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2023年04月

僕と同年代のある人が大手金融機関からお金を借りることになった。これを元手にして事業をやって、その収益で返済する寸法である。

僕の聞いたところ、リスクの高い事業ではなく、担保も十分にある。月々の返済が不可能になることはまずない。具体的な話を百人聞けば百人が「それは固いですね」というだろし、僕もそう言った。

その人に負債はない。それなりにまとまった金融資産もある。街金で金を借りたこともなく、クレジットカードも延滞したことがないと言う。ことお金に関して言えば、誰がどう見ても優等生である。

ところが、その金融機関は金は貸してはくれるものの、ある条件を付けた。それは彼にとってとても飲むことのできない条件だったらしい。今のところ保留になっているが、向こうがその条件を取り下げない限り、いかに金利が低くてもその金融機関から金を借りる気はないと言っている。

金融資産があるなら、金を借りずにそれを使えばいいと思われるかもしれない。実際、全力で株だの何だの売っぱらえばなんとかなるらしい。しかし、ちょっと考えてみてほしい。

その場合、持っている金融資産はかなり目減りする。その状態で、もし突然まとまった金が必要になったらどうだろう。病気でも災害でも、そんな場面はいくらでも考えられる。そういう場合、当然どこからか借金をしなければならなくなる。

この借金は金を生むための借金ではないから、まともな金融機関から借りるのは難しいだろう。金利も当然高くなる。今回の借金は借りる用途が決まっていて、金を生むための借金だから、借りやすいし金利も安いのだ。

借金というと金がないから借りるというイメージがあるかもしれないが、金があるときに借りる借金もある。いや、実際にはそちらのほうがずっと多い。今は金利が安いのだから、金を借りて金利以上に稼ぐのはさほど難しいことではない。よくテレビなんかで「うちは無借金経営です!」とか言ってドヤ顔している社長がいるが、そんなのは自分は無能だと言っているのと同じである。

それはともかくとして、金融機関が条件をつけた理由で考えられるのは、彼が非正規だということらしい。僕も非正規だが、今まで金や担保物件さえあればいいと思っていた。しかし、金融機関からすると違うようだ。

おそらく、彼が正規の公務員とか大企業の正社員だったら、無条件で金を貸しただろう。しかし、それが一体何の保証になるのだろうか。そういう職業でもクビになることはあるし、会社が潰れることもある。もちろん、辞めたから返せとは言えないから、金を借りた途端に勝手に退職するかもしれない。

つまり、この金融機関は事業内容や個人の返済能力は全く評価せず、何の信用もおけない就業形態でしか評価していないのである。実にお手軽なことだが、そんなので激動の世界経済に立ち向かえるのだろうか。僕は以前から日本の金融機関を信用していないが、その気持ちはますます強くなった。

なお、現在彼は他の金融機関を当たっているらしい。

東京生まれの文房具屋育ちなので、パイロットが消せるボールペン「フリクション」を出しているのは知っていた。発売から15年以上になるらしい。売れているのも知っているが、何で売れているのか理解できなかったし、今まで必要を感じなかったので使ったこともなかった。

40年以上前、ケルボなる消せるボールペンが発売されたが、これは全く売れなかった。熱で消えるフリクションとは違い、ケルボはインクの粘度を上げて紙に染み込みにくくしてある。書いてすぐに消しゴムで消すときれいに消えるが、時間が経つと染み込んで消えなくなる。色は普通のボールペンと同じぐらい濃い。時間が経つと消えなくなるから、熱で消えるフリクションとは違い、消えちゃいけない文書にも使うことができた。

売れなかったのは、値段が高かったからである。それでも本当に必要なら売れたはずだが、値段が消せるという価値に見合わなかったということだろう。その後、白く塗るタイプの修正液が出回り、ケルボは完全に姿を消した。

そんなこともあり、「ボールペンは消せないのが利点なのだから、消せるボールペンはなどナンセンス。消したきゃ最初から鉛筆を使えばいい」と思い込んでいたのだが、先日、今勉強している資格試験の解説動画を見ていたら、図を描くのに消せるボールペンを使えと言っていた。ここで目から鱗が落ちた。

僕は黒のことばかり考えて消せるボールペンなど必要ないと思っていたが、消せるボールペンは赤でも青でも消せる。黒だけなら鉛筆で書けばよいが、色鉛筆はきれいに消えない。よく考えると、黒以外の筆記具で簡単かつきれいに消せるのは消せるボールペンだけなのである。

こうなってくると、いろいろ用途が思いつく。例えば、校正記号に「イキ」というのがある。文字を訂正したり削除したりした後、「やっぱ前の方がいいや」と取り消しにするときに使うのだが、訂正したあとに書くからどうしても汚くなる。消せるボールペンなら前の訂正を消すだけだ。ほかにも、カレンダーに書き込むスケジュールとか、ちょっとしたメモとか、赤や青が消せると便利なことはたくさんある。黒だけ鉛筆というのは面倒くさいから、黒も消せるボールペンになる。

