翻刻した本文は、現代人にとって読みやすいといえるものではありません。また、誤字や脱字、虫食いなどがあって本文が完全でない場合もあります。これらを、他の伝本と対照するなどして、補完、補正して本文を作ることを本文校訂といいます。
ちなみに、「本文」という言葉は一般的に「ホンブン」と読まれることが多いですが、テキストを指す場合は「ホンモン」と読みます。ですから、本文校訂は「ホンモンコウテイ」です。
まず、校訂の方針を決める必要があります。例えば、学術的な用途ならば、なるべく底本に忠実な校訂にします。読みやすさを追求するなら、漢字や仮名遣いの訂正もする必要があるでしょう。
ここでは、できるかぎり読みやすい本文、つまり高校の古文の教科書のような本文にするという方針で校訂してみます。
最初に、虫食いなどで読めない部分を他の本で補います。今回の例では若干虫損が見られますが、読めないほどのものはないので、この作業は不要です。
また、写し間違いなどで、意味のわかりにくい言葉を、別の本から入れかえる場合もあります。しかし、これは安易にすべきではありません。別の本を書き写した人が勝手に訂正した可能性もあるからです。
1 これも今は昔、伴大納言善男は佐渡国郡司が従者也。彼
2 国にて善男夢にみるやう、西大寺と東大寺とをまたげて
3 立たりとみて、妻の女にこのよしをかたる。めのいはく「そこのまたこそ、さかれん
4 ずらめ」とあはするに、善男、おどろきて「よしなき事を語てける
5 かな」とおそれ思て、しうの郡司が家へ行むかふ所に、郡司、きはめ
6 たる相人也けるが、日来はさもせぬに、事の外に饗応して、わら
7 うだとりいで、むかひてめしのぼせければ、善男、あやしみをなして、
8 我をすかしのぼせて、妻のいひつるやうにまたなどさかんずるやらんと
9 恐思程に、郡司がいはく「汝、やむごとなき高相の夢みてけり。それに、
10 よしなき人にかたりてけり。かならず大位にはいたるとも、事
11 いできて罪をかぶらんぞ」といふ。然あひだ、善男、縁につきて京上して
12 大納言にいたる。されども、猶罪をかぶる。郡司がことばにたがはず。
そのように校訂した本文に(この場合何もしてないけど)、句読点と鉤括弧、濁点を補いました。これでかなり読みやすくなったと思います。なお、ここでは左側に便宜的に行番号を付しました。
ここで気をつけなければならないことは、句読点や濁点のつけ方いかんによっては、解釈が変わってしまうということです。
たとえば、5行目「しうの郡司が家へ行むかふ所に」は「しうの郡司が家へ行(く)。むかふ所に・・・」と分けて読むこともできなくはありません(ちょっと無理があるけど)。ここに句点を置くか置かないかで後の解釈が変わってきます。
濁点によって解釈が変わるのは「はは」も「ばば」も「はば」もすべて「はは」という表記になることから理解できるしょう。これらは文脈などによって判断します。
底本に忠実な本文が要求される、学術的な校訂ならばこれで終了でもいいでしょう。しかし、ここでは、「高校の教科書みたいな本文」を目指しています。
この場合、まず気になるのが、表記の不統一です。例えば、3行目は「妻の女」とあったあと、「めのいはく」となっています。「妻=め」ですので、「妻のいはく」と統一した方が読みやくすなります。また、1行目「従者也」の「也」は読めなくはないですが、付属語なので「なり」に直した方がよいでしょう。それ以外にも、「また(股)」や「みる(見る)」など、現代では当然漢字で書かれているところも、仮名になっていますので、そこも直してみます。他に漢字表記では6行目「日来」も気になります。これは「ひごろ」と読みますが、現在では「日頃」か「日ごろ」でしょう。
もう一つ気になるのが、送り仮名です。3行目「立たり」は現行の送り仮名だと「立ちたり」です。9行目「恐思程に」にいたっては、ちょっと心得がなければ読めません。「恐れ思ふほどに」に直します。ついでに、段落も設けてみます。
今回は出てきませんでしたが、『宇治拾遺物語』のような中世の作品になると、いわゆる歴史的仮名遣いと違った仮名遣いも増えてきます。読み易い本文を目指すならば、それらも訂正しなければなりません。
これも今は昔、伴大納言善男は佐渡国郡司が従者なり。
彼の国にて善男夢に見るやう、西大寺と東大寺とをまたげて立ちたりとみて、妻の女にこのよしを語る。妻のいはく「そこの股こそ、裂かれんずらめ」と合はするに、善男、驚きて「よしなき事を語りてけるかな」と恐れ思ひて、主の郡司が家へ行きむかふ所に、郡司、きはめたる相人なりけるが、日ごろはさもせぬに、ことの外に饗応して、わらうだとりいで、向かひて召しのぼせければ、善男、怪しみをなして、我をすかしのぼせて、妻の言ひつるやうに股などさかんずるやらんと恐れ思ふほどに、郡司がいはく「汝、やむごとなき高相の夢みてけり。それに、よしなき人に語りてけり。必ず大位には至るとも、事出できて罪をかぶらんぞ」といふ。
しかるあひだ、善男、縁につきて京上りして大納言に至る。されども、なほ罪をかぶる。郡司が言葉にたがはず。
これで私たちが一般的に見るような、古典の本文になりました。
さて、これで本文づくりはとりあえず終ったわけですが、写本の状態から見ると、ずいぶん趣が変っていることが分かると思います。
校訂には校訂者の思想があり、解釈があります。古典の本文は、それらによって、多かれ少なかれ変ってきます。いずれにしても、古典の本文に校訂者の意志が大きくかかわっているということは言えると思います。
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