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日本メダル1号はモーグル・堀島!「表彰台0%」のジンクス破った予選2回目から復活の銅

[ 2022年2月6日 05:30 ]

北京冬季五輪第2日・フリースタイルモーグル ( 2022年2月5日 雲頂スキー公園 )

モーグルで銅メダルを獲得した堀島(AP)
Photo By AP

日本勢で唯一決勝3回目に進出した堀島行真(24=トヨタ自動車)が81・48点をマークし、今大会の日本勢1号となる銅メダルを獲得した。3日の予選1回目は第2エアの着地を乱して、まさかの16位。過去の五輪で予選2回目から勝ち上がった選手のメダル獲得は前例がない中、ジンクスを破って平昌11位の雪辱を果たした。2大会連続メダルを狙った原大智(24=日本スキー場開発ク)は7位、杉本幸祐(27=デイリーはやしや)は9位だった。

苦しんだ4年間が、折れかけた心を立ち直らせた。日本勢で唯一残った、決勝3回目。第1エア後にターンが乱れ、1度ならず2度も板をコブに取られた。だが「諦めそうになったが、ここで諦めたらダメだと思った」。気持ちと滑りを立て直すと、第2エアは大きなコーク10からクリーンに着地。不屈の闘志が銅メダルをもたらし、潤ませた目からきれいな氷の結晶がこぼれた。

「最低限、表彰台を目標に掲げて挑んだので、それが達成できてうれしい。(メダルが)確定して、やっとホッとしたというか、安心した」

3日の予選1回目はまさかの16位。予選2回+決勝3回の現行方式が採用された14年ソチ以降、予選2回目に回った選手の表彰台は男女通じてゼロだった。「つらかった。最低限、結果が残らないと、自分は競技をしてはいけないのではないかというネガティブな気持ち」に追い込まれたが、ジンクスを鮮やかに打ち破った。タイムも決勝2回目までは25秒台だったが、最後は23秒台。ターンのミスをタイム点でも補った。

4年前までは誰もが認める練習の虫。小4から通い始めたウオータージャンプ場では、2時間半で100本跳んだ伝説を残す。肋骨にヒビが入っても痛みを隠して練習を続け、後日、医師から「もう治りかけている」と言われて両親をあきれさせた。真面目な努力家は五輪選手に成長したが、その性格ゆえに壁にも直面した。

父・行訓(ゆきのり)さんには忘れられない思い出がある。17年世界王者として期待を一身に背負った平昌。エアで高難度の技を跳ぶと聞き、家族間のLINEで頭を冷やすように促した。だが返事は「無理です」。決勝では2回目の第1エア後に転倒。その後は量を追い求めていた練習を質重視に。エア一辺倒だった男が、世界屈指のカービングターンを磨き、総合力で戦うモーグラーへと変わるきっかけとなった。

セレモニーではお盆に3つ並んだ公式マスコット「ビンドゥンドゥン」の記念品から、あえて真ん中を選んだ。その理由は「今度は(表彰台の)真ん中に立ちたいという気持ち」だったから。中学卒業の直前に「未来の私へ」と題した手紙に書いた「必ずオリンピックで金メダルを獲っていてほしい」との願いは、まだかなえていない。「本当の夢は金メダルなので、またここから頑張りたい」。15の自分との約束を果たすため、また新たな4年間の旅が始まる。

だいやまーく堀島 行真(ほりしま・いくま)1997年(平9)12月11日生まれ、岐阜県池田町出身の24歳。両親の影響で1歳からスキーを始め、岐阜第一高から中京大に進学。13年2月の猪苗代大会でW杯デビューし17年の世界選手権ではモーグルとデュアルモーグルの2冠。18年平昌五輪は11位に終わった。W杯通算11勝は男女通じて日本人最多。今季W杯は9戦全てで表彰台に立っていた。1メートル70、65キロ。

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