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「地震がなかったら野茂は...」 阪神・岡田監督が28年前の複雑な運命語る

[ 2023年1月18日 05:15 ]

野茂の大リーグ入り暗礁とオリックスが救いの手を差し伸べたことを報じる95年1月17日付大阪1面
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阪神大震災から28年を迎え、阪神・岡田監督は兵庫県西宮市の鳴尾浜球場を訪れ、球団関係者、選手ら約60人とともに犠牲者に黙とうをささげた。オリックスの選手だった当時の記憶を思い起こし、「もう28年か...。それはもう、忘れられへん」と静かに口にした。

オリックスに所属していた1995年1月17日。所用で訪れていた高知県で午前5時46分に激しい揺れで目が覚めた。大阪に戻る予定だった飛行機は欠航。当時はプロ野球選手会の会長でもあり、当日は近鉄との関係がこじれメジャー移籍の選択肢が浮上していた野茂英雄氏の相談を受ける約束があったが守れなかった。「大阪のホテルで夜に会うはずやった。地震がなかったら野茂は米国に行ってないと思う」と言う。

西宮市の自宅は損壊を免れたが水も電気も不通。自主トレどころか、2月の春季キャンプまで一度もバットを握れなかった。シーズン中盤までは選手寮で生活するなど苦しい一年だったが、支えてくれたのは客席を埋めてくれたファンの存在。現役最終年にリーグ制覇も達成して「神戸の人に、野球で勇気を与えられたというのはあった」と振り返る。

08年以来、15年ぶりに阪神の監督として特別な日を迎えた。関西の両球団と縁が深い岡田監督だからこそできることがある。頂点への歩みは、どの時代であれ、見る人を喜ばせられる。 (倉世古 洋平)

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