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2014年11月

2014年11月28日

『里見義堯』

里見義堯

しかく小川由秋 『里見義堯』
安房国(房総半島の下の方ね)の戦国大名である里見氏。

ゲームの「信長の野望」などでは北条氏に速攻で潰されがちですが、実際には関東を巡って北条、上杉、武田氏等と組んだり離れたりしながら安房館山藩として江戸期まで生き残ります。

(まあ、その後色々あって改易・断絶しちゃうのですが)

里見義堯(よしたか)は我々が「戦国時代初期」と思い浮かべる頃の里見家当主であり、この小説では里見義堯と息子義弘、配下の正木時茂・時忠兄弟を中心に物語が進みます。

北条氏を相手にした二度の国府台合戦がハイライトと言えるでしょう。


また、織田信長が足利義昭を大義名分に利用したように、里見義堯も鎌倉公方の流れをくむ小弓公方・足利義明を大義名分として利用しています。

こういった貴種の利用というのは大なり小なり日本中で行われていたようです。


現在の千葉県は簡単に分けると下総国・上総国・安房国の三つになるのですが、房総半島に当たる上総国・安房国辺りは低い山ばかりで広大な平野というものがあまりありません。

だからか、小豪族が各地に点在していたのですが、「稲村の変」を経て里見家当主となった里見義堯は安房国を統一、上総・下総にも進出してゆきます。

さて、上記の「稲村の変」や義堯没後の里見氏の後継争いは非常に血生臭く、親族内で裏切り・暗殺の応酬だったようです。

平成になって十数年、今だに新たな発見がされている辺り、大勢力に隣接した一族の悲哀も感じます。


因みに、正木時茂は槍の名人として名が高く、「槍大膳」と呼ばれたりもします。

戦国初期の名将・朝倉宗滴は、「日本に国持人使の上手よき手本と可申仁は、今川殿、甲斐武田殿、三好修理太夫殿、長尾殿、安芸毛利、織田上総介方、関東正木大膳亮方、此等の事」と書き残している程であり、関東の小さな勢力であった里見氏の家臣正木時茂の名は関東だけではなく、東海を経て畿内にまで届いていたようです。

poponu_august at 21:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2014年11月21日

「なにもしないのがいじらしいのは小学生までですよ」-『きっと可愛い女の子だから』

しかく柳本光晴 『きっと可愛い女の子だから』
きっと可愛い女の子だから

この写真ではちょっと見にくいかもしれないけれど、帯にはこうかいてある。

「恋愛なんてホレた方の負けなんだ」

「脇役みたいな人生でも恋をする」



クラスの何かしらのグループに属しているわけでもなく(ボッチってやつか)、地味で根暗でスタイルも良くないラノベ好きなオタクな女の子。

彼女が恋をしたのはテニス部部長でクラスの女子からも人気があって気さくな男子。

当然この恋は実りません。

怯えながらも勇気を振り絞って踏み出したその一歩に、「自分もああしておけば良かった」とか「こんな事もあったなぁ」とか「勇気を出さなきゃ」とか、読み手は己の過去や現在、そして未来に思いを馳せるのでしょう。



31歳、自分に女としての自信が持てない行き遅れの女教師。

3年前に告白してきた生徒はモテるにも関わらず卒業迄の3年間待っていた。

31歳女と18歳男の恋はようやく始まる。

一応教師ぶって、元々の性格もあってか、婉曲に同棲を提案する女教師が可愛い。



クールだと自分でも思い、周囲からもそう思われている女子高生。

けれどもいざ同じクラスの男子と恋人になるとクールなままではいられなかった。

恥ずかしいから周囲には付き合っていることを隠していながらも、彼が他の女子と会話をしているだけで内心は嫉妬の嵐!

