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【コラム】金子達仁

ドイツ完敗もやむなし... これは日本サッカー界の精神構造をも変える大きな勝利

[ 2023年9月11日 06:00 ]

Katastrophe。カタストロフ。惨事――わたしがドイツ人だとしたら、まっさきにこんな単語が頭に浮かぶ。

栄光に包まれたドイツサッカーといえども、忘れたい悪夢はある。ストイチコフ、レチコフに逆転の連弾を食らった94年W杯。韓国によもやの黒星を喫した18年W杯。そして、昨年のW杯カタール大会。ただ、過去のそうした悪夢には、まだ言い訳が残されていた。酷暑だったから。リスクを冒してでも出なければいけない状況だったから。油断があったから――何より、相手が神懸かっていたから。

確かに、カタールで浅野が決めた決勝点は、彼の生涯のベストショットと言ってもいい一撃だった。もう一度やれ、と言われてもまずできない一撃だった。

だが、23年9月9日の日本代表に、神懸かった選手はいなかった。三笘は、伊東は、上田は、冨安は、板倉は、遠藤は、守田は、菅原は、久保は、いつものようにプレーしていた。そして、彼らにとっては標準的な、あるいは少しばかり上出来なプレーの合計値が、ホームで戦うドイツを大きく上回っていた。

ドイツからすれば、痛みを和らげてくれる抗弁が見つけられない惨敗だった。ホームで戦い、復讐(ふくしゅう)を誓っていたであろう彼らにとっては、カタールでの敗北以上にプライドを抉(えぐ)られてしまったかもしれない。

ただ、傲慢(ごうまん)と取られるのを承知でいわせてもらうと、これは仕方のない部分がある。10カ月前にほぼ圧倒していた相手に、地元で惨敗を喫する?サッカーの常識ではまずありえないことだからだ。つまり、サッカーの常識からすると考えられないような変化が、変貌が、というよりも脱皮が、日本サッカーには起きている。

10カ月前、三笘を警戒するドイツ人はほぼ皆無だった。10カ月後、彼らは最低でも4つの目で日本の背番号7に対応していた。菅原という右サイドバックはカタールにいなかったし、W杯に出場できなかった23歳にあれほどやられるなど、ドイツ人からすれば到底想定できるものではない。だが、アジアの中位層から一気にトップ争いにステップアップした30年前にも似た上昇気流が、いまの日本サッカー界には吹いている。

凄(すさ)まじい勢いで経験値を蓄積し、変貌を遂げているのは選手だけではない。

後半、森保監督は概(おおむ)ね上手(うま)くいっていた守り方に手を加えた。正直、この試合のことだけを考えるならば、失着にもなりかねない采配だった。リスクが小さくないことは、おそらく、森保監督もよくわかっていたはずである。

では、なぜ彼は動いたのか。わたしは、W杯ロシア大会での経験が関係しているのでは、と思う。あのベルギー戦。2点のリードを奪った日本は、それまでのやり方を続けるしかなかった。それしか、やり方を知らなかったからである。

ベンチであの逆転負けを見守った森保監督には、自分たちの引き出しの少なさが身に沁(し)みたことだろう。その思いが、ウォルフスブルクで前半の4バックを5バックに変える根っこにあったような気がする。

そして、あえて主導権を手放す戦いに舵(かじ)を切りながら、選手たちは相手の攻撃を封じ込めることに成功した。大差で勝ったこと以上に、後半をゼロに抑えたことの収穫は大きい。

わたしの知る限り、世界王者経験国がアジアの国に連敗したことは一度もない。たかが親善試合。されど、これは日本サッカー界の精神構造をも変える大きな勝利だった。
(金子達仁氏=スポーツライター)

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