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【コラム】金子達仁

「蹴球」から「足球」へ U―17日本代表に見た日本の進化

[ 2023年7月6日 10:00 ]

U―17アジア・カップでMVPと得点王に輝いた名和田我空(神村学園)=3日、羽田空港
Photo By 共同

子供に聞かれたとする。
「けまりってなに?」

わたしだったらこう答える。
「昔の偉い人たちが楽しんだ、毬(まり)を蹴りあげるお遊戯だよ」

じゃ、続けてこう聞かれたら?
「しゅうきゅうってなに?」

この流れで「週休」や「週給」について聞かれるはずもないから、「蹴球」について聞かれているのだとする。

わたしだったら「ボールを蹴りあうスポーツだよ」と答えるだろうし、念のためにデジタル大辞泉を見てみたら、「革製のボールを足で蹴って勝負を争う競技」とあった。革製、というところは「?」だが、概(おおむ)ね、同意見ではあるらしい。

振り返ってみれば、初めて横浜YMCAのサッカー教室に通った半世紀前、最初に習ったのは「蹴り方」だった。サイドキックはこう。インステップはこう。同世代の元サッカー小僧たちは、大抵似たような入り方をしているのではないか。

だから、隔世の感がある。

先週の本欄で「大きく取り上げられないのは日本サッカーが成熟してきた証」と書いておきながら、舌の根も乾かぬうちにU―17日本代表について触れる。というか、触れずにはいられなくなった。彼らがやっていたのが、「蹴球」ではなく「足球」だったからである。

ご存じの通り、米国や日本、韓国などを除くほとんどの国で、「サッカー」は「足球」と表現される。フットボール。フースバル。フッボー。フチボー。つまり、蹴るスポーツではなく、足のスポーツ。蹴るという行為は、フットボールにおける数ある技術の一つにすぎない。

その昔、日本人は足の裏を使ってボールを扱うセルジオ越後やネルソン吉村に驚愕(きょうがく)した。サッカーを「蹴るスポーツ」と認識する者にとって、完全なる発想の外にあるプレーだったからである。

いまでも、凄いシュートやドリブルについて語る声はあっても、とてつもなく柔らかなトラップを絶賛する声、というのはあまりない。少なくとも、わたし自身は誰かのトラップを絶賛する記事を書いた、という記憶がない。

だが、気付かぬうちに時代は変わっていたらしい。

決勝で対戦した韓国はいいチームだった。展開や審判の判断次第ではもっともつれた試合になっていた可能性も十分にある。正直、ここ数十年でもっとも魅力的なチームですらあった。

ただ、彼らがやっていたのは蹴球だった。「止める」という技術、あるいは意識において、日本との違いは歴然としていた。

象徴的だったのが名和田の2点目だった。起点となった佐藤の縦パスには、ほとんどシュートに近い強さがあったが、これを望月は狭いスペースの中でビタ止めし、間髪入れずに名和田へのスルーパスを通した。

頭が「蹴る球」なわたしには、蹴るという行為の中でもっとも難易度が高い、ダイレクトプレーこそが最高だという思い込みがある。だが、望月がやっていたのは「足球」だった。ダイレクトプレーに酔うのではなく、確率と精度を追求する意識があった。なければ絶対にできないトラップだった。

これは、選手個人の才能、森山監督の教えだけでなく、所属しているクラブでの日常がなければできることではない。なので、大会を制した選手やスタッフだけでなく、わたしは所属クラブのコーチたちにも称賛と感謝の言葉を贈りたい。

あなたたちの指導が、日本のサッカーを確実に変えつつある、と。(金子達仁氏=スポーツライター)

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