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2011年02月03日

死刑執行人の日本史

しかく櫻井悟史 「死刑執行人の日本史 -歴史社会学からの接近-」
死刑執行人の日本史


死刑判決と死刑執行は別のモノである。

現在、死刑執行の役を担うのは、刑務官である。

刑務官とは、本来受刑者の矯正教育を担う公務員である。

公務員である以上、上官からの命令には従わなければならない。

刑務官が死刑執行を担う根拠は、法的に非常に曖昧である。

刑務官は、己の意思に関係なく、「死刑執行」という「殺人」を命令によって行なわされる。

死刑廃止の議論において、死刑執行人に対する議論は為されていないに等しい。


本書を読む事で、上記の内容を提起される。




私は、「明確な意図をもって人を死に至らしめた場合」は、当然「死刑、または加害者が死を望むほどの残虐刑が相応しい」と、常日頃より考えている。

だが、その「残虐刑(死刑を含む)」を「誰が執行するのか?」という点については、殆ど考えずに居た。


時に、「誰もやらないのならば、私が執行してやるよ」とすら考えることさえあった。




我々は、本書によって、過去には専門の「死刑執行人」の役割を担う人々が存在した事を知る。

牢番=死刑執行人 ではなく、別途その役割を担う者がいたのだ。




「人を殺す」、「殺人」というのは非常に「特殊な行為」である。

その「特赦さ」故に、「殺人」を犯した者は、ある種の「差別的な視線」に晒される。



歴史上、人の身分に違いのあった時代であれば、その「特赦な行為」を担う人材を確保する事は、そんなに難しいことではなかった。

既に「差別的な視線」に置かれている人々(穢多・非人)も存在したし、切腹→介錯の流れに於いては、介錯人を請われる事は誉れという考えもあった。




今日に於いてはどうだろうか?

死刑執行は、刑務官の役割になっているそうだ。

死刑を求刑した検察官でもなく、死刑判決を下した裁判官でもなく、本来「犯罪者を更正させる」筈の刑務官の役割となっている。




著者は、この本に於いて、「死刑制度の存廃」ではなく、「死刑執行を刑務官が担わされていること」に対して、問題提起をしている。

「死刑執行を刑務官が担わされていること」が、過去からの刑罰実施における変遷の中で「うやむや」とされ、殆どの人がソレに疑問を抱いていない事に対して、警鐘を鳴らしている。




刑務官の募集に際して、「死刑執行も職務に含まれる」という事は明記されていないそうだ。

また、研修などの際にも、「死刑執行」について触れられる事はないと。


日本中にある刑事施設に勤務するにあたって、「たまたま」死刑執行の任を負う施設に配属になった時、時には、自分に順番が回ってきた時になって初めて、「死刑執行を担うのは刑務官である」と知る刑務官が多数いるそうだ。

そして、下された命令には、極稀な事例を除いて、逆らえない。



死刑執行を行なう(行なった)刑務官には、多大なる精神的負担が生ずる。

「命令」され、「殺人者」にならなければならないのだ。




誰が「殺人者」となるべきなのか?


被害者家族なのか、検察官なのか、裁判官なのか、刑務官なのか、希望者なのか。

はたまた、「死刑執行人」という職を設けるべきなのか。




私は、相も変わらず「死刑賛成、つうか残虐刑導入推進派」な考えを持っている。

ならば、「誰がその執行を担うのか?」という事を、しっかりと考えなければならないのだ。


ソレを考えずして、ただやみくもに「死刑でいいだろ」 「死すら生温い」 と言い放つのは、無責任な行為なのであろう。








でも、言っちゃうんだよなぁ・・・


この本は、青弓社amazonコチラのHPからも購入する事ができます。


poponu_august at 23:00│Comments(8)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by まーくん 2011年02月03日 23:17
死刑にするというところで自責の念が起きるのだから、死刑になった時点で、食事を与えるのを止めるというのはどうだろう?
死ぬのは、加害者の体力の勝手ということで、誰も直接的に手は下していないのだから、OKかと(笑)
2. Posted by ぽぽぬ 2011年02月03日 23:40
>まーくん
餓死か。
そうなると、ある意味では「裁判官が死刑執行人」となるのかな?

あとは、刑務官は「飢え」を訴える死刑囚を、無視し続けなければならないなぁ。

自殺されたら「死刑」にはならないから、自殺させてはいけないのだし。

「食事を与えないという行為」で、やはり刑務官が死刑執行人になるか?
3. Posted by うさ 2011年02月04日 09:15
うさは、保健所で犬猫を殺す係のがやだな...。
人間は、悪いことしたから死刑になるけど
動物に何も罪はないのに殺さなきゃなんて耐えられない(T_T)
4. Posted by ぽぽぬ 2011年02月04日 10:53
>うさ
おそらく保健所にも、「保護・収容後、何日経ったので実施」みたいなのがあって、直接ソレに従事する職員がいるはず。

「実施の規定を決めた人」と、「実施する人は別」「犬猫殺しにされているという」事実があるのだろうな。
5. Posted by もげ。 2011年02月04日 16:30
私もコレをはじめて知った時は衝撃を受けました。
誰かが、なんらかの形でやらねばならないんですょね。

でも、ぽぽぬ同様、イコール廃止も反対。

個人的には高給取りの法務大臣がやればいーのに。って、思うこともありました。
6. Posted by ぽぽぬ 2011年02月04日 18:20
>もげ。
法務大臣は、「死刑執行」の実施を下す立場だもんねぇ。

給与に関係無く、ボタンを押すのは法務大臣ってのはアリかもなぁ。

「殺人大臣」とか言う奴も出てくるのだろうが(苦笑
7. Posted by 次のシ者 2011年02月08日 07:12
遅れましたが、この日記は気になっていたので、書かせてもらいます。
法哲学によると、法とは最低限の道徳らしいです。
ただ、道徳を決める基準が功利主義が第一らしいです。
つまり道徳も多数決で決めるらしいです。
しかし、宗教と道徳は切っても切り離せない関係だと思っています。
法もまた宗教かなぁと思っています。
しかし、宗教のない日本で法こそ全てみたいになっていると思います。
死刑もまた殺人なのに、その合法殺人を認めると、法に基づく道徳など崩壊すると思っています。
しかし、死刑執行人の話は少しためになります。
フランス史でも死刑執行人のことが登場しますし、フランス革命ではかなり有名な話になっています。
SBRで言っているように、死刑をやりながら、医療にも従事していたらしいです。
まあ、死刑制度については日本人道徳を変えないとならないだろうなと思っています。
8. Posted by ぽぽぬ 2011年02月08日 09:18
>次のシ者
確かに、現在の日本においては、「罪を犯したから」というよりも、「法を犯したから」という理由で、裁かれている現状があると思います。

ただ、その量刑に於いて、必ずしも「社会的道徳心とは釣り合っていない」という意見も多数聞きますし、個人的にも感じています。

「法と道徳は、少なくとも、今日の日本においては、完全に一致はしていない」というのが、私自身の考えです。

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