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2014年12月

2014年12月28日

凄くざっくりとした感覚だが

まあ最近はそれなりの規模の書店に行くとラノベコーナーがあって、毎月の新刊が沢山平積みになっている訳ですよ。

アレだけあると相当玉石混合なのだろうと思うのですが、中にはシリーズ数百万部のとかもあるようで。


かといって、旧来からある小説も玉石混合で毎月のように新刊が出ていて、売れているものはそれなりに売れてはいる。


ですが、出版関係のある人に聞いた話では、出版社の多くがラノベの売り上げ頼みになっているとの現実があるとか。



私は以前から、直球で何かを訴え掛けるモノよりも、娯楽として読み手を愉しませながらもその実、伝えたい事や訴えかけたい事、考えて欲しい事を織り交ぜている物語こそが至高という思想に取り憑かれています。



それでですね、ここ最近幾つかの物語を読んでいて感じた事がありまして。


多くのラノベと括られるモノは、娯楽としてある程度の水準を満たそうとして在る。

だがそこから一歩踏み込んだ、伝えたい事や訴えかけたい事、私は 引っかかり と勝手に呼んでいるのですが、それが無い。

いや、敢えて無くしている書き手もいる。

ラノベレーベル出身から、一般文芸のレーベルに進出している書き手はラノベの時から 引っかかり を匂わせている。

「ああ、これってそういう戦略なのかな?」と思ったりね。


旧来からの娯楽小説も、非日常の冒険やら色恋やら痛快さがキチンとあった上で、訴えかけてくる 引っかかり がある訳ですよ。

で、出版社が頼みにしていると言われるラノベは、(モノによりけりなのでしょうが)冒険譚としてのストーリーの優劣とイラストで止まってしまっている感が物凄い。

それを中高生が「あ、新刊出てる!」と買ってゆくのを見るとつい声をかけたくなる。

「ラノベも楽しいのだろうが、こっちも凄く愉しいよ?」と。


今は各出版社が色々なラノベレーベルに力を入れているが、一般文芸との中間のモノをね、作れないかと。
(あるのだろうがイマイチ目に入っては来ていない)


映画でも何も考えずに楽しめる作品もあれば、観ながら・観た後に引き摺る作品もあり、その道のプロに解説してもらってようやく理解出来る作品もある。


うん、まあ当然小説の世界も同じような感じなのだけれど、ちとラノベと他との隔絶が強い印象があってね。


ま、売れてこその世界ではあるのだけれど、「読み手ももう一歩踏み込んでみないかい?」とか思っちゃうのさ。

踏み込むという意識すら抱かせずに、気付いたらどっぷり浸かっていたって持ってゆくのが理想なのかな。



単純に「アレ読んだ?」と話しが出来る相手がどんな世代にも欲しいという私のワガママなんですがね!



poponu_august at 03:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2014年12月27日

今がお前の残りの人生の最初の時なんだ。

お前の事なんて世間はお前が思っている程気にはしていない。

お前のやる事なんて世間はお前が考えている程興味なんてない。


だから、自分がこれだと思ったのなら好き勝手にやっちまえ!

poponu_august at 04:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2014年12月18日

あの日、僕らは世界の恐ろしさを知った

暑い日だった。

我々は人間の無力さと力強さを共にアメリカ人に見せつけられた。

2014年07月31日 『パシフィックリム』?『ゴジラ』? いや、『シャークネード』だろ!!


だが日本人も負けてはいない。

そう『艦これ』だ。

『艦隊これくしょん』によって我々は戦いへの心構えを叩きこまれた。


・・・だが、アメ公はいとも容易く我々を踏み躙ってゆく。

『シャークネード カテゴリー2』
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「ニューヨーカーの誇りをみせろ!」

まるで『インディペンデンス・デイ』で大統領が演説している、あの誰もが熱くなってしまうシーンのようだ!
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とぉでい いず せれぶれいと あわぁ いんでぃぺんでんすでい!

この画像何度見ても飽きないわ。
ガッツポーズして「ああ!やってやろうぜ!」的に画面に向かって頷くのとか素晴らしい。


テレビ東京さん、来年のサメ祭り、待っています。

poponu_august at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2014年12月16日

『今日の恋のダイヤ』

しかく草川為 『今日の恋のダイヤ』
今日の恋のダイヤ


私は小説でも漫画でも店頭で自分の鼻に引っかかったのはついつい買ってしまう習性があるのですが、この漫画もそんな一冊でした。


・想いを寄せている会社の先輩がたまたま引きあわせた姉と恋人になり結婚してしまう楡原。

・仕事には一生懸命で男への隙の見せ方がわからない。なんとなく気になりだした相手には同僚の女が目の前で露骨にアタックをしかけている。自分とは違う女の姿に怒りや羨望の感情が入り乱れる鈴懸。

・遠距離恋愛の彼氏とのすれ違いに悩みながらも負担をかけるのが嫌で我慢したり強がってしまいよりすれ違ってゆく事に悩む栃木。

・新社会人になる前の一週間、東京の先輩の部屋に泊めてもらいに来たが、そこで意図せず先輩とその彼氏をギクシャクさせてしまい、「自分は幼い」と悩んでいた時、たまたま気の合いそうな男と出会う菩提。


上記四人の恋模様が空港でほんの一時交わる。

その一時で見知らぬ四人はお互いが救いあった事を知らぬまま通りすぎてゆく。


この四人の交わり方が良い!

