先日、陽明文庫本『宇治拾遺物語』の電子テキストを公開した。しかし、前に公開した『方丈記』と、これだけでは寂しい。そこで同じ説話集の『古本説話集』と『今昔物語集』を電子テキスト化することにした。
攷証今昔物語集(本文):やたナビTEXT
梅沢本古本説話集:やたナビTEXT
『今昔物語集』の方は、芳賀矢一の手による『攷証今昔物語集』の本文部分を入力している。こちらはいろいろ制約はあるものの、活字なのでまあ問題ない。なにしろ膨大な作品だから、だいぶ時間がかかるが、修行僧のように入力することにしよう。
『古本説話集』の方は影印本から翻刻し、校本を作ろうと思っている。幸い影印本(勉誠社文庫)を持っているし、e国宝(古本説話集:e国宝)で、自由に拡大できるカラーの画像も見られる。早速、翻刻を始めてみたのだが、これが読みにくいことこの上ない。上手すぎるのである。
古本説話集1
上手すぎるというのは、簡単に言うと、作品意識が強すぎるということである。上の写真をご覧いただければわかると思うが、線の太さの変化が大きく、潤筆と渇筆のグラデーションが美しい。おそらくこれは意図的にやっているのだろう。
しかし、読むという点でいえば、潤筆では字が潰れて読みにくく、渇筆ではかすれて読みにくい。ちょうどいいところがほとんどない。
使用している文字も、変体仮名は「伊(い)」だの「勢(せ)」だの、あえて画数の多いものを選んでいるように見える。字形では左側の3行目「人」から「ゝ」への連綿や、5行目の「也」の右にすっ飛んでいくところなんかは、気取りすぎてちょっとイヤミに見える。
つまり、達筆すぎて読みにくい。和歌ならともかく、散文でここまで作品意識の強い写本はちょっとないんじゃないだろうか。
これが、しばらく続くのだが、途中から書いている人が変わって、急に読みやすくなるのが面白い。
古本説話集2
こちらは、さっきの達筆野郎(失礼!)とは正反対で、流麗な平安仮名になっていて、前の人と比べると、別の方向で美しい。変体仮名や崩し方もそれほど妙なものはないようだ。初めて写本を読む人にも勧められる字である。たぶん、この人は一人目とは仲が悪いに相違ない。
『古本説話集』の筆写者は、もう一人いる。
古本説話集3
線が細いので、二人目ほどではないが、最初の人にくらべればはるかに読みやすい。もちろん、この人も上手いのだが、一人目と二人目を折衷したような書き方だ。
線の細さからみて、繊細な人物に違いない。たぶん、この人は細やかな心遣いで、仲の悪い二人の調整役をしているのだ。なお、仲が悪い云々は、僕の勝手な想像なので、あまり本気にしないでほしい。
ちなみに、二番目の写真の、右上の付箋には「是より為相卿」と書いてある。「ここから冷泉為相が書いた」という意味で、江戸時代の古筆家によるものだろう。ちなみに彼によると最初の人は二条為氏だそうだ。
つまり、この古筆家によると、『古本説話集』は為氏と為相によって書かれたことになる。為氏と為相は為家の子でありながら、異母兄弟で、相続をめぐって二条家と冷泉家(と為教の京極家)に分裂したぐらいだから、当然仲が悪い。
古筆家の鑑定なんてあてにならないが、この字を見て僕と同じような想像をめぐらしたのかもしれない。 (追記) (追記ここまで)
攷証今昔物語集(本文):やたナビTEXT
梅沢本古本説話集:やたナビTEXT
『今昔物語集』の方は、芳賀矢一の手による『攷証今昔物語集』の本文部分を入力している。こちらはいろいろ制約はあるものの、活字なのでまあ問題ない。なにしろ膨大な作品だから、だいぶ時間がかかるが、修行僧のように入力することにしよう。
『古本説話集』の方は影印本から翻刻し、校本を作ろうと思っている。幸い影印本(勉誠社文庫)を持っているし、e国宝(古本説話集:e国宝)で、自由に拡大できるカラーの画像も見られる。早速、翻刻を始めてみたのだが、これが読みにくいことこの上ない。上手すぎるのである。
古本説話集1
