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機織り体験を見学していると、ふとメインホール飾られている七夕飾りが目にとまりました。 そこで、一つ疑問が。「七夕」と書いてなぜ「たなばた」と読むの? 調べてみました。 「七夕」というのは「五節句」の一つなんだそうです。 節句とは季節の節目のことをいいますが、五節句の場合1、3、5、7、9月にある5回の節目を指し、中でも3月3日桃の節句、5月5日端午(たんご)の節句が有名ですね。 そして7月7日は七夕(しちせき)の節句、別名:笹の節句と呼ばれているとのことです。 そして、「たなばた」(棚機:漢字変換するとこの文字もでてきます)とは「棚すなわち横板のついた織機(おりき)」のことで、 日本の神を待つ「たなばたつめ」の信仰と中国の太陰暦 7 月 7 日の夜に牽牛 と 織女の二星を祭る行事 の二つが 融合し、七夕(たなばた)として 奈良時代から宮中で行われ、江戸時代には民間にも広がったということでした。(但し、諸説あるようですが) ということで、もうすぐ七夕の本番7月7日(伝統的には現在の8月22日:国立天文台による)です。 ぜひ、考古博物館まで、短冊にお願いを書きにいらしてください。 いろいろな願い事が書かれていますが、こんなのがありました。 「若くなりますように」   永遠のテーマです・・・
当館ボランティア「ひょうご考古楽倶楽部」の同好会 ( 織姫 ) では①染色 ②糸づくり ③機織り の3点を中心に活動しています。 7 月 2 日、この織姫さんの一大行事になります「七夕イベント 機織り(はたおり)体験」が 開催されました。 七夕の織姫にちなんで、綿から糸をつむいで布におりあげる作業を江戸時代の方法で体験いただきました。 最初に「綿の種くり」をします。 これは綿くり器(種取り器)という器械を使って、綿花(綿の実)から綿と種を取り分ける作業をします。            綿花の中にポツポツと黒く見えているのが種です。 綿花の中から種をとりだすための道具です。 綿を挟んで、わきのハンドルをグルグル回すと、柔らかい綿が前から出てきて、堅い種だけが後ろに残る仕組みになっています。 次に、紡錘車(ぼうすいしゃ)という道具を使った「糸つむぎ」を体験します。 片方の手で紡錘車を持ち、ぐるぐるとまわして綿をねじりながら細い糸につむいでいきます。 こうして糸ができたら、いよいよ機織りに挑戦です。織機(しょっき)という機械に糸をセットして布をおります。 たて糸の間に横糸をとおし、交互に組み合わさることで1枚の布をつくっていきます。 120 本の縦糸に横糸を通していきますが  手だけではなく、両足も使っての難作業です。 日本人の衣類としては、麻や生糸(絹)が使用されていましたが、江戸時代から綿も使用されるようになり、繊維が扁平で自然に撚り(より)ができるといった特徴から、糸や生地に仕立てるまでの手間が少ないこと、また、その保温性、吸水性から広く普及することになりました。 ここ播磨も昔は綿の産地として有名で、今も播州織や加古川の靴下といった地場産業として残っています。 当館では、毎年、この七夕の時期には「機織り体験」を行っています。   受付の机にかわいい置物が置いてありました。                           これは7月29日(土)に開催される古代体験講座「クラフトテープでつくるはにわくんと敷物」で作る、はにわくんたちです。 申込期間は既に過ぎていますが、若干余裕があるようなので、興味のある...
  今年度から新たな取り組みとして「 HYOGO ミュージアム魅力発信プロジェクト」が はじまりました。 これは 2025 年大阪・関西万博を契機に、県立社会教育施設の活性化を図るため、 大学生等の柔軟で斬新な発想力や多様な発信力を活用し、 SNS 等を通じた各施設の 魅力発信や若者目線でのイベント等企画提案、実施を行うというものです。   県内の社会教育施設、〈美術系〉・〈歴史系〉・〈自然科学系〉全9施設が対象で 当館は県立歴史博物館、兵庫津ミュージアムと ともに 歴史系として 位置づけられて います。   本日はその情報発信をしてくれます大学生(ヒョーゴ・ミュージアム・サポーター) 4名が当館を訪れて各施設を見学しました。           館職員から概要の説明         収蔵物の見学と説明 「私たちの住んでいる近くにも、このような埋蔵物があるんですね。」       土器だけではなくて、このようなカワイイものもあります。      普段は見ることができない、裏側も少しだけ。 説明の後は自由に見学。       早速、むかしの人々の衣装に変身!誰が一番似合っているかな? 独自の発想、視点での情報発信を期待しています。 今後は“ note ”という投稿アプリや ”Instagram” 、 ”Twitter” などを活用しながら魅力発信していきます。   現在、48名(内歴史系18名)の大学生がサポーターに登録していますので、 今日来館された皆さん以外にも順次、施設見学等をしながら発信予定です。 お楽しみに!  
