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【コラム】金子達仁

このサッカーが続くなら――もう日本代表に期待はできない

[ 2024年3月22日 04:50 ]

2026年W杯北中米大会アジア2次予選B組 日本1-0北朝鮮 ( 2024年3月21日 国立 )

<日本・北朝鮮>試合後、勝利するも笑顔のない日本代表イレブン(撮影・小海途 良幹)
Photo By スポニチ

貧すれば鈍する。貧乏になると、性質や頭の動きまでもが鈍くなる。きっと、そういうことなのだろう。

自信満々で臨んだアジア杯で敗れたことは、日本代表に大きな傷を刻んでいた。そして、未(いま)だ残る痛みが、チームから1年前の輝きを完全に奪い去ってしまった。

W杯予選である以上、負けていい試合などあるはずがない。まして、ホームで北朝鮮に苦杯を喫するようなことがあれば、森保監督の処遇も含め、チームは緊急事態に陥ってしまう。勝つ。何が何でも勝つ。おそらく、それが試合前の総意でもあっただろう。

貧する以前の日本には、目の前の試合に勝つという目的のほかに、もう一つ、見据えているものがあった。多くの選手にとっては、すべての試合が、プレーが、世界一になるための過程だった。

その目標が、消えた。

北朝鮮が頑張ったのは間違いない。前半途中の段階で、スタンドから声援を送った在日のファンたちは絶望的な気分になっただろうし、実際にプレーしている選手たちも、日本との実力差は痛感していたはずである。後半に入り、日本をもう少しのところまで追い詰めた体力と精神力には、正直、舌を巻くしかなかった。

ただ、試合が膠着(こうちゃく)したものになった最大の要因は、日本の側にあった。世界一への道という目標を忘れ、目の前にある試合に勝つことのみに執着した(としか思えない)選手たちは、以前のように徹底して相手を蹂躙(じゅうりん)しようとするでもなく、ゆるゆると時間を消化していった。

北朝鮮からすると、一番怖かったのは早いパス回しで振り回され、心身共に疲弊してしまうことだっただろうが、開始早々に先制した日本は、一人あたりのボールタッチ数がどんどんと増えていった。あらかじめ考えてボールをもらう選手より、もらってから考える選手が多くなってしまえば、パスなど回るはずもない。パスが回らないから、案外、北朝鮮は消耗しない。後半に食らった猛反撃は、日本が育てたようなものだった。

仮にこの試合が、わたしにとって初めて見る第2次森保体制の日本代表だったとしよう。チームの目標は、世界一になることだ、と誰かから聞かされたとする。

失笑するな、きっと。

一体何度、この試合では日本代表選手たちの、タッチへのクリアを見せつけられたことだろう。もちろん、危険なエリアでのつなぎにはリスクがともなう。しかし、そこから逃げてしまっている限り、最初から最後まで意図を連続させる世界のトップクラスとは戦えない。逆に言えば、仮に敗れることがあったとしても、それが最後尾から攻撃を構築していこうとする意図が裏目に出たがゆえのものだとしたら、わたしは納得する。

失礼ながら、北朝鮮程度の圧力に狼狽(ろうばい)し、クリアで安堵(あんど)しているようでは、明るい未来などまったく展望できない。正直なところ、今回の勝利は、森保体制になってから一番失望させられた勝利でもあった。

田中の先制点は美しかった。堂安の決定機にも片鱗(へんりん)はあった。良かったころの日本代表の特徴すべてが失われたわけではない。ただ、過信に近いレベルにまで高まっていた自信が打ち砕かれたことで、選手たちが目指すものは、確実に卑小になった。

このサッカーが続くようであれば、わたしはもう、日本代表に期待しない。このサッカーが、アジア杯の激痛による一時的なものだということを、祈るしかない。(金子達仁氏=スポーツライター)

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