上手すぎるというのは、簡単に言うと、作品意識が強すぎるということである。上の写真をご覧いただければわかると思うが、線の太さの変化が大きく、潤筆と渇筆のグラデーションが美しい。おそらくこれは意図的にやっているのだろう。
しかし、読むという点でいえば、潤筆では字が潰れて読みにくく、渇筆ではかすれて読みにくい。ちょうどいいところがほとんどない。
使用している文字も、変体仮名は「伊(い)」だの「勢(せ)」だの、あえて画数の多いものを選んでいるように見える。字形では左側の3行目「人」から「ゝ」への連綿や、5行目の「也」の右にすっ飛んでいくところなんかは、気取りすぎてちょっとイヤミに見える。
つまり、達筆すぎて読みにくい。和歌ならともかく、散文でここまで作品意識の強い写本はちょっとないんじゃないだろうか。
これが、しばらく続くのだが、途中から書いている人が変わって、急に読みやすくなるのが面白い。
古本説話集2
こちらは、さっきの達筆野郎(失礼!)とは正反対で、流麗な平安仮名になっていて、前の人と比べると、別の方向で美しい。変体仮名や崩し方もそれほど妙なものはないようだ。初めて写本を読む人にも勧められる字である。たぶん、この人は一人目とは仲が悪いに相違ない。
『古本説話集』の筆写者は、もう一人いる。
古本説話集3
線が細いので、二人目ほどではないが、最初の人にくらべればはるかに読みやすい。もちろん、この人も上手いのだが、一人目と二人目を折衷したような書き方だ。
線の細さからみて、繊細な人物に違いない。たぶん、この人は細やかな心遣いで、仲の悪い二人の調整役をしているのだ。なお、仲が悪い云々は、僕の勝手な想像なので、あまり本気にしないでほしい。
ちなみに、二番目の写真の、右上の付箋には「是より為相卿」と書いてある。「ここから冷泉為相が書いた」という意味で、江戸時代の古筆家によるものだろう。ちなみに彼によると最初の人は二条為氏だそうだ。
つまり、この古筆家によると、『古本説話集』は為氏と為相によって書かれたことになる。為氏と為相は為家の子でありながら、異母兄弟で、相続をめぐって二条家と冷泉家(と為教の京極家)に分裂したぐらいだから、当然仲が悪い。
古筆家の鑑定なんてあてにならないが、この字を見て僕と同じような想像をめぐらしたのかもしれない。 (追記) (追記ここまで)
コメント
コメント一覧 (20)
堂(た) て 満(ま) 川(つ) る 古(こ) の ハ(は) しのきれ 給 ハ(は)らむ 登(と)
申しか者(ば) 可(か) 里(り) 能(の) きての物 ハ(は) い 可(か)て 可(か)てな(尓)に
志(し) ニ(に) とらせ給 ハ(は) ん くち 越(を) し とて 可(か) へ 里(り) (尓)に
遣(け) 里(り) ・・・
・・・読み易いと思ったけれど意味が通じません。
前後の二条為氏と冷泉為相の筆による『古本説話集』は、小生には
ちょっと無理です。
『宇治拾遺絵物語絵巻』の詞書を、近衛家煕が平安古筆に見られる
読み易い書風で書いてくれていることは、ありがたいですね。
・・・ということは、私はひょっとして達筆なのかも?
何時も板書の字を生徒たちに「先生、そこなんて書いてあんの〜」
なんて質問追受けているわけですから・・・しかも、時々自分ですら読めないときがある(笑)
なんて冗談はともかくとして・・・長いこと、こんな写本には触れることがなかったですね。もともとあんまり読めた方じゃなかったんですが、ますます読めなくなって・・・
・・・こうやって電子テキスト化されるのは本当にありがたい限りです。
>・・・読み易いと思ったけれど意味が通じません。
途中ですからしょうがないです。
でも、この大きさで見ると、本当に読みやすさの違いがわかりますね。
きれいな写本でこれだけ読みにくいのもちょっと珍しいと思います。
近衛家煕の字は、古本説話集の最初の人みたいな気取りがなくっていいですね。
>何時も板書の字を生徒たちに「先生、そこなんて書いてあんの〜」
間違いなく達筆ですよ。
