夏季企画展「淡路島発掘」も終盤に近づいてまいりました。淡路島の出土品が勢ぞろいする機会はあまりありません。展示内容をご紹介いたしますので、お見逃し無いように。 展示は、5部で構成されています。1番目は、 狩猟の時代から農耕の時代 です。淡路島の歴史の幕開けとなる約2万年前、旧石器時代のサヌカイト製のナイフ形石器などが展示されています。サヌカイトは大阪府の二上山や香川県の坂出市周辺で産出され、中間に位置する淡路島では両方から供給されたようです。 有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)です。〔左から、淡路市の横入(よこいり)遺跡、洲本市の喜住西(きじゅうにし)遺跡、南あわじ市の楠谷(くすたに)遺跡〕 縄文時代草創期の刺突具で、柄の先に取り付けて狩りなどに使用していたものと考えられています。 2番目は、 マツリの源流 です。マツリの道具には赤い色が多く用いられ、水銀朱を精製する道具(石皿・石杵)が出土しています。また、弥生時代には金属が用いられるようになり、銅鐸や銅剣、鏡などの青銅器がマツリのシンボルになりました。 洲本市の下加茂遺跡出土の横杓子(よこじゃくし)です。朱色が塗られていた痕跡がわかります。出土時は鮮やかな朱の色が残っていました。 古津路銅剣(南あわじ市)のうち、弥生時代中期の中細形銅剣(1号銅剣)の複製品です。現品は国立歴史民俗博物館にあります。右下は、弥生時代後期の小形仿製鏡(内行花文鏡)です。これらがマツリに使われました。 3番目は、 海をはさんだ交流と新しいマツリ です。弥生時代後期から終末期は大阪湾対岸の河内地域や四国の阿波地域などと共通の特徴を持つ土器が使われ始めました。周りを海に囲まれた淡路では、この時代から海を介して色んなものを船で運んだのでしょう。 古墳時代になると、焼き物や金属加工等の新しい技術が大陸からもたらされ、生活様式が一変し、それに伴いマツリの形態も変化しました。右の子持勾玉〔南あわじ市、雨流(うりゅう)遺跡〕もそうした背景を物語る出土遺物の一つです。 4番目は、 淡路国成立とマツリゴト です。律令制が導入された7世紀後半以降、全国で国府や国分寺、それらを結ぶ官道の整備が進みます。淡路国分寺(南あわじ市)は8世紀中頃の創建で創建時の瓦が紀伊国分寺と同じ型から作られたものであり、南海道沿いに国家の施策が進めら...
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8月12日(木)、当館の敷地内で東京パラリンピックの採火式が行われました。 パラリンピックの聖火は、パラリンピックの発祥の地であるイギリスで採られた火と、開催国の伝統的な方法で採られた火をあわせて完成させるのだそうです。 兵庫県でもいろんな地域で採火式が行われました。 博物館のある播磨町では、大中遺跡公園の中央で大型の「舞ぎり」を使って火を起こす予定でしたが、あいにくの雨天のため、公園横にある当館の軒下で行うことになりまいた。火起こしの方法も「弓ぎり」という方法に変更されました。 最初に、清水ひろ子播磨町長からお話しがありました。 紫の貫頭衣姿で、会場が華やぎます。 採火式にご出席者の皆さまです。 写真左から、清水ひろ子 播磨町長、三村隆史 播磨町副町長、 浅原俊也 播磨町教育長、武田健二 播磨町教育委員会理事。 同じく左から、宮宅 良 播磨町議会副議長、河野照代 播磨町議会議長、 村松好子 県立東はりま特別支援学校長、そして当館の和田晴吾 館長です。 うまく火がおきるか、播磨町のマスコットキャラクター「いせきくん」と「やよいちゃん」も、ドキドキです。 「弓ぎり」で火をおこすための道具です。 火おこしにはボランティアと、播磨南高等学校の皆さんが参加しました。 思いのほか短い時間で、うまく火がつきました。 火種ができたら、ほぐした麻に火を移して、息をふきかけます。 火がつきました! 大勢のかたが見守る中で灯った火は、清水町長のトーチに託されました。 ランタンは8月16日まで播磨町役場に展示されます。 その後、兵庫の火として県内各市町の火とともにまとめられ、東京へ送られる予定です。 パラリンピックの盛会をお祈りします。