些細な事がそれぞれに力を与えてくれたのだ。

それぞれ独立した短編でもあるのだが、この一時の交差が連作モノとして良い塩梅に糸を絡めてくれる。


おまけまんがの回転寿司で四人がそれぞれの友人や恋人と交わすやり取りも心地よい。

poponu_august at 13:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2014年12月05日

メモ:八幡神に関して

とあるSNSのとあるコミュニティでのやり取り。
自分用に保存。


>全国の八幡神社の大元は宇佐神宮です。
>この神社の祭神については、日本史ででも謎とされていて、三回ほど変わった形跡があるそうです。
>とう初は宇佐氏の自然信仰、いわくら信仰だったそうです。
>次に八幡(やはた)とその呼称がかわりますが、祭神八幡神の対象は不明、と為っています。
>(此れは、大陸史に記載されている様に当時居住していた秦氏の働きかけに依ると思います)
>そしてその後に大和朝廷により祭神は神功皇后、応神天皇そして売女神と為っています。
>そして道鏡事件の折りに御宣託を承った神社でもあります。
>つまり一天皇(称徳天皇)の意思以上の権威がこの神社には有ったと云う事を物語っています。

>そして私が何故平家や源氏、秦氏の話から半島の馬韓や秦韓の話へと移したのかは、この両国史に深く関与していたのが、大陸の扶余だと言いたかったに過ぎないのです。
>(応神天皇は筑紫の宇美(現在の宇佐市)で生まれています。そして彼の母親神功皇后の母方は新羅人天日矛です。また百済の王族は滅亡後に、列島に居住しています。)


以上に対し私。


確かに道鏡の宇佐八幡宮神託事件の時の、「何で宇佐八幡なのだろう?」という疑問は未だにあります。
神託事件そのものに様々な説があるようですが、やはり「何で宇佐八幡なの?」というのは残っていまして。

とりあえずその当時から天皇の意向を覆すだけの存在感があったのでしょうね。
そしてその存在感は、後々天皇・貴族らを凌ぐ勢力となる武士には信仰するに値するものだったのかな?と。
言ってみれば「天皇さえ退けた神様」なのですから、新たな権力層となってゆく段階で担ぐに相応しい存在であると。

源氏・平氏が渡来系であるかどうかは私と他の人では解釈が異なるのかもしれませんが、宇佐八幡・八幡神というのは面白い存在ですね。


poponu_august at 02:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

メモ:源氏・平氏の出自について

とあるSNSのとあるコミュニティでのやり取り。
自分用に保存。


>源義光の兄弟達、八幡は、秦氏と関係する神だし、賀茂氏と関係する賀茂神社。
>天台系の円珍と関係する新羅善神。
>まとめると、やっぱり源氏って渡来人臭いってことになります。


以上に対して私。


源氏や平氏って皇族が臣籍降下したものですから、源氏が渡来系とか平氏が渡来系というのはおかしな話に聞こえるのです。
しかも源氏や平氏を名乗り出すのって9世紀くらいだったと思うので、その時点での皇族が渡来系という事になってしまいます。

居酒屋トピで私が書いた千葉氏(平氏)のように、いくつかの源氏や平氏が地方に散らばった際、又は散らばった後、土着の様々な信仰をもった一族と混ざって行ったという方が可能性が高いような気がします。

poponu_august at 01:55|PermalinkComments(6)TrackBack(0)

メモ:源氏の通称由来に関して

とあるSNSのとあるコミュニティでのやり取り。
自分用に保存。

>『我こそは新羅三郎源義経である!』って言葉があります。
>清和天皇は新羅の血を受けていたのかもしれませんね。
>桓武(平家)は母親が百済系の人で、外来人故に軍事力を必要として百済人を中心に創った集団です。
>或いは清和も同じ理由かもしれません。
>新羅とは秦人と魏人から構成されていたのかもしれませんね。
>秦韓は後に魏に支配されましたから。
>2〜3世紀頃の半島に於ける扶余との関係があるのかもしれません。そして秦韓や馬韓(後の百済)の王は共に扶余族の人物でした。


以上に対し私。


新羅三郎義光の間違いではないですか?
義経だと九郎判官義経だと思います。

因みに、新羅三郎義光の兄弟は、

源義家=八幡太郎義家
源義綱=賀茂二郎義綱
源義光=新羅三郎義光

と呼ばれています。

八幡は京都の岩清水八幡宮。
賀茂は京都の上賀茂神社。
新羅は滋賀県大津の三井寺(園城寺)北院にある新羅善神堂。

これはそれぞれが元服した場所から取られています。

新羅三郎の通称の由来となった新羅善神堂ですが、平安時代の高僧・智証大師円珍が、唐から日本へ帰る途中に海が荒れ、そのときに現れた神だそうです。
どうも、唐で新羅系の人々が信仰していた神のようです。

ただ、あくまでも新羅三郎は新羅善神堂で元服の儀式を行ったからそう呼ばれているのであって、その血統が新羅由来というのではないと思います。

poponu_august at 01:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
こんなひと
趣味は物語に触れる事です。
(本、漫画、映画、何でも) 様々な物語に救われてきました。
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