今の生徒たちは、ちょっと崩すと読めなくなるんですよね。
>・・・こうやって電子テキスト化されるのは本当にありがたい限りです。
『古本説話集』は前半が和歌説話で、イマイチ面白くないんですが、後半の仏教説話の方が面白いと思います。
まあ、何が面白いかは人それぞれですが・・・。
>書いてある。
間違えました。読みやすかったのは京極為相の筆
との事ですね。
これだけ綺麗で読み易い説話の古本なのに、意味を
読み解けないのは情けない。
最初の読みにくい写本は、二条為氏の筆とされて
いるものの、自筆は極めて稀だそうです。
最後の写本は、縦に流れる流麗な筆で、横に振れる
線が少ないので、一行目を見ただけで諦めました。
現代人にとって、草書の漢字・連綿・変体仮名が
古本解読の三重苦となっていますね。
いやいや、ここは途中ですから、読めなくて当たり前ですよ。たぶん、
〜奉る。「この端の切れ給はらむ」と申ししかば、「かばかりのきてう(貴重?)の物は、いかでか」とて、「なにしか取らせ給はん。口惜し」とて、帰りにけり。
だと思います。一部抜けてましたね。
このへんまだ読んでいないんで、解釈には自信がありませんが。
>二条為氏の筆とされているものの、自筆は極めて稀だそうです。
為氏には確実な自筆があるんですね。
今、二玄社の日本書道辞典で調べてみたら、二条為氏の項には「因幡切」が自筆のように書かれていて、「因幡切」の項には自筆とは認められないと書いてありました。どっちだよ。
お〜 ! 鮮やかですね。「 きて<う>の物 」
「て」 を「天」と読み違え、<う>を 私は読み落として
しまいました。
しかし「きてう」の旧仮名遣いを「貴重」に変換するのは
見識が必要ですね。
七五調の和歌ならば、言葉の切れ目が明確ですが、
散文は、どこが切れ目なのか分かりづらい。
>二条為氏の項には「因幡切」が自筆のように書かれていて、
>「因幡切」の項には自筆とは認められないと書いてあり
>ました。どっちだよ。
いつも二条為氏が『古本説話集』ような書きぶりだった
ならば、特徴が顕著なので他の筆跡の鑑定も容易だと
思われるのですが、そのつど気分によって書き分けていた
のなら、為氏自筆と断定すには色々と意見が分かれる
でしょうね。
写本を見る限り、ただならぬ高揚感が伝わってきます。
「人」を特別大きく二文字も書いているのも目立ちます。
本当はどのような「人」が書いたのか興味が湧きます。
実はそこがよく分らなかったんです。
読みなおして、「う」が落ちているのには気づいたのですが、「きてう」が何かよく分らなくて、前後を読むと「端の切れ」をあげるのあげないのと言っているので「貴重」かなと思いました。
注釈書を見れば答えは分かるのですが、写本から探すのは面倒くさいので、そこを翻刻するときまでのお楽しみにします。
>散文は、どこが切れ目なのか分かりづらい。
そうなんですよ。
語数だけでなく和歌では基本的に歌語が使われるんで、言葉が想像しやすいのですが、散文は会話文、当時の俗語、漢語などがでてくるんで難儀します。
『古本説話集』も注釈書がいくつか出ているんで、分らなければそれを参考にすればいいけど、何もないと何倍も時間がかかると思います。
>写本を見る限り、ただならぬ高揚感が伝わってきます。
僕もそう思います。
それが大変迷惑なんですが・・・。
古本説話集の前半は、解読の前に解字が困難。
やはり為氏筆の部分は、注釈書と にらみ合わせて
解読したほうが賢明でしょうけれど、たぶん最初
から始めるのでしようね・・・。
『今昔物語集』は、楷書の宣命書きなのですね。
カタカナは一音一文字なので迷うことはない。
『宇治拾遺物語集』の写本は、漢字かな交じり文で
詰めて書いてあるけれど、馴れると読み易いですね。
( 宇治拾遺物語巻三・2 の画像をネットで見つけました)
だいぶ読めるようになってきましたが、やはりときどき注釈書を見て「あっそうか!」ということも度々。
ところで、全然読めない字が出てきたんですが、分かりますか?
http://yatanavi.org/_media/text/kohon/kohon011kanji.png
「よき〓に申させ給へ」なんですが、文脈からはさっぱり分かりません。
新日本古典文学大系では「様」と読んでいるのですが、どうも「様」には見えません。
お知恵を拝借したく・・・。
>『今昔物語集』は、楷書の宣命書きなのですね。
そうなんですが、これがまた異体字だらけで困ったものです。
>宇治拾遺物語巻三・2 の画像をネットで見つけました
巻三ということは、版本(板本)だと思います。
近世のものなので、字母が限定されていて読みやすいのですが、版本は筆脈がないので最初は読みにくいでしょうね。
様の異体字に、樣がありますが、その「永」の部分を「次」のように書いた異体字ではないでしょうか。
史料編纂所の電子くずし字字典データベースには、似た例が「様」と認定されているようです。
翻刻の方針にもよりますが、現行の活字ですと「様」でよろしいのではないかと思いました。
なるほど、そうかもしれませんね。僕も最初、右端は欠かなとおもいました。
電子くずし字字典データベースも確認しました。似ているのがありますね。
いずれにしても、だいぶ無理があるように思うので、筆写者も読めないままそれらしく書いちゃったのかもしれません。
文脈的には「様」以外にはちょっと思いつかないのですが、『大和物語』や『宇治拾遺物語』では「よきに申させ給へ」となっていて、この字を落としているのが面白いです。
>現行の活字ですと「様」でよろしいのではないかと思いました。
はい、それでいこうと思います。
ありがとうございました。
>>「永」の部分を「次」のように書いた異体字
我が国では何らかの理由で、中国以上に「様」を色々な
字形で書き分けていたようです。
漢字の字体を教わった私の先生は、和様の漢字字形は
良い意味でも悪い意味でも、いい加減だと言ってました。
康煕字典の「樣」の厳密な字形は、「永」の中央縦画の
下の部分は跳ねていないので、説文篆文の影響を受けて
いると思われます。
明朝体の原型となったと言われております顔真卿の
干禄字書に見られる「樣」の字形では「永」の右側が
「礼」の右側のような字形です。(唐楷書字典・梅原清山編)
書道大字典・伏見冲敬編には、「樣」の筆書の字体は
一つも見られず、当用漢字の新字体の「様」に近い行書の
字形となっています。
ただし、つくりの部分は「羊」のように、縦画が貫く形
とはなっておらず、筆順から上下の部分に分かれている
ことが判ります。
さて、和様字典・北川博邦編で「様」の字形を見ますと
確かに「樣」の「永」の部分を「次」のように書いた字形
を複数見つけることができます。具体例としては、
花園天皇・御処分状と、藤原道長・御堂関白記を合わせた
ような「様」の字形となっています。
しかしながら「様」以外の漢字候補を探しておられる
ようですから、手持ちの資料の範囲で他の漢字の可能性も
探ってみたいと思います。
P.S.我田引水ですが、祥南行書Xs7フォントに変体仮名と
所謂 書写体と呼ばれる和様の字形を6200字程 増補して
います。
「様」は宛名に使用され多様な字形が望まれますので、
「樣」の「永」の部分を「次」のように書いた字形を
含む 8種類の「様」の異体字を搭載しています。
>我が国では何らかの理由で、中国以上に「様」を色々な
字形で書き分けていたようです。
今でも、手紙の宛名を相手によって書き分ける人がいますね。
もともと相手の名前に付けるのは日本固有のことみたいです。
そこから、いろんな字形の使い分けがうまれたのでしょう。
>ただし、つくりの部分は「羊」のように、縦画が貫く形
>とはなっておらず、筆順から上下の部分に分かれている
>ことが判ります。
面白いことに、最近の高校生もそういうふうに書く生徒が多いんです。
これを直させるのがなんとも難しい・・・。
>しかしながら「様」以外の漢字候補を探しておられる
>ようですから、
そういうわけではないのですが、僕の知っている字とあまりにも違っているので、別の可能性はないかと思ったのです。
文脈的には「様」だと思います。
>含む 8種類の「様」の異体字を搭載しています。
8種類もあるんですか!
僕は4つぐらいしか思いつきません。
上記の画像の字形そのものずばりの漢字は、残念ながら
見つかりませんでした。
>「よき〓に申させ給へ」なんですが、文脈からはさっぱり
>分かりません。
> 新日本古典文学大系では「様」と読んでいるのですが、
>どうも「様」には見えません。
「様」を第一候補としながらも、他の漢字候補の可能性を
考えてみました。
一応、扁は木偏として、旁の候補を挙げたいと思います。
「脉」は「脈」の異体体で、中国の古典(顔真卿など)に
よく見られる書写体です。
画像の旁の上部は簡素で「羊」には、見えにくいので
他の字形の候補として
「掾」「椽」や、「縁」などの新字体の字形。
「禄」の旁の部分もなきにしもあらずか ?