辛い。

恋人同士になったらこんな気持はなくなると思っていたのに。

そんな彼女の為に彼が皆の前でとった行動が良い。



地味ーな文芸部部長は図書館で出会った男子に片思い。

いつも部長の図書館通いに付き合っていた後輩のリサちゃんにもその想いはバレバレ。

そしてリサちゃんにズバリと言われる。

「ただはなしかけてくれんのを待ってんですか?」

「『何読んでるの?』とかって話しかけてきてくれて、そっから仲良くなって、いつか告白してくれる予定ですか?」

「少女マンガじゃないんだし、絶対ないスよそんな事」

「なにもしないで好きなやつから告られたなんて話聞いた事ない」

「自分からアプローチかけるとか、メイクしたり髪いじったりして気を引くとか、恋する女子はみんな現実的な努力してんですから」

「なにもしないのがいじらしいのは小学生までですよ」


文芸部長は決意する。

告白しようと。

「ちゃんと伝えたい、初恋だから・・・」


玉砕。

その後のリサちゃんとのやりとりが良い。

リサちゃんいい子。



進級すら危ない成績の黒ギャルは高校卒業したら働くか進学するかのどちらかだと親に言われて「まだ働きたくねーもん」と大学進学を決意する。

学年トップクラスの成績を誇る真面目地味眼鏡だけど人の良い男子に毎日のように勉強を教わる。

黒ギャルと真面目地味眼鏡、約一年間勉強を共にしてそりゃあお互いを意識するようになる。

お互いの進学も決まり高校卒業を迎えた二人。

どうする!? 真面目眼鏡! 黒ギャルにイケるのか!?



この漫画は上記のような短編が詰まった恋愛オムニバス。

恋が成就したコも、成就しなかったコも、それぞれがそれぞれなりに一生懸命で可愛い。

poponu_august at 19:30|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2014年11月07日

メモ:千葉氏に関して

とあるSNSのとあるコミュニティでのやり取り。
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>千葉氏といえば、千葉周作。北辰一刀流の北辰とは、北極星のことでしょう。千葉氏の別家紋が、占星術の九曜なんです。やたらに星にこだわる千葉氏には注目してゆきますけどね。


以上に対して私。

千葉周作は、源頼朝に仕えた坂東平氏・千葉常胤の子孫に当たるそうです(真偽はわかりませんが(苦笑

妙見信仰は北極星信仰、神仏習合で北辰妙見菩薩と呼んだりもするそうです。
因みに、千葉神社の主祭神は北辰妙見尊星王(天之御中主大神と同一視されている)です。

千葉氏の家紋は「月星紋」で、これも妙見信仰に由来するようです。
「九曜紋」や「九曜に半月紋」も使用していたようです。

ただ、平安期までは松竹梅紋や笹紋だったという話もあるので、平安期のある時期を堺に妙見信仰を強めた可能性も考えられます。

又、吾妻鏡に記載のある鎌倉期の宝治合戦の際に一族の結束を強める為、元々土着信仰されていた妙見信仰を利用したという話もあります。


個人的には、千葉氏には平氏+坂東土着一族の混合を感じます。

元々妙見信仰(北極星信仰)をもっていた土着民(これがいつどこから来たのかはわかりませんが)と坂東へやって来た平氏の融合かなと。

妙見信仰は古代バビロニアに発するとも聞きますが、個人的には北極星を信仰するというのはどの地域でも発生しうる信仰だと考えていますので、一概に渡来系とも言い切れず、様々な自然崇拝の中から北極星信仰が強く残った地域だったのかな?とも考えたりします。

poponu_august at 23:15|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

メモ:柳生に関して

とあるSNSのとあるコミュニティでのやり取り。
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>十兵衞については、日本一有名な十兵衞とは、柳生十兵衞であろうと考えたりしています。柳生一族は渡来系の忍者集団ですね。

>柳生十兵衞役は、千葉氏の末裔=千葉真一が好演し、ハマり役でしたね。何かの因縁を感じます。千葉氏は月星の家紋で、渡来人一族である様ですね。


以上に対して私。

たしかに日本で最も知られている十兵衛の一人は柳生十兵衛ですね。
私も山田風太郎の作品などで親しんでいます。

で、この柳生十兵衛こと柳生三厳は後の世に物語で諸国放浪の剣豪として描かれるようになった人でして、映画やドラマに出てくる柳生十兵衛はほぼフィクションなのです。

元々は菅原氏の流れをくむ(これも眉唾ものですが)大和国の土豪であったのが、柳生三厳の祖父柳生石舟斎が剣術に長けていた人であり、新陰流の上泉信綱に師事、石舟斎の息子柳生宗矩が徳川家康・秀忠・家光の三代にわたって剣術指南役から果ては諸大名を監視する惣目付(後の大目付)まで務めるという大出世を遂げました。

