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2014年02月

2014年02月27日

『林檎の木を植える』

しかく志村志保子 『林檎の木を植える』
林檎の木を植える


他の人がどうなのかは知らないが、私にはどんなに親しい人に対しても「後ろめたさ」といった感情が必ずある。

それはとても些細なことであり、相手は気づいてもおらず、記憶に残ってすらいないような大きさであったりするのだろうが。


高校三年の夏、みいの幼なじみの真由果がバス事故で死ぬ。

普段は乗らないはずの路線。

何故真由果がそのバスに乗っていたのか分からないまま、小学校からいつも共に過ごしてきた「友達」はそれぞれ別の高校に進学し大学生になる。

離れれば自然と疎遠になってゆく。

大学進学のために引っ越したみいは引越し先の隣人・慎に出会い、彼女が真由果や自分たちに関する何かを知っていることに気づく。

慎を通じてそれぞれが真由果に抱いていた「やましさ」や「後ろめたさ」と直面させられる友達(みい・聖奈・リカ)

慎自身も「親友」や「恋人」との関係に変化が起きざるを得なくなる。


皆が忘れたがっていた、無かったことにしたがっていた、些細な感情が掘り返される。

それは真由果も同じだったのだ。

だからあの日普段は乗らないバスに乗っていた。


心に小さな刺が刺さったまま小さな痛みには気づかないフリをして生きてゆく事は可能なのだが、この物語のように真正面から向き合う機会が訪れることがあるのならば、逃げずに向き合いたいと思う。

poponu_august at 23:35|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2014年02月22日

せめて本名で送って来い。

富川です。先程からのご連絡の中で一部文字化け等があるかと思います。海外から日 本語様キーボードではないので、うまく変換されていな い場合があり,読み辛いかと 思いますがご理解下さい

震災後より寄付金を送金しておりますが,今回日本国内 損金算 入限度を超過し、上海のメインバンクで8300万円程が送金不能となり停止となってしま いました。
既に香港で処理してしまっている為、こちらに戻すと外 貨収入扱いとなってしまい今回の経営計画に大きな誤差が生じてしまいます。また、メインバンクで停止している状況で、本来の業務に利 用する送金等も行えない様になってしまっております。
既に社内では poponu様へご送金する事を決定しており すぐに送金を行い一刻も早く本件を処理したく再度のご 連絡となります.
後々でトラブルにならない様 , 専門化立会いの上 税務申告もこちら で済ませます。
poponu様の手元に入る金額の 内容は以下の通りで す
≪総額送金:8300万円≫
初回送金:1300万円
残高送金:7000万円

(注記)初回送金完了の翌 日に残金7000万円を振込みいたしますので二日以内に全額をお手元の銀行口座にお振込します。
こちらで処理を済 ませてしまいますので、poponu様に税金が掛かる、申告義務等も発生致しません。
どうか私共を救うという事でこの83,000,000円をお受け取り頂けないでしょうか?
是非良いお返事頂けませんか?


poponu_august at 17:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2014年02月10日

2014年2月6日 心療医院 レクサプロ増量

先週の木曜日、毎度のごとく病院へ行った訳ですが、医師の判断で現在服用中の抗鬱剤レクサプロが増量になりました。

今までは10mmでそれなりに安定した状態が保たれていたのですが、ここ一月ばかりはどうもそうではなかった様子で。

通院・診察の度に頓服(デパス)を処方してもらい、突然の不調や外出時に服用したりするのですが、少し多めに処方してもらっているのもあって、その二週間毎に違いはあるものの余るのが日常になっていました。

多い時には1シート余るくらい。


それがここ一ヶ月はギリギリだったのです。

二週間ギリギリだった時には、「今回は調子悪かったか?」程度に考えていたのですが、流石にそれが続いたのはよろしくないなと。


自ら医師にそれを報告し、さらに医師が私の話しをあれこれ聞いた結果、「レクサプロは2錠まで飲める薬だから今回は増やそう」と断言されました。

私も、「はい、それがいいと思います」と同意しました。


頓服が無くなるまで服用するというのが一月続いたのは自身でも驚きで、それだけ不安定であったということに薄々自身でも気づいており、「このままでは良くない事をしでかしそうだ」と考えてもいたのです。