構造はボールペンそのものだが、これはボールペンではなかったのだ。すべての色が消せるまったく新しい筆記用具だったのである。

どうやら、僕はノーミソが固くなっていたらしい。年をとると頑固になるというのは、たぶんこういうことなのだろう。今は多色のフリクションを愛用している。
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#ボールペン

先日、かつて祖母が住んでいた家の前を通ったら、壁の塗装が剥れていた。剥れた塗装は下に落ちていたので、つい最近落ちたものらしい。
壁1
落ちていない部分も壁から浮き上がっていて、手で剥してみると簡単に剥がせる。
壁2
よく見ると、浮き上がった塗装の下が湿っている。これはよろしくない。とはいえ、業者に頼むと結構な金がかかる。というわけで、自分で塗ってみることにした。

まず、百均で買ったスクレーバーで古い塗装を剥せるだけ剥した。剥がしたあとは水洗いするといいらしいが、古い塗装の下にあったためかそれほど汚れていないし、隣の家が近くてあまり豪快に洗えない。デッキブラシがあったので、ゴリゴリこすってとりあえずホコリを落とせるだけ落しておいた。

完全に乾かしたあと下地剤を塗る。塗ったのはアサヒペンの「強浸透性水性シーラー 耐久 透明色」なるもの。見た感じ(匂いも)、アクリル絵の具のバーニッシュ系のメディウムに似ている。ローラーで塗ったのだが、メディウムよりもシャバシャバで垂れやすいので注意。
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塗ったあとはこんな感じ。と言っても、透明なので写真では分からないが、少しつやが出ている。塗る前は触ると手が少々粉っぽくなったが、塗った後は手に何も付かない。
壁3
天気が良かったので、午前中に塗って午後には乾いた。いよいよ本番のペンキ塗りである。ペンキと道具はこんな感じ。
道具
上からバケツとローラー、ウエス(ボロ切れ)、傘の柄、ペンキ、スクレーバーである。傘の柄はペンキをかき混ぜるため、壊れた傘からノコギリで切ってきた。

ペンキはやはりアサヒペンの「水性シリコンアクリル外かべ用」なるもの。色はホワイトにした。いちばん少ない3kg入りにしたが、かなり余っている。
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これも見た感じも匂いも、リキテックスでいうジェッソ(アクリル絵の具の下地剤)に似ている。かなりドロっとしていて、これを薄めずそのまま塗る。

バケツとローラーはこれとほぼ同じ物。バケツが二重構造になっていて、中身だけ別売りで取り替えられる。最後洗うのが面倒くさかったので、ローラーとペンキの量を調整するネットだけは洗ったが、内側の容器はそのまま放置した。
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思いのほかきれいに塗れた。塗っている最中、ノーミソの中で例の歌がヘビーローテーション。浪速のモーツァルト、キダタロー先生作曲。
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この日はこれで終了。次の日も天気が良かったので、二回目を塗って完成。遠くから見ると、塗っていることが分からない程度にはなった。
完成
下地材もペンキもたくさん余っている・・・というか、使ったほうが少ない。ほかにも気になる場所があるので、そのうち塗ってみようと思っている。


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#DIY

「邯鄲の歩み」という諺をご存知だろうか。『荘子』秋水篇にある話である。燕の田舎者が、趙の都邯鄲の人々のカッコイイ歩き方を真似しようとしたら、自分の歩き方を忘れてしまい、這って帰ったという話である。転じて、人の真似をしたため、真似どころか自分のやり方もできなくなってしまうことをいう。ちなみに、ぼくは邯鄲に行ったことがあるが、邯鄲市民が特に変わった歩き方をしていたようには見えなかったし、歩けなくもならなかった。

この話は示唆に富んでいるが、それにしても歩き方を忘れることなんてあるんだろうかと、ずっと思っていた。しかし、最近、歩き方を忘れることがあるということを知った。普通の状態ではない。認知症である。

年をとって歩けなくなるというのは、筋力が弱くなったり、関節や骨に問題がおきたりしてそうなるのだと思っていた。もちろんそういう場合もあるが、認知症で歩き方を忘れることも多いらしい。

実はこれはたいがいの人に経験がある。初めてスキーやスケートをしたときを思い出してほしい(したことなかったらすみません。)。最初は立つのも難しかったはずだ。いったん転ぶと、今度はどこに力を入れていいか分からないから、疲れるばかりでなかなか立ち上がれない。慣れるといとも簡単に立てるようになって、あの苦労は何だったんだろうと思う。

歩き方を忘れるというのは、そういうことである。平地を歩いているときは何の問題もない。坂や階段、デコボコなど、イレギュラーな場所に当たると、とたんにどう足を運んでいいか分からなくなる。なにかの拍子で倒れると、今度はどうすれば起き上がれるか分からないから、ヘンな所に力を入れて、なかなか起き上がれない。さらにひどくなると、平地でも足の運びが分からなくなり、まったく歩けなくなる。

僕たちは当たり前のように二本の足で歩いているが、なかなか複雑なことをしている。ロボットだって、スムーズに二足歩行できるようになったのはつい最近である。認知症になって歩けなくなるのは、それほど不思議なことではないのだ。
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#認知症

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