7月31日(土)に、連続講演会「兵庫考古学研究最前線2021 古墳時代の兵庫②『権現山51号墳の三角縁神獣鏡は語る』」を開催しました。 講師は (公財)兵庫県まちづくり技術センター埋蔵文化財調査部の山本 誠 次長です。 旧石器時代がご専門ですが、岡山大学在学中に近藤義郎先生のもとで権現山51号墳(たつの市御津町)の発掘調査に参加されたことから、古墳時代の三角縁神獣鏡についての研究をされています。 講演では始めに、権現山51号墳の発掘成果や発掘調査時の貴重なエピソードをご紹介くださり、三角縁神獣鏡という考古資料が語る 歴史、 王権の動き等 をお話しいただきました。 そして「ここからは僕の妄想ですが…」と前置きがあり、 古墳からの景観から推測した持論を聞かせてくださいました。 風土記などの文献や地名などの情報、実際の現地調査をふまえ、 三角縁神獣鏡が出土する古墳は、港と密接な関係があるのではないか?とのこと。 さらに、「船が停泊する港のなかでも、海の港ではなく"川港”の位置に注目し、 海を眺望したとはいえない地域にある古墳でも、川港であれば可能性がある。」 また「大きな前方後円墳だけではなく、なぜ小さな円墳や方墳にも三角縁神獣鏡が見つかるのか。これのことが解明にもつながるのでは」とされ、「今後の調査に期待したい」とのお話でした。 さらに、「現在まちづくり技術センターで調査中の登リ田遺跡(姫路市継)にも、『播磨国風土記』にみえる継潮(つぎのみなと)の可能性がある。調査成果はいずれ報告書や博物館の展示などで紹介するので、そちらにも注目していただきたい」とお話しされました。 * * * 今回の講演でとり上げられた三角縁神獣鏡のモデルとなったとされる中国の鏡「神獣鏡」は、 当館の加西分館「 古代鏡展示館 」で見ることができます。 こちらへもぜひ、おでかけください。
8月7日(土)、旧暦で6月末の「夏越しの大祓(おおはらえ)」の日に、当館のボランティア団体「考古楽倶楽部」の皆さんが人形(ひとがた)流しのイベントを実施されました。 自分の身についた悪いものを人形に移し、それを水に流してしまおう、というもので、飛鳥時代には行われていたようです。 一年に2回、夏越しの大祓(なごしのおおはらえ)と、大晦日の大祓(おおみそかのおおはらえ、年越しの大祓ともいう)の2つが大きな祓の儀式で、それ以外にも月末の晦日の祓や、臨時の祓もありました。 今回は、儀式の再現映像でどんな行事かを知っていただいたあとで、 実際にひとがた流しを体験していただきました。 これがお手本と、儀式に使われた祭具の復原品です。 金や銀の人形(ひとがた)や、いっしょに流したとされる舟、馬など、いろいろあります。 では、ひとがた流しをやってみます。 まず人のかたちをした板に、 自分の姿を描きます。 きれいな水で手を清めて、 お祓いをうけます。 館の敷地内の祭壇には織物や酒、あわびなどが供えてあります。 人形を体にこすりつけて悪いものを移し、祈りをこめて、「えい!」と流します。 古代の人は、現在の新型コロナウィルス感染症のような疫病に対して、お祓いをすることで対抗したようです。 新型コロナウィルス感染症の一日も早い終息を願って。
8月1日(日)、体験講座「貝輪と木のまが玉づくり」を開催しました。 貝輪とは、縄文時代から弥生時代にかけてつくられた腕輪のことです。 古墳時代になると石などで作られるようになりました。 当館テーマ展示室の巫女さんも腕につけていますね。 今回は、丈夫で割れにくい「ベンケイガイ」で貝輪をつくりました。 まず、貝殻の真ん中に穴をあけます。古代では、石やシカの角などをハンマーとして使っていたようです。穴をあけた後は、手首がとおるくらいまで砥石で穴を削って広げていきます。 腕をとおした時に痛くないように、穴の周りをサンドペーパーで磨き、表面もつるつるになるまで磨いたら完成です。腕に通すには小さい貝だったため、ネックレスにしました。 こちらは木のまが玉づくり。杉板を材料に使いました。 くぼんだ腹の部分は、木の棒にサンドペーパーを巻き付けて削ります。 表面が滑らかになるまで磨いたら完成です。 木のやさしい雰囲気が感じられる、ステキなまが玉ができました。 ちなみに、古墳の出土品には「埋れ木(うもれぎ)」と呼ばれる土中の古材を使って作られた玉が見つかっています。 * * * 古代のアクセサリー2つを身に着けて、記念撮影。 いかがでしたか? また参加してくださいね。