ざっと調べたのですが、この中に定説の「様」を退けて
新たな仮説を主張できる可能性は、如何に。
「様」の様々な字形について。
現代の常用漢字の字体に話題を移しますと・・・
「様」の最終画は、明朝体では払っていますが、
「泰」の「したみず」のように止めても許容の字形と
して認められています。
つまり書写技能検定では、「様」の最終画を払っても
止めても○しろまるとなります。
旧字体「樣」の略字として「永」の部分を
×ばつになります。
検定協会は「様」の新字体と、その許容の字形。
それに旧字体の「樣」の三種類以外の異体字を
認めていません。
>文脈的には「様」だと思います。
P.S. 今回 話題となりました「木羨」とも思われる
「様」は、私も疑問を抱きつつもフォントに搭載
していましたが、『古本説話集』の文脈からして
「木羨」→「様」と解釈していただくと、ホッと
します。
でも、「木羨」に似た構成からなる「様」に、
古人はどのような想いを乗せたのでしょうかねぇ。
もう一ヶ所(第19話平中事)にほとんど同じ字が出てきました。
http://yatanavi.org/_media/text/kohon/motonoyoni.png
これは「もとの様に」ですので、最初のものの文脈と合わせて考えると、やはり様と読む以外ないと思います。
>画像の旁の上部は簡素で「羊」には、見えにくいので
そうなんですよ。僕もそこに引っかかったんです。
>「木羨」
あ、次じゃなく、さんずいなんですね。それならつくりの下の部分はOKですね。
> あ、次じゃなく、さんずいなんですね。それならつくりの下の部分はOKですね。
「木羨」は、あくまでもイメージです。
「木羨」に似た構成からなる「様」という意味で「にすい」なのか「さんずい」
なのか、あるいは他の漢字のパーツなのか詳細は不明です。
書道大字典・伏見冲敬編には、見出しの漢字として驚くほど多くの活字が
例示されているのですが、「樣」の明朝体と「様」の教科書体の二例のみが
示されています。
「木羨」に似た構成からなる「様」は、和様の書のみで使用されている
のでは・・・中国の古典には全く見られない字形ですから。
>もう一ヶ所(第19話平中事)にほとんど同じ字が出てきました。
>http://yatanavi.org/_media/text/kohon/motonoyoni.png
「木羨」に似た構成からなる「様」に複数の字例が見つけられるのは、
割と頻繁に用いられていたのでしょうね。
これは、三番目の筆写書者の筆跡でしょうか ?
流麗な速筆で書かれおり、横への振幅が少ないので、私には
「もとの様に」の「と」も判読できませんでした。
それにしても達筆だなぁ~ !!!
>「木羨」に似た構成からなる「様」は、和様の書のみで使用されている
>のでは・・・中国の古典には全く見られない字形ですから。
どうもそのようです。
こういう時に、中国の古典が中心の字典をあたってみたのが失敗でした。
最初から「電子くずし字字典データベース」にあたるべきでした。
>これは、三番目の筆写書者の筆跡でしょうか ?
最初の人です。
だいぶ疲れてきたとみえて、最初の方から比べると、かなりおとなしくなりました。誤字の訂正や、脱文の補入も増えてきて、いよいよ選手交代です。
「きてう」→「貴重」は合っていました。
>「よき様に申させ給へ」でググってみると、結構引っ掛かります。定型句なのかもしれません。
そんな感じがしますね。
ちょっと時代劇の殿様風ですが。
同じタイプの同窓生がいたのを思い出します。
駅伝なのに、400mのトラックを全力疾走し、校門を
トップで飛び出してゆきました。愛すべき人柄です。
>「きてう」→「貴重」は合っていました。
謎解きのような・・・名推理ですね。
>中国の古典が中心の字典
書道大字典・伏見冲敬編には、唐 以後の字例しか
掲載されていません。
「様」に似た構成からなる行書字形が中心です。
他方、師弟関係にある北川博邦編・和様字典には
「木羨」に似た構成からなる行書字形が二例。
「木羨」の「欠」上部が「欠」のようには見えない
草書字形が6例示されているのみで、「様」に似た
構成からなる字形は皆無です。
このことから「木羨」に似た構成からなる様の字形は
和様独特の字形だと思ったのですが・・
貴兄に示していただいた『古本説話集』の為氏筆とされる
「木羨」に似た構成からなる 2例の草書字形を 見ている
うちに下記のような妄想が浮かびました。
我が国には「木羨」に似た構成からなる草書字形が
伝来した。
草書は篆書の面影を残しているので、これを行書に
再構築すると「木羨」に似た構成となった。
本家の中国では、唐以後の「様」に似た行書字形が
主流となり、「木羨」に似た構成の草書字形の系譜は
破棄された。
中国で「木羨」に似た構成が復活したのは、康煕字典
からで、篆書の字体を元として明朝体に再構築した。
このとき、「樣」の右下の部分は「永」ではなくて
篆書の字形を考慮すると「派」の旁の部分だったと
思われる。
その根拠としては、康煕字典の「樣」では「永」の
中心の縦画の下部を左に跳ね上げていないから。
ところが、明治の活字では「派」のつくりの部分を
「永」と勘違いして改めてしまった。
こんな理由で、「樣」に似た字形と「木羨」に似た構成の
「様」の関連が判りにくくなった。
まあこれも、漢字を睨みつけていた反動から生じた
ゲシュタルト崩壊の一種ですね。