    (ほったん) 狩りと漁は迫力があったね。次は植物か。 うわー。いろいろな種類の木の実があるよ。 (学芸員) 縄文時代の食べ物というと狩りのイメージが大きいけれど、 発掘調査の結果、今では、縄文人は植物性の食べ物を主として食べていて、肉や魚などの動物性のものは副としていたと考えられているよ。 縄文時代は今よりも気温が高く、豊かな森が発達していたので、シイやカシなどのドングリのなる木がたくさん生えていたんだ。 このドングリは縄文人にとって大切な食料だったんだ。 ドングリはとっても堅いのに、縄文人は歯が丈夫だったんだね。ボクならアゴが痛くなっちゃうよ。   ドングリはそのまま食べるのではなくて、石皿とすり石を使ってすりつぶし、アクを抜いたあと、他の木の実や肉などと混ぜて練り上げたものを火であぶり、クッキー状にして食べていたみたいなんだ。 「縄文クッキー」は縄文人たちにとってはお菓子ではなく、今のごはんやパンにあたる主食だったんだね。 これはトライやるウイークの時に生徒さんたちが縄文クッキーを作っていたときの様子だよ。           こちらが完成品。この後、みんなでしっかり試食したよ。   今のクッキーとは見た目が違うけれど、ちゃんと食べることができるんだね。すごいなあ。ボクも一緒に作りたかったよ。   縄文人が好んで利用したのはイチイガシなんだ。イチイガシは今でも公園や神社によく植えられていて、縄文人はイチイガシの実をたくさんひろってきて、村のはずれの湿地に掘った穴の中に保存していたんだ。 淡路島の佃(つくだ)遺跡では、ドングリがつまった貯蔵穴も発見されているよ。 考古博物館のとなりにある 大中遺跡公園の森は縄文時代の次の時代にあたる弥生時代を再現したものなんだ。この森にもドングリがいっぱい植えられているよ。 そうなんだー。では早速探検してみよう。 本当だ。森の中に説明板が置いてある。 へー、普通の森だと思っていたけれど、ここは弥生時代の景色ということなんだね。                    これはヤマモモの木だって。あっちはオニグルミ、それにクリの木もある。 今はまだ木の実ができていないので残念。 ところで、火で焼く以外にも料理方法が あったのかな?   ...
  今年も「ひとがた流し」の時期がやってきました。 6月 30 日は「夏越しの大祓(なごしのおおはらえ)」といって1年の前半のなかで心身にたまった厄を祓い、残り半年間の無病息災を祈る行事です。 「大祓」は6月と12月の年二回行われます。今回は夏越しの大祓ということで、前半の厄払いです。   考古博では平成20年から続く夏の恒例行事で、現在は当館のボランティア団体「ひょうご考古楽倶楽部」が主催で寸劇を交えた楽しい解説での体験イベントが開催されています。   人形(ひとがた)とは、人の形をした木のことで、 古代では自然災害や疫病などの災いは、自分や周りの人の行いが招いた穢(けが) れ〔 厄や罪という言い方もされる〕によって起こると信じられており、人々は折々に、自分の身についた悪いものを “ ひとがた ” に移し、身代わりとして水に流すことによって、穢れが消えると考えていました。この行事はその後、陰陽師たちにより広められ、今でも紙の人形を使って神社などで行われています。   イベントでは、ひとがた流しの前に平安時代の文献「延喜式」に基づき、宮殿の中で行われていた儀式を行います。ボランティアさん扮する中臣(なかとみ)が「大祓詞(おおはらえのことば)」を唱え、儀式は完了です。          会場内にいたお子さんも劇に参加してくれました。小学4年生だそうですが、協力依頼の言葉に一番に手を上げて大役を引き受けてくれました。 この積極性があれば、あらゆる厄払いができるに違いありません。 さあ、いよいよ「ひとがた流し」の開始です。 儀式後に配られた、人のかたちをした木の板に、顔を描いていきます。 自分の顔でもいいし、病気の人の顔を思い浮かべてその人の顔を描いてもいいようです。 うまく描けているかな。   描けた人から屋外へ出ましょう。 榊(さかき)の葉が入ったきれいな水で手を清めます。   祓いどころで「お祓い」を受けます。 お祓いが済んだら、脇にある祭壇に向かって一礼をします。   では、ひとがたを流しに館敷地内に復元された溝に向かいます。   自分のなかの悪いものをひとがたに移すため、ひとがたをなでて、それから「ふうっ」と息...
