[フレーム]

『閑居友』の電子テキストを公開しました。

底本は現在刊行されている注釈書と同じ、尊経閣文庫本です。例によって、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承で公開します。

尊経閣文庫本『閑居友』:慶政:やたナビTEXT

『閑居友』の内容に関しては、上巻入力完了時に書いた、エントリをご参照ください。

『閑居友』上巻入力終了:2015年07月14日

この尊経閣文庫本『閑居友』、現物は見たことがありませんが、非常に流麗に書かれています。美しい写本というと、いままで翻刻したものの中では、『古本説話集』がありましたが、あれはちょっと癖があって、「達筆すぎて読みにくい」ところがありました。しかし、この『閑居友』は非常に素直に書かれていて、字詰めも無理がなく、実に読みやすく書かれています。

これはらくちん・・・が、しかーし!トラップがありました。仮名遣いがめちゃくちゃでした。

現在、歴史的仮名遣いと言われているのは、契沖仮名遣いといって、江戸時代の国学者、契沖が体系化したものが元になっています。だから、契沖以前の仮名遣いがめちゃくちゃなのは当たり前なんですが、普通めちゃくちゃなりに、なんらかの統一感があります。

ところがこれは、統一感がまるでありません。いや、本人的にはなにかあるのかもしれないけど。
閑居の友

この写本で困ったのが、格助詞「を」を「お」と表記していることが散見されることです。「を」は、「遠」を字母とする現在の「を」か、「越」「乎」を字母とする変体仮名が一般的です。ところが、『閑居友』では、「を」に「お(於)」を使用することがあります。

一例を挙げると、上の写真のAは「きこゑおも」ですが、本来「きこえをも」とあるべきところです。

ならば、ぜんぶ「を」が「お」になっているかというとそうでもなく、Bは「おこないを」となっていて、こちらはちゃんと「を」になっています。ところが、今度は「おこなひ」とあるべきところが「おこない」になっています。これも、すぐ右の行では「おこなひ」となっているので、こいつ、どうやら統一する気が全然ありません。

「え」「ゑ」「へ」や「い」「ひ」が混在しているのはそれほど珍しくないので、混ざっていてもそれほど気になりませんが、これに格助詞の「を」「お」の混在が入ると途端に読みにくくなります。

助詞は付属語なので、そこが分節の最後だと認識します。例えば、Cは「これおみて」で、「これをみて」が正解。「これをみて」と書いてあれば、「これを/みて」と容易に判断できますが、「これおみて」だと一瞬「これ/おみて」だと、思ってしまうわけです。

現代仮名遣いで、助詞の「は」「へ」「を」が残った理由が分かったような気がします。
(追記) (追記ここまで)
タグ :
#説話
#説話文学
#仏教説話
#閑居友
#仮名遣い

コメント

コメント一覧 (6)

    • 1. ホシナ
    • 2015年08月12日 21:15
    • 〉現代仮名遣いで、助詞の「は」「へ」「を」が残った理由が分かったような気がします。

      これは、深いですね。
      現代仮名遣いを表音仮名遣いであるかのように説明されることがままありますが、実はそうではないんですよね。

      〉助詞は付属語なので、そこが分節の最後だと認識します。

      と、言うより、今回の例で言うと、「お」を語頭と認識してしまうということだと思います。
      言い方を裏返しているだけのようですが、古い日本語では、母音は語頭に立つのがふつうですから、一音節語の言い切りでない限り、「お」で句が切れることはまずありません。
      だから、助詞「を」を「お」と書かれると、どこで切ったら良いのか、たちまち判らなくなるんですね。
      逆に言うと、そういう最低限のルールさえ守っていれば、古典の写本は句読点がなくても読める。
      大変興味深い事例でした。
    • 2. 中川@やたナビ
    • 2015年08月13日 21:37
    • >と、言うより、今回の例で言うと、「お」を語頭と認識してしまうということだと思います。

      なるほど、言われてみればたしかにそうですね。
      逆に「を」から始まる語は結構あるんで、これは警戒します。
    • 3. 自閑
    • 2016年05月01日 15:08
    • やたがらす様
      私も閑居友の建禮門院御いほりにしのびの御幸の事のみテキスト化してみましたが、テキスト化すると色んな事が見えて来ますね。
      「あやしの入道空也上」など「あやしの」という単語を多用しますが、後白河院御幸のみは、あやしげなる尼、あやしげなる御ぞなど「あやしげなる」を使用しており、明らかに他の説話とは異なる表現をしています。
      「を」と「お」では、「今上おば人」を「祖母人」と読むか「今上をば、人の」で迷ってしまいました。
      歴史的仮名使ひとは、過去には存在しない仮名遣いなんでしょうか?
    • 4. 中川@やたナビ
    • 2016年05月01日 23:00
    • コメントありがとうございます。

      >テキスト化すると色んな事が見えて来ますね。

      まったくその通りで、活字だけではちゃんと読めていなかったと反省させられます。

      >歴史的仮名使ひとは、過去には存在しない仮名遣いなんでしょうか?

      もともと歴史的仮名使いという表記法があったわけではなく、仮名遣いと実際の発音は一致していたのですが、時代が下るにつれて、だんだん仮名遣いと発音が一致しなくなってきました。

      それでも表記だけは古い表記を残そうとするので、鎌倉時代ぐらいになると、いろいろ怪しくなってくるのです。

      それでも、助詞の「を」を「お」と表記するのは、見たことがありません。慶政は坊さんだから、漢文には通じていても、仮名文は苦手だったのかもしれませんね。
    • 5. 素徹
    • 2020年06月15日 10:48
    • コメントといった立派なことではなく失礼。
      まず、テクスト公開有り難く、感謝のみです。
      「散見」の使い方、近時受動態を散見しますが、誤りです。「散見する」が正書です。特に日本語文化に特化したページであるだけ、残念な思いです。細かなことで失礼します。
    • 6. 中川聡@やたナビ
    • 2020年06月16日 14:45
    • 素徹さん、ご指摘ありがとうございます。

      >「散見」の使い方、近時受動態を散見しますが、誤りです。「散見する」が正書です。

      論文なんかで「散見される」をよく見るので考えもしませんでしたが、「散見」自体に「される」意味が含まれるんですね。
      今後は気をつけます。
コメントフォーム
記事の評価
  • リセット
  • リセット

[フレーム]

↑このページのトップヘ

traq

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /