2016年12月
2016年12月28日
『グイン・サーガ140 ヤーンの虜』
■しかく宵野ゆめ 『グイン・サーガ140 ヤーンの虜』
グイン・サーガ140 ヤーンの虜
栗本薫亡き後の、グイン・サーガ続編プロジェクトにおける本編も10作目。
私の中ではすっかり受け入れられており、「次はまだですか!?」と続きが気になる物語として在る。
今作では、第1話「ノルン城の虜」においてサイロンでの黒死病や新皇帝即位などの重大な動きがあった中、自らは領地から動かず息子アランを代理に使わせるという謎の動きを見せた選帝侯筆頭、アンテーヌ侯アウルス・フェロンが。
第2話「ポーラースターの光の下で」において、ケイロニア皇帝家より廃嫡されたシルヴィア皇女の息子シリウスとケイロニア王グイン、ベルデランド侯ユリアス・シグルド・ベルディウス、ユリアスの母であり辺境の地の巫女でもあるヴィダが。
第3話「妖獣の標的」ではパロ南部のカラヴィア近くでヤンダル・ゾッグの魔の手に襲われる(売国妃)シルヴィアと従者パリス、淫魔ユリウス。
そしてパロはクリスタルの都にて闇の司祭グラチウスとこれまたヤンダル・ゾッグの眷属との戦いが。
第4話「ヤーンの手技」にて1〜3話が繋がり、新皇帝選出の際に不穏な動きと共に死したダナエ侯のお膝元にてグイン、(実は)沿海州レンティアの王女アウロラ達とグラチウスの戦いが描かれる。
読み終えて感じたのが、「今回はグイン・サーガという物語の全ての要素が詰まっているな」という感覚。
1話では政治的な側面が、2話では英雄譚的な側面とSF的な側面が、3話では魔道的(ファンタジー的)な側面が、4話ではそれらが結実した側面が。
思えばグイン・サーガという大河小説は、辺境の森に現れた豹頭の戦士から始まり、徐々に英雄譚や魔道の世界に政治的な要素が加わり、その背後にはSF的な面もチラつきつつ、語られる主人公格の人物以外の市井に生きる人々も描いてきた。
その市井に生きる人々と英雄を「トーラスのオロ」という1人の兵士で繋ぐというドラマチックさ(膨大な世界設定ではなく、こうした一個人の生き様に私はドラマチックさを感じる類の人)に心揺さぶられ魅了されてきたのだ。
近々ではサイロンの下町におけるシルヴィアの僅かな期間ではあったが「普通の暮らし」をおくれた時期なども。
紡ぎ手が故・栗本薫から五代ゆう・宵野ゆめ両氏に受け継がれてからもその本質は変わらないし、今作の「あとがき」にて宵野ゆめ氏が提示した『グイン・サーガ3 ノスフェラスの戦い』のエピグラフ、「模様のすべては、かせとおさの最初のひと折りの中に、すでにあらわれている」という一文に凝縮されていたのであろう。
物語を紡ぎ出した当人は去ってしまったけれど、その続きを引き継いだ人達はどこまでの自由が許されているのか?
「あの方の復活」は五代ゆう氏の発案との事だが、それくらいの事をやらなければ引き継ぎは困難であり、かつ「書き手」としてのプライドが許さない、そこは生みの母である栗本グインへの大いなる挑戦でもあるのだろう。
いやね、今回は間接的ながらも「あの方」を思わせる存在が登場したり、狂王兼孤独王となってしまったイシュトヴァーンが人生で初めて後悔していたり(この人は後悔なんてしないんですよ。生まれてこの方イケイケだったんで)、アンテーヌ侯父子が共に頼もしすぎたり、いざという時には自分が動くグインであったりと、幅広くおさえてくれているのです。
誰が良いって、アンテーヌ侯アウルス・フェロン。
いいですねー。
なんなら「皇帝後見職」みたいなのあったらアナタですよね?というくらい良い。
グインが知勇兼備の王であるが故に、宰相ランゴバルド侯ハゾスがちと苦しい立ち位置になってしまうので(いや、この人も切れ者なんですよ)、余計にアンテーヌ侯の存在感がグッと重みをね。
ケイロニアは人材豊富よね。
家庭内に微妙に問題抱えていたりする人が多いけれど。
私のお気に入り、元パロの魔道師ギルド所属・現在はなんとなくケイロニアにレンタル移籍中?なドルニウス。
前作において上司であるパロの魔道師宰相ヴァレリウスに手厳しく扱われてしまいましたが、そのドルニウスにグインがかける言葉が良い。
「感情は悪ではないと思うがな。ドルニウスお前の中に生きてあるものだ。むげに否定することもない」
グイン・サーガにおいてのギルド所属の魔道師とは、己の感情を消し去り任務の遂行に専心する存在ではあるのだけれど、道具ではなく人として見るグインの存在というのは、ドルニウスだけではなく、感情に振り回される私にもありがたいのです。
その全てを肯定し受け入れてくれそうなグイン自身も、己の出自の謎やシルヴィアへの感情、友人や民への思いに揺り動かされている。