宗矩の息子十兵衛三厳は徳川家光の小姓として仕える事になるのですが、家光の怒りに触れ蟄居、その後は故郷で祖父や父の残した兵法書の勉強をしていたそうです。

許され再度家光に仕え、父の死後一万石を超えていた柳生家の領地を兄弟で分けて継いだのです。

また、柳生十兵衛は片目の剣豪というイメージがありますがあれも後世の創作であり、実際残っている肖像画には両目がきちんと描かれています。

柳生=忍者というのは、恐らく柳生宗矩が惣目付として諸大名を監視する地位にあり、その際に忍びを使ったという創作からくる話であって、実際には剣術の師弟関係を用いての情報収集がかなり有効であったようです。
(この立場故に創作では悪役の親玉や影の権力者として描かれやすいのかと)

柳生宗矩は一万二千石を超える大名にまで出世しましたが、同時期に同じく将軍家剣術指南役であった一刀流の小野忠明が六百石程度の禄という事からみるに、非常に政治家として有能であったようです。
勿論、剣術の方も確かで大阪の陣で徳川秀忠に迫る敵兵七人を瞬く間に斬り倒したという記録もあります。


千葉氏は桓武平氏の流れの坂東八平氏の一つですね。
千葉氏が篤く信仰した千葉神社は妙見信仰ですので、桓武平氏と妙見信仰であった土着の一族の婚姻等が考えられます。


千葉真一は芸名で本名は前田禎穂さんです。

poponu_august at 23:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

メモ:織田信長、明智光秀 其の二

とあるSNSのとあるコミュニティでのやり取り。
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>ご質問の、信長の織田氏は、元々忌部氏ですからね。
>「忌部氏ゾロアスター教」でネット検索すれば、いくらでも出てきます。忌部氏は、大麻を栽培する氏族だった様で、大麻を使った洗脳などの宗教儀礼が、ゾロアスター教由来と考えられています。

>ユダヤ教のアイデンティティーであるメノーラなどもごちゃ混ぜになってて、メノーラはゾロアスター教由来とされ、現在でもゾロアスター教由来と伝承されるメノーラを祀る神社もありますよ。

>明智光秀〜十兵衞や日向守がユダヤ由来なのは「ジュ」という音と十字架。太陽信仰、神武の出発点、卑弥呼の拠点などを想像させる日向―-―-ですね。


以上に対して私。

信長さんは藤原や平を称したりって事もあったのだけれど、忌部氏の流れをくむ藤原ってな選び方をして称した可能性もある訳だ。
どうも織田氏の源流とされる藤原の一人が「忌部氏かもしれない?」って具合みたいですなぁ。

織田氏の氏神とされる越前・劔神社(織田明神)の祭神が「素盞嗚尊・気比大神・忍熊王」
この忍熊王って人が神功皇后に反乱を起こしたってのは下克上の気性が見えたりで面白い。
(どうも忍熊王側に正当な継承権があって神功皇后側が反乱を起こしたって見方もあるようだが、そこは私にはなんとも判断できねぇや)


光秀の場合、十兵衛ってのは特に珍しくない名なんで"「ジュ」という音と十字架"ってのは結びつきが難しいと感じるのだがなぁ。
("「ジュ」という音と十字架"ってのがその元を忘れられて広く使われていたなんて考え方も出来なくはないが)
日向守にしても光秀が自分で選んだ訳ではなく、お上から与えられたものなんで、貰ったもんがたまたま日向守だった印象なんで。

光秀の場合私が気になっているのは十兵衛でも日向守でもなく「惟任」の方でしてね。
信長は「これからあそこぶんどるわ」って予定の地名に関係した苗字や官職を部下に与えるのが好きな人だったのだけれど、他は由来が分かっても「惟任」だけがとうも分からない。

