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あわや退所危機も 競輪との二刀流を完遂した原大智

[ 2022年2月6日 09:19 ]

北京五輪第2日 フリースタイルスキー・モーグル男子決勝 ( 2022年2月5日 河北省張家口・雲頂スキー公園 )

競輪学校(現競輪選手養成所)時代の原大智を指導した大川真護教官
Photo By スポニチ

18年平昌五輪銅メダリストの原大智(24=日本スキー場開発ク)は7位だった。競輪との二刀流で2大会連続出場の快挙を成し遂げた原に、日本競輪養成所時代の恩師、大川真護(まさもり)教官(55)がエールを贈った。

「とにかく実直。いろんな面で苦労したが、明るいし真面目だった」。競輪選手としての顔を持つ原をそう語る大川氏。平昌五輪銅メダリストの看板を引っさげ、入所したのは19年5月だった。だが一時は退所危機に陥るなど、その道はモーグルコース同様に平坦ではなかった。

特別選抜試験を通じての入所となった原は、通常の候補生よりも3週間早く入所し、自転車のイロハを叩き込まれた。モーグル界ではフィジカルでも上位クラスの原だったが、全国から猛者が集まる養成所に入れば別。大川氏は「下半身はガッチリしていて、バネがあった。ただ踏み込むためにハンドルを引く力、腹筋、背筋はまだまだだった。上下半身のバランスも悪かった」と振り返る。ジムトレーニングは週2回。黙々と汗を流す姿を何度も目撃したという。

最大のピンチが、同年9月の卒業認定考査。1回目で基準タイムを満たせず、3週間後の追試に向けて大川氏が付きっきりで指導に当たった。入所式にも多くのメディアが駆け付けるなど、ただでさえ注目を集めていた存在。「落ちれば退所。落ち込んでいたかなと思う。私もプレッシャーを感じた」と振り返るが、弱音は決して吐かなかったという。追試には見事合格。人なつっこい笑顔であいさつに来た姿が脳裏に焼き付いているという。

原は北京五輪を最後にモーグルから引退し、競輪一本に絞る意向を明かしている。大川氏も「筋肉の付き方が違うので、競輪を極めれば他競技には向かなくなる。今回がギリギリ、モーグルに出られる体型ではなかったか」と冷静に話す。そして、競輪選手としての伸びしろは無限。「競輪は選手生命が長い。もっと"勝つぞ"という気持ちを出していってほしい」と期待した。

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