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大月みやこ 歌と向き合い歌を愛し60年「目の前の一曲を極めたい」その思いで自己管理や鍛錬を積んできた

[ 2024年4月19日 05:00 ]

歌手活動60周年を迎えても第一線で歌い続ける大月みやこ
Photo By 提供写真

【だから元気!】著名人に健康や元気の秘訣(ひけつ)を語ってもらう企画「だから元気!」。今回は「白い海峡」「女の駅」などのヒット曲を持つ大月みやこさん(77)です。歌手生活60周年を迎え、ステージで変わらぬ歌声を届けている秘訣は、幼少期から大好きだった歌うこと。いまも第一線で輝く歌姫は、歌に誰よりも愛を注いでいます。(構成・高原 俊太)

気づけば歌手生活60年。目の前の一曲を極めたいと思って過ごしてきたら、ここまで時間がたっていたように感じます。風邪をひくようなことや喉に刺激のある辛いものは避けるなど、自己管理はきちんとしています。でも一番に思うのはずっとステージに立ち続けてきたから、ここまで歌ってこられたということですね。

新曲を出す時に「こんな歌を歌いたい」とは絶対に言いません。ディレクターやプロデューサーが、絶対に私が歌いこなせると信じて曲を与えてくれる。だから、できると思って歌うだけ。新たな挑戦になって、歌の幅が広がっていくことにつながっています。

スタッフと深く信頼関係を築くには、やっぱり一緒にお酒を飲むこと。公演終わりに集まって話すのは歌のことばかり。「今日はここが良かったね」「こうすればもっと良くなる」。お酒は楽しくがモットーなので、互いに前向きな会話を重ねます。ちなみに私は最初から最後までビールです。手っ取り早く飲めるでしょ(笑い)。

いまは歌うことが好きですが、始めた頃は好きと言い切れるものではなかったですね。始めたのは6歳の頃。両親から「何かお稽古を習い始めたら」と言われて近所にあった童謡教室に通い始めました。好きではなかったけど、声を出すのが楽しくて続けることができましたね。

その後にラジオに流れる美空ひばりさんの曲を聴いて「歌謡曲を歌いたい!」と思うようになり、歌謡曲を教えてくれる教室に移りました。歌手を志す高校生ぐらいの方々がたくさんいたんですが、先生がとにかく厳しくて大変。休むと怒られちゃうからちゃんと行ってました(笑い)。

高校に入るころに肺浸潤(結核)と診断されて、お医者さんから「運動も歌もダメ」と言われてお先真っ暗。それでも楽しかった歌だけはやめずに続けました。

そうしたら高校卒業の時、キングレコードからデビューしないかというお誘いがあったんですよ。プロになるつもりなんてなかったから東京観光と歌をやめるちょうど良い機会になると思って受けに行きました。それが結果的に歌を続けるきっかけになりました。

所属してからは、三橋美智也さんと春日八郎さんの前座として年の半分以上は全国各地を飛び回りました。先輩方の歌を聴きに来たお客さんが、前座で1曲歌った私にも「わぁー!」と拍手をくださって、それが本当にうれしかった。歌っていくうちに肺も治って、こんなに長く歌い続けることができました。

どれだけ気をつけていても、この年齢だといつ何があって歌えなくなるか分からない。野球選手だって、年を取ると肘や肩が痛んでくるでしょう。私たち歌手もそれと同じだと思うんです。だから声が出る限りは、自分のためにも歌い続けたいですね。

≪新曲「恋人のように...」40代の男女の恋を歌う新しい大月みやこを聴いて≫3月13日に最新シングル「恋人のように...」を発売した。軽やかな声色で、40代の一度別れた男女が再会する淡い恋模様を歌い上げている。大月は「よく情景を思い浮かべながら、ナチュラルに聴こえるように歌っている」と語る。歌手生活60周年の節目の年ではあるが、新しい大月みやこが聴こえたらいいなと願いが込められている。70歳を過ぎてもなお、歌への愛は深まるばかりだ。

◇大月 みやこ(おおつき・みやこ、本名脇田節子=わきた・せつこ)1946年(昭21)4月23日生まれ、大阪府出身の77歳。64年、17歳の時に上京し、キングレコードから「母恋三味線」でデビュー。86年にデビューから22年で紅白歌合戦に初出場。92年に「白い海峡」で第34回日本レコード大賞を受賞。17年に旭日小綬章受章。趣味はゴルフ。

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