  (ほったん) 陸上の狩りの次はさかなの漁(りょう) の様子だね。 縄文人はこんな船をつくる技術ももっていたんだ? ( 学芸員 ) この船は スギやクスノキなどの大きな木をくりぬいた丸木舟だよ。 ちょうど今、公園内で実際に大木から丸木舟をつくるというプロジェクトをやっているんだ。 ほったんも参加してみるかい? ムリムリ。 こんな大きな木を、石の道具だけで舟にするなんて気が遠くなりそうだよ。   それに船づくりも大変そうだけど、網(あみ)も当然手づくりなんだよね? どんな材料を使ってつくったのかな。 どれどれもう少し詳しく見てみよう。 うわー。ボクが捕まってしまった。 たすけて~ やれやれ世話が焼けるなあ。 網は植物の繊維をひもにして、それを編んで作っていたんだ。そして網に石のおもり をつけて海に沈めて、魚を取っていたんだけれど、この石のおもりは淡路島にある佃遺跡でもたくさん見つかっているよ。 それから、釣り針や直接魚を突いて捕まえるモリも自分たちでつくって漁で使っていたんだよ。 その道具も石や木でできていたの? 釣り針やモリは動物の角(つの)や骨を加工してつくっていたんだ。 これは、縄文時代の釣り針を真似て鹿(シカ)の角を利用してつくったものだよ。 このような道具を使って、縄文人はタイ、スズキ、ベラ、サメなどいろいろな種類の魚をとって大切な食料としていたんだ。 それから、あさりやはまぐりなどの貝も食べていたので、たくさんの貝がらが見つかっているんだ。そういう場所を貝塚(かいづか)ってよんでいるよ。 住む場所によっていろいろと工夫して狩りや漁をしていたんだね。 ボクも釣り針をつくって海に釣りに行ってみたいな。 挑戦するのはいいことだけど、海に近づくときは十分に気をつけるんだよ。 はーい。
 今日は毎年恒例の田植えです。 当館では、古代米の米づくりを研究しており、県立農業高等学校が育苗した苗を使用し、播磨町立蓮池小学校の5年生が授業の一環として田植え体験をしていただきました。 さあ、はじめの第一歩を踏み入れるところです。 いろいろな歓声があちこちで上がりました。 「やわらかい」 「きもち悪い」 「あたたかい」 「どこまで沈むの」 ボランティアスタッフさんからの苗渡し 田んぼに入る前に教えてもらったとおり、 苗3,4本を鉛筆を持つような形で持って苗の真ん中くらいまで水の中へ。 生育のために等間隔になるよう、赤い目印のところに慎重に植え付けます。 1クラス終了。泥だらけの手足を用水路できれいに洗い流します。 2クラス目も続きから同じように植え付けていきます。 3クラス目。今年のお米の品種は赤米2種(対馬、種子島)、黒米1種 (壱岐)、モチ米1種(ハリマモチ)の計4種です。 最後にボランティアスタッフさんと館職員で残りを植え付けて終了。 今日は曇りだったので、雨に降られることも、太陽が照りつけることも無く、 絶好の田植え日和になりました。 蓮池小学校の皆さんにも楽しい思い出として残ってくれたらいいなと思います。 今から10月の収穫が楽しみです。

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