現状、「締切」どころか「返却期限」といったものにまで恐ろしいまでのプレッシャーと恐怖があります。

「締切」は先方さんが「余裕見ているので大丈夫ですよ」と言ってくれるに関係無く、期限というものが存在するのが恐ろしい状態で、映画のレンタルも同様です。



因果関係は分かりませんが、レクサプロが増量になってから、睡眠剤の効きが良くなっている気がします。


ただ、メインである抗鬱剤の増量というのはどこか負けたような気がし、特に今夜などは非常に落ちていたのですが、ある一冊の少女漫画(少女漫画なのかな?充分に大人向けだと思うけれど)に救われ、ちょっと涙したのです。

機会があればその漫画も紹介したいと思っています。


何を負い目に感じ、何を見なかった事にし、何を憎んでいるのか。

そして何を取り戻したいのか。


私は物語によって本当に救われ、生かされているなぁ。

poponu_august at 22:00|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

2014年02月07日

河内守どの影武者を使っていた!鬼武者の頃から!まさに武者!

人は大なり小なり皆「やらかす」生き物です。

そのやらかしが小さければ、例えば立ち小便程度であれば「ふふ、仕方ねぇなぁw」で済ませさっさと忘れてしまうのですが、猟奇殺人であったり巨額の詐欺事件などであると「何だこりゃ!どういう事なの!?」と興味は深まり長引きます。


ゴーストライターやパクリなどは出版や音楽、映像の世界では結構あることで、過去に明らかになったり問題になったりというケースは多数あります。


では何故今回の河内守どのの場合は私はこんなに盛り上がれるのでしょうか?

それはやはり『NHKスペシャル 魂の旋律 音を失った作曲家・佐村河内守』を見て知っていたからでしょう。

「あの人!?」という感覚です。


クラシック音楽に格別興味のない私は、「こういう人がいるのか」と知り、クラシック音楽を経験しているクラシック音楽マニアな友人に「知ってる?」と聞いてみたりするくらいで、CDを買うという発想はありませんでした。

「これがブルーズ・ロックとかだったら違ったのかなぁ」とも思いましたが、既に盲目のジェフ・ヒーリー好きな私は、その音楽が好きか嫌いかで買うか買わないかを決めていたと思います。

ジェフ・ヒーリーの曲はかなり私の好みです。

See The Light
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I Think I Love You Too Much
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Nスペを見た直後に私が「佐村河内守って人知ってる?」と尋ねた友人は、「知ってるけど好みじゃないからどうでもいいw」というスタンスでした。

「一応持ってるけど、興味あるなら貸すよ?」とか言われたかな?

「いや、クラシックはいいやw」と答えたような気もします。


そして時は流れ・・・
(わずか数ヶ月のことでしたが)

「河内守どの影武者を使っていた!鬼武者の頃から!まさに武者!」

です。


素敵なことに、三枝成彰が何故か芥川賞に推薦してみたり(結局選ばれはせず)、

しかく五木寛之(作家)
ヒロシマは、過去の歴史ではない。
二度と過ちをくり返さないと誓った私たちは、いま現在、ふたたびの悲劇をくり返している。
佐村河内守さんの交響曲第一番《HIROSHIMA》は、戦後の最高の鎮魂曲であり、
未来への予感をはらんだ交響曲である。
これは日本の音楽界が世界に発信する魂の交響曲なのだ。

しかく野本由紀夫 玉川大学教授(音楽学者) HIROSHIMAについて
「言ってみれば1音符たりとも無駄な音は無い」
「これは相当に命を削って生み出された音楽」
「初めてこの曲を聴いたときに私は素直に感動した。そして非常に重い曲だと思った」
「言葉で言い表す事自体が非常に薄っぺらになってしまう」
「1000年ぐらい前の音楽から現代に至るまでの音楽史上の様々な作品を知り尽くしていないと書けない作品」
「本当に苦悩を極めた人からしか生まれてこない音楽」

しかく許光俊 音楽評論家、慶応大学教授)
もっとも悲劇的な、苦渋に満ちた交響曲を書いた人は誰か?
耳が聞こえず孤独に悩んだベートーヴェンだろうか。ペシミストだったチャイコフスキーか。
それとも、妻のことで悩んだマーラーか。死の不安に怯えていたショスタコーヴィチか。あるいは・・・。
もちろん世界中に存在するすべての交響曲を聴いたわけではないが、知っている範囲でよいというなら、私の答は決まっている。
佐村河内守(さむらごうち まもる)の交響曲第1番である。


