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田中要次「半分自暴自棄」でJR退職 裏方時代には「家3軒ぶっ壊す」交通事故「よく生きてたなって」

[ 2021年12月5日 14:58 ]

田中要次
Photo By スポニチ

名バイプレーヤーとして活躍する俳優の田中要次(58)が5日放送のフジテレビ「なりゆき街道旅」(日曜正午)に出演。国鉄時代から8年間勤務したJRを退職し、上京してから役者デビューするまでの波乱万丈なエピソードを明かした。

今回はお笑いコンビ「ハライチ」の澤部佑(35)、今年4月にピン芸人となったザブングル加藤(47)の3人で東京・赤坂を"街ブラ"。その中で、澤部から「もともと鉄道の職員さんだったんですよね?」と水を向けられた田中は「国鉄(時代)からいた。国鉄最後の採用者です」とし、自身の後には新規採用者がいなかったため「僕ずっと(一番)下だったんです、8年間。毎朝、上司にお茶を。『おはようございます』って言って」と振り返った。

そこから役者を目指すまでには紆(う)余曲折が。「その当時いろいろあって。失恋もしたりとか、事故もしちゃったりとか。なんかいろいろ重なってね、半分自暴自棄だったのかもしれない。これで東京行ってダメだったらもう本当にオレの人生はダメなんだって。それを確かめに行ってやる、みたいな。なんか捨て身な感じだった」。漠然と「映画は好きだったんだけど、じゃあ、その世界で何がやりたいの?って言われた時に本当はまだモヤッとしてた」という状態のまま27歳で上京。最初は照明スタッフを務めたが、俳優の竹中直人(65)が初監督を務めた1991年公開の映画「無能の人」で照明助手を務めたことで竹中と知り合い「翌年に舞台に上げてもらうというね...。そんな奇跡もありましたけど。代役でしたけど」と役者デビューのきっかけを明かした。

その後もどっちつかずのモヤモヤした気持ちのまま裏方スタッフを続けていたが、ある日、照明を載せたトラックを運転中に再び事故を起こした。「自爆した。結構な事故で。家3軒ぶっ壊しました。よく生きてたなって...」。奇跡的に自身は無傷だったが「もう迷いながら仕事しちゃいけないと思って」とこの事故をきっかけに俳優に専念。2001年、木村拓哉(49)主演のフジテレビドラマ「HERO」にバーテンダー役として出演し「あるよ」のセリフでブレークするに至った。

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芸能の2021年12月5日のニュース

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