光秀と同じように九州の名家の名乗りを許された人に丹羽五郎左衛門尉長秀ってのがいるのだが、この人は「惟住」
「惟住」ってのは豊後大神氏という一族の一門らしいんで。

だが光秀の「惟任」がどうも分からない。
惟住長秀と同じ豊後大神氏一門という話も聞くが、私には見つけられない。
古代九州に「惟任」「これとう」という一族が居たのか、はたまた豊後大神氏の一門だったのか。

poponu_august at 23:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

メモ:織田信長、明智光秀 其の一

とあるSNSのとあるコミュニティでのやり取り。
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>信長は、ゾロアスター教信徒の家系だという説がありますね。ゾロアスター教とユダヤの関係は密接。
>明智光秀も、日向守十兵衞だったので、ユダヤ系くさい。

以上に対し、私。

信長さんが第六天魔王と自称したってのは、ルイス・フロイスの書簡でしか確認出来ていないんだよなぁ。
当時揉めてた信玄さんが書状に天台座主だかと書いてきた意趣返しに信長さんも魔王と返したとね。
そのフロイスの書簡でしか残ってねぇんだよぉ〜
他には一切無いんだよぉ...

あとな、信長さんは宗教勢力が政や戦に口を出さなけりゃ寛大な人でなぁ。
自身は中々熱心に法華宗を大事にしていたのさ。
遡るが日蓮ってな坊さんも、魔王も法華経の中では大事な存在としていたりよぉ。

その、信長さんの家系がゾロアスター系ってのは何処から出て来たんだい?
何処で確認出来るかね?


明智の光秀を日向守十兵衛とするのはこれまた頓珍漢な呼び方をするもんでぇ。
信長の元で馬車馬のように働いて、ただの明智十兵衛光秀から、朝廷から惟任の姓を賜り、日向守に任官されたんでさぁ。
(まあ信長の意向があったのだがね)
明智十兵衛光秀→惟任日向守光秀ってのが筋なんだな。

この頃、光秀以外にも九州に縁のある姓を賜った部下は沢山いてね、まあ秀吉の筑前守なんかは有名だ。

筑前守を許された秀吉さんと共に、「あれかい?俺たちは九州まで切り取りに行かなきゃならねぇのか?」と愕然としたってな逸話もあったりよ。

光秀は元を辿れば清和源氏の摂津源氏系・美濃源氏土岐氏なんだが、源氏にもユダヤが混じっていたのかい?
こいつも私は初耳なんだが、何処で確認出来るかねぇ?

poponu_august at 23:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2014年11月04日

『インタビュー・イン・セル 殺人鬼フジコの真実』

しかく真梨幸子 『インタビュー・イン・セル 殺人鬼フジコの真実』
インタビュー・イン・セル


『殺人鬼フジコの衝動』が充分衝撃的で、イヤミス(イヤな気分になるミステリー)の人という印象が世間ではあるようなのですが、私はあまりイヤな気分にはならなかったのです。

元々私が人間の負の部分に共感したり愛でてしまう気質があるからなのかなぁ。


2011年11月27日 殺人鬼フジコの衝動


で、この『真実』なのですが、『衝動』 『私は、フジコ』 があっての『真実』となっています。

当然それらの登場人物が絡んできますので、『衝動』 『私は、フジコ』を読んだ上で読まないとイマイチ面白みがわからない。

読んでいると「ほう!」「なんと!」「ぬぅ・・・」といった想いを抱くのです。


とある編集部に下田茂子の代理人を名乗る人物から独占取材に応じるとの電話が入る。

下田茂子とは複数の男女をリンチの果てに殺害したが無罪になった男・下田健太の母親。

そして過去その名を轟かせた連続殺人鬼・フジコの育ての親。

そんなイカれた母子が暮らす団地へインタビューに赴く編集者やインタビュアーたち。



殺人ってのは人間のある種の感情が極端な形で出てしまったものなのかもしれないが、中には自身に照らし合わせての感情では解らないものも存在する。

我々はそういった殺人者を「異常者」として片付けてしまいがちなのだが、「異常者」にも「異常者」なりの理があったりするのだ。

それが受け入れられる・赦されるかは、やはり所属する社会の側に主導権があるのだろうが。

poponu_august at 16:20|PermalinkComments(2)TrackBack(0)
こんなひと
趣味は物語に触れる事です。
(本、漫画、映画、何でも) 様々な物語に救われてきました。
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