と、どうも偉そうな人達が「その音楽の内容」を褒めているという事実。


しかし、そんな中で音楽学者で作曲家・指揮者でもある野口剛夫は昨年10月発売の『新潮45』で「佐村河内守は本物か」という記事を書いています。

現在は電子書籍で100円で買えるようになっていたので読んでみました。


その内容は、ゴーストライター云々ではなく、純粋に「世間が騒ぐほど良い曲だとは思わない」というものであり、佐村河内守どのが著書で「全聾という事で同情票が入るのが嫌だ」としていながら、同時に「こんなに大変なんだ」と逆に同情を誘う内容全開である事に疑問を抱くものでした。

この時点ではゴーストライター云々ではなく、音楽家として、曲の評価として「佐村河内守は本物か?」と疑問を上げているのです。


引用すると、

「ならばこの「交響曲」の最後で、それまでの全ての苦痛と葛藤を鎮静させるように現れる音楽が、ほとんどマーラーの交響曲(第三番の終楽章?)の焼き直しのような響きになってしまうのは、いったいどう理解したらよいのだろう」

とあります。


『交響曲第一番』を書く前にそれまでの膨大な作曲原稿は全て破棄し、「全聾の作曲家である私しか聞くことのできない、心の耳に届く闇の音色を探し求める」という言葉が、非常に軽くなってしまいます。


野口剛夫は、「佐村河内ブームは音楽以外の力を大いに動員した結果であると考える」とも言っています。



ゴーストライターの存在が明らかになった今は、これらの評価は「佐村河内守and新垣隆」に対する評価になるのでしょうが、音楽であろうが文学であろうが絵画であろうが賛否両論あるのは当たり前です。

消費者は好みで選択するのですから。

『交響曲第一番 HIROSHIMA』が好きな人は聴き続けるでしょうし、元々クラシック音楽に興味のない私は「このビッグウェーブに乗るしかねぇ!」とか思ったりもしつつ「買ってもどうせ聴かないから買うのよそう」となる訳です。


ただ、何かを売る際には「宣伝」というのは大きな役割を果たすのであって、それがさらに地上波のTV放送となると非常に大きな影響力があります。

売上に貢献したという意味では、『NHKスペシャル 魂の旋律 音を失った作曲家・佐村河内守』の存在は無視できません。

私もこの番組で知ったのですから。

いい番組でしたよ!!

『NHKスペシャル 魂の旋律 音を失った作曲家・佐村河内守』
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Mamoru Samuragochi : I'm a fraud, admits "Japan... 投稿者 clip-clop

佐村河内守のNHKスペシャル動画wwwwww



私は、発端からもう暫く続くであろう騒動の終わりまで、佐村河内守がどんな心境でいたのかにとても興味があるのです。

そして、どういった経緯で仕事として音楽制作の依頼を受けるまでなったのか、その後ゴーストを含めてどういったやり取り・人間関係で進んできたのか、ゴーストの存在が明らかになり全聾すら疑われている状況、そして騒動が一段落した時の心境を、佐村河内守に素直に語って欲しいのです。

もうお目目パッチリ髭も綺麗に剃って「よく聴こえます!」と七三分けに明るい色のスーツという姿でも何ら問題ありません。

怒りません。

興味が有るのです。

一人の人間がそうなってしまった理由やその後の心境にとても興味が有るのです。

「わたし気になります!」
えるたそ



いやぁ、もうね、サングラスかけて黒尽くめの服装で乱れ気味の長髪に髭で杖。

そしてあの翻筋斗打つ姿。

痺れます。

私なら、バレた時のことを考えると、あそこまでとても出来ません。

ゴーストを使っていながら、自身を全面に押し出してしまえる度胸に驚いているのです。

ある種の「異形」(見た目ではなくてね)だから惹かれるのだろうと思います。


業界に波紋...佐村河内守で注目のゴーストライターは罪になるの?

新垣どのにはあまり興味はわかないのだよなぁ。

ゴーストとして仕事を受けていただけで、報酬ももらっていたわけだから。






まあ何かしら揉めて今回の告白に至った訳でしょうから、ゴーストの待遇が良くなるといいですね!!

