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【コラム】金子達仁

歴史的恩讐を超え中国で称賛「日本サッカー」

[ 2024年10月31日 11:30 ]

2000〜01年横浜FMを率いたアルディレス監督(右)とGK川口能活
Photo By スポニチ

衰退。失業。退屈。それが、30年前の英国人が考えた、外国人から見る英国のイメージだった。そこに「危険なサッカー場」という項目を付け加えれば、わたしにとってのかつての英国のイメージも完成する。

だが、若い世代のサッカーファンにとって、英国は、イングランドは、輝かしい世界最高峰の舞台でしかない。変わらないのは曇天と霧ぐらいで、わたし自身も含めて、イングランドに対する印象は信じられないほどに好転した感がある。

これは偶然の産物ではない。陰(いん)鬱(うつ)な英国という印象が、海外からの投資に悪影響を生んでいると考えた当時の政権が、自国に対する暗い印象を払拭すべく、国をあげて取り組み始めたのがきっかけだった。後に"クールブリタニア"と呼ばれるようになったこの政策は、"クールジャパン"のひな型でもある。

"クールブリタニア"の導入が、プレミアリーグの隆盛につながった、とまで言うつもりはない。ただ、この政策が導入された90年代半ばという時期とその後の英国の変化は、見事なまでにプレミアリーグが描いた上昇線と一致している。そしで"クールブリタニア"の戦略のひとつに、スポーツ界への多額の、そしてさまざまな援助が含まれていたのも事実である。全国規模で行われた改装によって、イングランドのスタジアムからは立ち見席とフーリガンが消えていった。

イメージチェンジを果たしたのは英国だけではない。

個人的な肌感覚で言わせてもらうと、30年前と現在では、日本という国に対する世界の好感度は確実に上がってきている。経済的には「失われた」ものが多かったのかもしれないが、国家ブランド、イメージは英国に負けないぐらいに右肩上がりを見せた感がある。

もちろん、その原動力となったのが、アニメであり、食であり、伝統であったのは間違いない。それは、日本政府が積極的に売り込もうとしたものでもあった。ただ、大谷翔平の活躍や、W杯カタール大会での躍進など、スポーツが果たした役割も決して小さなものではなかった。

このコラムでも何回か紹介したことがあるが、かつて英国とアルゼンチンの間でフォークランド紛争が勃発した際、スパーズのファンが「オジーが残ってくれるなら、フォークランドなんかくれてやる」という横断幕を掲げたという話がある。オジーとは、Jリーグでも指揮をとったオズワルド・アルディレス。紛争が原因で退団を迫られていたアルゼンチン人を、一部のスパーズファンは自国の領土と引き換えにしてでも残ってほしい、と訴えたのだ。

もちろん、この行為は物議を醸したし、結局、アルディレスはスパーズを去った。それでも、スパーズのファンにとって、彼は特別な存在ではあり続けている。スポーツにおける愛情は、ときに戦争をも超える。

靖国神社に放尿した輩(やから)を英雄視する人間のいる中国にとって、日本は人気No・1の国、では断じてない。ところが、日本人であるがゆえに中国人が激賞するという希有(けう)な現象が、サッカー界では起きている。上村健一氏に率いられたU―16中国代表が、韓国と2―2で引き分けたがゆえの現象である。

日本では指導者として目立った実績のない上村氏だが、韓国と五分に渡り合った試合内容に、中国では「日本人の指導者だからできた」との声が上がっている。なるほど、スポーツは、サッカーは、歴史的な恩讐(おんしゅう)をも超えることがあるらしい。(金子達仁=スポーツライター)

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