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【コラム】金子達仁

サウジ戦 ハーフタイム挟まず対処に驚き

[ 2024年10月12日 20:00 ]

<サウジアラビア・日本>勝利を喜ぶ日本イレブン(撮影・西海健太郎)
Photo By スポニチ

計算した通りにはいかないのがサッカーの常とはいえ、これほどまでに想定を超えてくる試合というのは、ちょっと記憶にない。

まず驚かされたのは、サウジアラビアのやり方だった。強敵相手には守りを固めての乾坤一擲(けんこんいってき)。それが彼らの伝統的なスタイルだったが、今回のサウジは、真っ向勝負で日本のボール保持率を削ろうとしてきた。内容を度外視して勝負にかけるのではなく、内容で圧倒しようとしてきた。国内では激しい批判にさらされているらしいマンチーニ監督だが、近年のアジアで、こういう戦いを志向させた監督は彼だけだった。

審判にも驚かされた。実にフェア。アジア杯でも同様の印象を与えてくれた方だが、中立地での公平と、6万人が後押しをしてくる場所での公平はまったく意味が違う。しかも、日本人が公平と感じたからには、サウジ側は「日本贔屓(びいき)」ととらえていてもおかしくないのに、試合が最後まで荒れなかったのは、彼の立ち居振る舞いが、きっちりと試合をグリップしていたからだった。おそらくは近い将来、W杯本戦の最終盤に笛を吹く審判になるだろう。

だが、何より驚かされたのは日本の戦いぶりだった。

W杯カタール大会での日本は、前半と後半で違う顔を見せることが多かった。ダメな前半と凄い後半。流れが変わるのは、いつもハーフタイムを挟んでからだった。言い方を変えれば、ベンチが介入しなければ試合の流れを変えることができなかった、ということでもある。

前半、日本は明らかに戸惑っていた。サウジの姿勢が、やり方が、想定していたものと異なっていたからである。2年前の日本であれば、戸惑ったまま前半を終えていたかもしれない。

ところが、24年の日本は、選手たちが自分たちで対処方法を探すチームになっていた。相手に合わせてやり方を変え、危険な芽を摘み取ろうと試みていた。その象徴が、ベンチからのより明確な指示を求める発言で物議を醸した守田だったというのも興味深い。

変わっていたのは選手だけではない。

前半の日本が一番手を焼かされたのは、左サイドのS・ドサリだった。主に対(たい)峙(じ)していたのは堂安。先制点につながるサイドチェンジは彼からのもので、アタッカーとしてはまずまずの働きを見せたものの、S・ドサリを封じる立場としては、かなりの苦戦を強いられていた。

となれば、後半は堂安に代えて伊東、というのがいつものパターンだったが、森保監督の決断は違った。堂安は残し、前半に警告を受けていた南野に代えて伊東を投入した。堂安はポジションを前に移し、S・ドサリとは伊東が対峙する形となった。

これが見事に的中した。

33歳のS・ドサリにとっては、堂安の技術による挑戦より、伊東の速さの方が怖かったのだろう。後半開始早々に伊東のスピードを見せつけられると、以後、彼の攻撃参加の機会は極端に減った。伊東という存在が、強烈な抑止力として働いたのである。

失礼ながら、これまでの森保監督の選手交代が「ですよね」だったとしたら、今回のは「そうきますか」だった。選手に負けないぐらいの早さで、森保監督も新たな一面を獲得しつつある。

もっとも、わたしにとってこの試合における最大の驚きは、GK鈴木だった。多くのファンが彼の起用をこぞって批判していたのは、わずか半年前の話なのだ。森保監督の我慢が、こんなにも早く実を結ぼうとは、正直、想定外だった。(金子達仁=スポーツライター)

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