたしの知る常識では、相手に憎悪を叩きつけるほどの情熱は、下手をすると味方にも向けられる。不甲斐(ふがい)ない自軍の選手たちに、鋭い罵声が投げつけられる。

ところが、日本の得点のたびに沈黙するだけだった中国の観客は、試合後、あいさつにきた自国の選手たちをただ拍手で迎えていた。良くも悪くもあれほど情熱的だった観客が、あれほどおとなしく敗戦を受け入れる様、矛を収める様というのは、正直、ただの一度も見たことがない。情熱とは、ときに制御不能になるからこそ情熱のはずなのだが。

日本に対してのみ発揮され、自国に対しては気味が悪くなるほど制御されていた中国人観客の熱情。ということは、あのブーイングも、君が代に対する侮辱的な態度も、すべてはポーズ、ファッションだったということなのか。だとしたら、偽りの情熱に支えられたチームが予選を突破できるものなのか――これは、なかなかに見られない"挑戦"である。(金子達仁=スポーツライター)

続きを表示

バックナンバー

もっと見る

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /