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2025年11月01日

毎回違うものをつくる人生

脚本家になるとか、クリエイターになるとかは、
毎回違うものをつくる人生になることである。

これは、毎回似たようなことをする事務仕事や、
警官や医師や弁護士とかは、違う人生だと思う。

毎回違うものを相手にしていくということでは、
格闘家やレーサーやカメラマンもそうだな。

都度都度対応が求められて、
都度都度違うやり方が求められて、
同じやり方は毎回通用しない。

事務仕事なんて、毎回同じ書類を書いて、
毎回同じやり方を守らなければならない。
やり方は何年に一回か変わるかもしれないが、
基本的には「遵守」が仕事であろう。

僕らはそれとは異なることをする。
前の成功体験にすがってはいけない。
困ったら前のやり方を使うこともあるが、
今回も成功するとは限らない。
むしろ失敗する率が高いだろう。
「またか」と思われてしまうからね。

バンドとかでさ、
前にヒットした曲のフレーズを入れて来ると冷めるじゃん。
その曲と実はつながってるとか、ペアなんだ、とか言われても、
冷めるじゃん。使いまわしかよって。
そんな感じになるだろう。


つまり、我々は、
毎回違うことをする仕事である。
毎回違う物語をつくる。
違う主人公、違う人間関係、違う舞台、
違う焦点、違うセンタークエスチョン、違うテーマ、
違う構成、違う転回、違う結末。
何度も何度も人生を送り、転生し続ける魂のようである。

次の作品が前の作品を越える保証などない。
何か思いつきが来たときに、
「これは前のを越えるぞ」という確信などどこにもない。
「アベレージは行けるだろう」と読めるようになったとき、
プロの顔になっているんじゃないかと思う。

あるものを書き終えたとき、
次もおもしろいとは限らない。
その不安とずっと闘わなくてはならない。
はい次、と言われて、
次もヒットを出さなければならない野球選手と同じだ。
同じスイングをしてもダメだ。
次来る球は別の球だ。
風も温度も変わっている。同じ状況は二度とない。

波乗りに似ているかもしれない。
波乗りはたぶん、毎回成功しない。
失敗するときもある。
でも、一日の全体で考えると、
大体成功しているのが、うまい波乗りなんだろう。
大きく失敗したとしても、
大きく成功していれば、その日の波乗りは成功だと思う。
明日の波は分らない。
明日の波乗りもわからない。
でも次も波に乗らなくてはならない。

野球選手は3割打てばいいらしい。
7割は凡打、フライ、三振でいい。
しかし3割打たなければ役立たずだ。


しんどくなってやめる人もいるだろう。
いくつまで新作をつくり続けなければならないか、
生涯で何本つくらなければならないか、
誰にもわからない。
3本ってことはない。
50本かも、150本かも、10000本かもしれない。
脚本家が生涯何本の話をつくっているのか、
誰か平均していないかな。

アメリカのシステムでは、
脚本は登録制で、それをプロデューサーが買いにくる仕組みだ。
入札権みたいなもので、
それを買い取り開発に回して、
別人が書くときもあれば、本人がプロデューサーの要求に応じて書き直していくスタイルだそう。
いちいち直しに答えていると疲弊するので、
単に入札権だけ売り続ける人もいるんだって。
つまり、原作者みたいな立ち位置か。

一本の額がデカいので、
人気な人は毎年1000万くらい儲けられて、
それで世に出なくても食っていく仕組みがあるらしい。

日本のシステムにはそれはない。
呼ばれて、開発して、ぽしゃったら、そうだな、50万が席の山じゃないかな。
きちんとつくられてようやく最低額300万かな。
仮に500万だとしても、年間2本やるのはしんどくないか。
副業がどうしても必要になってしまう。
こうして、日本の脚本のレベルは低いわけ。

ギャランティーをあげればいいと思うよ。
一本500を最低にして、
開発途中でも250は出したいよな。
そして、すでに完成している脚本を集めたライブラリーをつくれば
(アメリカではそれをブラックリストという)、
完成脚本が沢山集まり、
その買値を毎回500万からにすれば、
それだけで年間食っていける原作者が集まるだろうね。
それなら、そういう人生も悪くないと思えるよな。

今の脚本家は、いろいろな要求をまとめる、
まとめ役になりがちだから、
そうじゃなくて、毎回オリジナルで新鮮な物語を供給する人になるべきだ。
いわば小説家と同じ立場になるというね。
(文章が書けるなら、脚本と小説を同時並行でやってもいいかもしれないがね)


物語を生み出し続ける人。
卵を産み続ける養鶏。
そんな感じになるといいよね。

今日書き終えたら、
明日また別のを書く。
明後日はまた別のを書く。
その日はまた別のを書く。
次の日はまた別のを......
が続く人生である。
作風は常に揺れ、変化し、
テーマも変わっていくだろう。

事務仕事や医療や弁護士などでは、
考えられない毎日のスタンスであろう。
飲食や夜職のほうが近いのかね。
安定した老舗の味までたどり着けばいいが、
客は毎回同じものを要求してこない。
数年はブームがあったとしても、
次第に飽きて来るものだ。
二本目のヒットは難しいと漫画業界でよく言われるのは、
そういうことと関係している。


それでもあなたは書くのか。
明日のあなたは今日のあなたは変わってしまっているよ。
同じ人間のアイデンティティーを保てなくなることもあるわけだ。
今日のあなたに二度と戻って来ることもないだろう。
でも明日のあなたはあなたである。
物語と同じである。
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