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北の富士さんへの誓い 八角理事長、涙浮かべながら感謝「親方と同じように相撲人生を全う」

[ 2024年12月19日 04:30 ]

北の富士勝昭さんをしのぶ会であいさつする日本相撲協会の八角理事長 =東京都墨田区の八角部屋(代表撮影)
Photo By 代表撮影

11月12日に82歳で死去した大相撲の第52代横綱で、解説者としても人気があった北の富士勝昭(本名竹沢勝昭)さんをしのぶ会が18日、東京都墨田区の八角部屋で開かれた。角界関係者やファンら約2000人が参列。発起人としてあいさつした弟子の八角理事長(元横綱・北勝海、61)は涙を浮かべながら感謝の思いを吐露。恩返しとして伝統文化の継承を天国の師匠に約束した。

しのぶ会が開かれた八角部屋は、かつて北の富士さんが千代の富士、北勝海を育てた九重部屋があった場所。生前には「この部屋から(天国へ)送り出してほしい」と願っていたという。約2000人が最後の別れを告げたこの日、八角理事長は「多くの方々にお集まりいただいたなかで(思いを)かなえられたことを喜んでいると思います」と話した。

祭壇には18年名古屋場所で撮影された笑顔の遺影が掲げられた。戒名は「徳粋院殿釈勝縁大居士(とくすいいんでんしゃくしょうえんだいこじ)」。故人を象徴する「粋」の文字が入った。

発起人代表としてあいさつした際には「北の富士は私の師匠ですので、本日は親方と呼ばせていただきます。昭和53年、私がまだ14歳の時に...」と語ると感極まった。何度も言葉に詰まりながら「帯広空港から、親方と一緒にプロペラ機に乗って上京したことを今でも鮮明に覚えています。14歳で親方に出会えたこと。そのかけがえのない出会いがなかったら今の私はありえません」と、感謝の思いを述べた。

2025年、日本相撲協会は財団法人設立100周年を迎える。厳しいなかにも愛情のあった角界のご意見番は天国へ旅立ったが、「恩返しは大相撲の伝統文化を守り、未来への伝承に全力を尽くし、親方と同じように相撲人生を全うすることだと思っています」と遺影に呼びかけた。 (黒田 健司郎)

≪対戦経験の天龍さん「格好良かった」≫北の富士さんと1度だけ対戦がある大相撲出身の元プロレスラーの天龍源一郎さんも哀悼の意を表した。「元気な時のまんまの写真だった。逆にホッとした感じ。見られて良かったです」と話し、「格好良かった。当時はみんなまねをして銀座に行ったりした」と憧れの存在だった故人をしのんだ。出羽海部屋で北の富士さんの弟弟子だったプロレスラーのグレート小鹿は「自分の浴衣をくれたり若い衆思いの人。(自分は部屋に)3年しかいなかったが、気楽に声をかけてくれた兄弟子だった」と懐かしそうに話していた。

≪琴桜 結果で示す≫現役時代に対戦があったハワイ出身の元関脇・高見山の渡辺大五郎さんは「若い時によくかわいがってもらった。親分みたいな存在だ」と述懐した。大関・琴桜は元横綱の祖父が北の富士さんと同じ時代に活躍した。「幼少期から気にかけていただき、解説でいい評価をもらった時はうれしかった。今の番付があるのも北の富士さんのおかげ。結果で示していくしかないし、そういう報告をするのが供養になる」と約束した。

◇主な参列者 内田勝男(元大関・豊山、元相撲協会理事長)渡辺大五郎(元関脇・高見山)芝田山親方(元横綱・大乃国)音羽山親方(元横綱・鶴竜)玉ノ井親方(元大関・栃東)琴桜(大関)舞の海秀平(タレント)天龍源一郎(元プロレスラー)小橋建太(元プロレスラー)グレート小鹿(プロレスラー)松山千春(歌手)=敬称略=

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