投稿
5月 26, 2013の投稿を表示しています
赤米の種まきから2週間、苗たちはどうしているのでしょうか? 今日、県立農業高校へ様子を見にいってきました。 すると・・・ 苗たちは外の田んぼに移されて順調に育っておりました。 あとは、考古博の田んぼに移動して、田植えを待つばかり。 写真をUPします。 品種による違いがわかります?? これは、種子島赤米 こっちは、総社赤米 手前が寂しいですが、対馬赤米です 紫黒米。これは判りやすい 総社赤米(左)とハリマモチ(右)。赤米はワイルドだゼイ~ 手前から、種子島・紫黒・対馬・ヒノヒカリ・ハリマモチ・総社の順 違いがわかるかな? 6月6日(木)と8日(土)が田植えです。 どうか、お天気になりますように・・・・
風土記1,300年記念特別展 「播磨国風土記―神・人・山・海―」から その(2) 本日は『播磨国風土記』に記された地名の 木簡を紹介しましょう。 展示室に入って最初のケースには、『播磨国風土記』(姫路文学館所蔵のレプリカ)、『続日本紀』(名古屋市蓬左文庫所蔵 江戸時代の写本)が二段に並び、その右側に藤原宮や平城宮など都城出土の木簡が並んでいます。木簡は奈良文化財研究所からお借りしたもので、2週間ごとに入れ替えをしています。 しかし、一番右手の1点は地元、賀古郡 鴨波里(あわわのさと) の木簡レプリカ(播磨町郷土資料館所蔵)で、会期中、見ることができます。 鴨波里は、加古川市神野町南部・ 野口町北部、平岡町北部、賀古郡稲美町南部 あたりに比定されています。粟を沢山撒いたので「 粟々里 」という名が付けられたと『播磨国風土記』には記されているように、水の便が悪い土地では、お米よりも粟のような雑穀が栽培されていたのでしょう。 平城京や平城宮出土の木簡には、賀古郡から運ばれた荷物につけられたものが5点あり、2点が鴨波里のものです。その1点がこの「 禾々里 」、もう1点は「 淡葉郷 」とすべて表記が異なっています。このように当時の地名には様々な漢字が当てられており、どの字を用いるべきか迷ってしまうこともたびたびあります。 また、賀古郡から運ばれた荷物は、 大鮹 、 貝鮓 、 加比酢 のように海産物やその加工品が目立ちます。やはりお米よりも粟や海産物の多い土地だったのでしょう。 木簡レプリカ 「播磨国加古郡禾々里」 播磨町郷土資料館所蔵
特別展連続講演会 「考古学からみた播磨の渡来人」 亀田修一(岡山理科大学教授) 先日、5月25日(土)に開催されました。多くのみなさんに参加していただき、会場は満員でした!! 講演中の亀田さん スライドを使用しての話に聞き入る参加者のみなさん ロビーにもディスプレイを設置 -6月の講演会- 1日(土) 特別展連続講演会「播磨国風土記とハリマの国造」 今津勝紀(岡山大学大学院准教授) 15日(土) 特別展連続講演会「播磨国風土記からみた揖保川流域の考古学」 岸本道昭(たつの市教育委員会) 23日(土) 「『常陸国風土記』の魅力-伝承と歴史的景観-」 千葉隆司(かすみがうら市立郷土博物館) 是非、ご参加下さい!!
みなさんの願いが通じ、本日は晴天です!!! ボランティアのみなさんと準備を進めてきた「たたら製鉄」が行われました!! 果たして、鉄の塊(ケラ)は出来たのでしょうか・・・?? 古代の炉とは違いますが、練炭火鉢を重ねた炉を用意しました。 砂鉄を投入する前に、1時間ほど空焚きをして炉の温度を十分あげます。火力をあげるために電気送風機を使います。 炉に温度計を差込み、温度を計ります。 炉の温度が十分に上がったら、いよいよ砂鉄と木炭を交互に投入します。 炉の中の木炭が燃えてかさが減り、炉の上部の木炭がズンと下がった頃合を見計らって、次を投入します。 間隔をおいて砂鉄と木炭を交互に投入すること1時間。いよいよノロ出しです。 高温で溶けた砂鉄の中の不純物が燃え盛る木炭や炉の内側の粘土と反応して、ノロがたまっています。 炉の底近くの穴を塞いだ粘土を外します。 炉の温度は、何と1348℃です!! さていよいよ、ケラ出しです!! が、ノロを出した穴が塞がってしまい、炉を上からばらしていきます。 炉をばらし、黒い塊を取り出します!!一度、水で冷やします。 さあ、磁石にくっつくでしょうか?!緊張の一瞬です!! くっつきました!! 炭6,800g、砂鉄2,250gを投入し、250gのケラと700gのノロが出来ました!! 本日は、残念ながら少量のケラしかできず、大成功!!とはなりませんでした。たたらは奥深いです。 担当者は「リベンジしたい!!!」と言っています。次に乞うご期待!! 次は、大成功しますように☆ 暑い中、たくさんの方が見学に来て下さりました。ありがとうございました。 ボランティアのみなさんもありがとうございました。