英雄たちも人の子。
豹の旦那も又然り。
グイン・サーガ140 ヤーンの虜
栗本薫亡き後の、グイン・サーガ続編プロジェクトにおける本編も10作目。
私の中ではすっかり受け入れられており、「次はまだですか!?」と続きが気になる物語として在る。
今作では、第1話「ノルン城の虜」においてサイロンでの黒死病や新皇帝即位などの重大な動きがあった中、自らは領地から動かず息子アランを代理に使わせるという謎の動きを見せた選帝侯筆頭、アンテーヌ侯アウルス・フェロンが。
第2話「ポーラースターの光の下で」において、ケイロニア皇帝家より廃嫡されたシルヴィア皇女の息子シリウスとケイロニア王グイン、ベルデランド侯ユリアス・シグルド・ベルディウス、ユリアスの母であり辺境の地の巫女でもあるヴィダが。
第3話「妖獣の標的」ではパロ南部のカラヴィア近くでヤンダル・ゾッグの魔の手に襲われる(売国妃)シルヴィアと従者パリス、淫魔ユリウス。
そしてパロはクリスタルの都にて闇の司祭グラチウスとこれまたヤンダル・ゾッグの眷属との戦いが。
第4話「ヤーンの手技」にて1〜3話が繋がり、新皇帝選出の際に不穏な動きと共に死したダナエ侯のお膝元にてグイン、(実は)沿海州レンティアの王女アウロラ達とグラチウスの戦いが描かれる。
読み終えて感じたのが、「今回はグイン・サーガという物語の全ての要素が詰まっているな」という感覚。
1話では政治的な側面が、2話では英雄譚的な側面とSF的な側面が、3話では魔道的(ファンタジー的)な側面が、4話ではそれらが結実した側面が。
思えばグイン・サーガという大河小説は、辺境の森に現れた豹頭の戦士から始まり、徐々に英雄譚や魔道の世界に政治的な要素が加わり、その背後にはSF的な面もチラつきつつ、語られる主人公格の人物以外の市井に生きる人々も描いてきた。
その市井に生きる人々と英雄を「トーラスのオロ」という1人の兵士で繋ぐというドラマチックさ(膨大な世界設定ではなく、こうした一個人の生き様に私はドラマチックさを感じる類の人)に心揺さぶられ魅了されてきたのだ。
近々ではサイロンの下町におけるシルヴィアの僅かな期間ではあったが「普通の暮らし」をおくれた時期なども。
紡ぎ手が故・栗本薫から五代ゆう・宵野ゆめ両氏に受け継がれてからもその本質は変わらないし、今作の「あとがき」にて宵野ゆめ氏が提示した『グイン・サーガ3 ノスフェラスの戦い』のエピグラフ、「模様のすべては、かせとおさの最初のひと折りの中に、すでにあらわれている」という一文に凝縮されていたのであろう。
物語を紡ぎ出した当人は去ってしまったけれど、その続きを引き継いだ人達はどこまでの自由が許されているのか?
「あの方の復活」は五代ゆう氏の発案との事だが、それくらいの事をやらなければ引き継ぎは困難であり、かつ「書き手」としてのプライドが許さない、そこは生みの母である栗本グインへの大いなる挑戦でもあるのだろう。
いやね、今回は間接的ながらも「あの方」を思わせる存在が登場したり、狂王兼孤独王となってしまったイシュトヴァーンが人生で初めて後悔していたり(この人は後悔なんてしないんですよ。生まれてこの方イケイケだったんで)、アンテーヌ侯父子が共に頼もしすぎたり、いざという時には自分が動くグインであったりと、幅広くおさえてくれているのです。
誰が良いって、アンテーヌ侯アウルス・フェロン。
いいですねー。
なんなら「皇帝後見職」みたいなのあったらアナタですよね?というくらい良い。
グインが知勇兼備の王であるが故に、宰相ランゴバルド侯ハゾスがちと苦しい立ち位置になってしまうので(いや、この人も切れ者なんですよ)、余計にアンテーヌ侯の存在感がグッと重みをね。
ケイロニアは人材豊富よね。
家庭内に微妙に問題抱えていたりする人が多いけれど。
私のお気に入り、元パロの魔道師ギルド所属・現在はなんとなくケイロニアにレンタル移籍中?なドルニウス。
前作において上司であるパロの魔道師宰相ヴァレリウスに手厳しく扱われてしまいましたが、そのドルニウスにグインがかける言葉が良い。
「感情は悪ではないと思うがな。ドルニウスお前の中に生きてあるものだ。むげに否定することもない」
グイン・サーガにおいてのギルド所属の魔道師とは、己の感情を消し去り任務の遂行に専心する存在ではあるのだけれど、道具ではなく人として見るグインの存在というのは、ドルニウスだけではなく、感情に振り回される私にもありがたいのです。
その全てを肯定し受け入れてくれそうなグイン自身も、己の出自の謎やシルヴィアへの感情、友人や民への思いに揺り動かされている。
英雄たちも人の子。
豹の旦那も又然り。