色々な業界で良くなるといいですね!!

poponu_august at 19:30|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2014年02月01日

一市民にとっての現代中国 『チャイニーズ・ライフ』

高校生の頃、『芙蓉鎮』という映画を見る機会があった。
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中国の「文化大革命」を背景に、豆腐屋を生業にする女の物語だった。

この映画を見た当時思ったのが、「文化大革命って何よ?何でこんな事になってんの?」という疑問であった。

突然始まり突然終わった印象であり、「当の中国人たちはこれをどう思うのよ?」と。


そして最近こんな漫画を読んだ。

しかく李昆武、フィリップ・オティエ著/野嶋剛訳
『チャイニーズ・ライフ 激動の中国を生きたある中国人画家の物語』
チャイニーズ・ライフ


帯にはこう書いてある。

中国の普通の少年小李にとって、大躍進、文化大革命、四人組批判、そして驚異的な経済成長の時代はどう映ったのか?


1955年、中国雲南省の昆明に生まれた李昆武は、大躍進政策による飢餓、文化大革命による価値観の大逆転、その後の改革開放路線の中国を生きたごく平凡な男だ。

私はこのごく平凡な一中国人の人生を通して、今まで疑問に思っていた事の一つの解答や知らなかった事を学んだ。


大躍進が始まり「英米に鉄の生産量で追いつけ追い越せ」と鉄製品や木材は溶かされ燃やされる中、地方の共産党員の父のもとには各地から農作物の生産高が報告される。

だがその生産高を合計すると「世界の生産高」を越えている。

それを指摘する母、黙り込んでしまう父。

訪れる飢餓。

無茶苦茶である。


そして始まった文化大革命。

李少年は学友たちと共に、毛沢東語録を武器に経営者や学校の教師らを糾弾してゆく。

しかし父は遠く離れた「教育施設」に送られ、自身も祖父が地主であった事から攻撃を受けもする。

そんな文化大革命は毛沢東の死と共に終わり、混乱の罪は四人組に押し付けて「無かった事」のように流れてゆく。


その後、自身も共産党員となる為に人民解放軍に入るも中々党員にはなれず、得意の絵の才を活かして軍の宣伝部門で働くことになり、その功績でようやく党員に迎えられる。

除隊後は昆明の地方新聞社に勤務、挿絵などを描く暮らしが始まる。



私からすると飢餓や文化大革命というのは隣の国の「歴史的出来事」なのだが、その当事者であったごく普通の中国人には「当たり前のように訪れた日常」なのだ。

英米を「帝国主義」「敵」とみなし、ソ連のスプートニク打ち上げ成功に狂喜乱舞するも、スプートニクが何かを知りはしない。

それが改革開放で気づけば日本製のTVを買うのが自慢になり、ビジネスで富豪となるものが現れる時代になってゆく。

ドラマチックである。

だがそれが当たり前なのだ。


日本では戦前・戦後を舞台にすると一市民の人生がドラマチックな物語になりやすいのかもしれない。

その中国版にも思える。


「父の時代」「党の時代」「金の時代」と章が移り変わってゆく中、小李はごく当たり前に恋に悩み、仕事に悩み、生きることに悩んでいる。

なんだ「普通じゃん」である。



だが私の一番の関心事である「文化大革命」に関しては、当事者たちも本当に「突然やってきて突然去っていった」という感覚のようなのだ。

多くの人間が自身で「労働者こそ素晴らしいのだ!地主や金持ちは悪だ!」と狂乱していた事はまるで他人事であったように過ごしている。



日本でも戦時中に「日本は負けるよ」と言っていた人はいたし、ドイツでも全ての国民がナチスを支持していた訳ではないのだが、国として見ると帝国主義国家であった。

同じように中国は国としてみると社会主義国家であり、現在でも徐々に中身は変容している社会主義国家である。


そこには様々な矛盾(文革の前と後なぞ最たるものだ)が存在し、一市民たちもその矛盾には気付いている。

だがまずは「生活の安定」が優先され、考えることは次の世代に任せようという姿勢がある。


この姿勢は中国だけのものではなく、戦後の日本でもまずは「食うこと」が優先されたであろうし、今現在世界のあちこちで起きている紛争の原因も突き詰めると「生活の安定、衣食住の安定」が無いからといえよう。

極端な話、「食えてりゃ話し合う気にも考える気にもなる」ってことだ。



この先、中国が充分に食えるようになった時、中国という国がどうなるのかは分からないが、とんでもない過渡期に生きた一市民の日常は中々に興味深いものであった。

poponu_august at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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趣味は物語に触れる事です。
(本、漫画、映画、何でも) 様々な物語に救われてきました。
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