学問の効能
昔から学問は役に立たないなどと言われます。そのとおりです。学問は直接何かの役に立つものではありません。それを応用する人がいて初めて役に立つものです。
それでは学問をすることは、その人にとって無意味なのでしょうか。学問をしてその専門分野で糊口をしのげたら役に立ったともいえるでしょうが、苦労してやっと糊口をしのぐぐらいだったら、やらん方がマシということになります。
私はやたらと長く学生として大学にいましたが、そこで研究したことは今の仕事とは(まったくとはいいませんが)ほぼ関係ありません。しかし、それが無駄だったとは全く思っていません。それは学問の仕方をトレーニングできたからです。
学問とは真理を探求することです。真理を探求するには、証拠と証拠を常識で結びつけるよりほかの方法はありません。
もっと簡単にいうと、学問とは常識で考えることです。
常識というとみんなが持っているべき知識のことだと思われるかもしれませんが、それだけでなく考え方も含まれます。むしろそちらの方が重要です。
例えば、日本が外国から攻撃されることを恐れている人がいるとします。なぜそんなことを恐れるのか聞くと「その国が軍事力を増強しているから」と答えます。しかし、軍事力が大きくなったからといって戦争するわけではないので、日本を攻める理由にはなりません。
「日本に憎しみを持っているから」と答える人もいます。戦争には多額のお金と犠牲が必要です。そんな理由で戦争をしかける国はありません。もちろん、その国では憎しみを煽って国民を鼓舞するでしょう。これが証拠に見えますが、多額のお金と犠牲を費やして憎しみをはらす国はありません。
では、なぜこんな無理な考え方をするのでしょうか。それは「外国から攻撃されると怖い」という感情が先にあるからです。だから無理に外国が日本に戦争をしかける理由を探します。しかしそれは常識的な考え方ではないので、かならずどこかで破綻します。
学問の世界は、感情を殺して常識で考えることをトレーニングします。特に人文系の学問は、むりやり証拠を出すことができるため、常識で考えることは特に大事なことになります。
人は往々にして感情に捕らわれて間違った判断をするものです。ですから、常識で考えることは日常生活でもおおいに役に立ちます。賢い人なら日常生活だけで身に付くでしょう。ボンクラな私には学問が必要だったということです。
それでは学問をすることは、その人にとって無意味なのでしょうか。学問をしてその専門分野で糊口をしのげたら役に立ったともいえるでしょうが、苦労してやっと糊口をしのぐぐらいだったら、やらん方がマシということになります。
私はやたらと長く学生として大学にいましたが、そこで研究したことは今の仕事とは(まったくとはいいませんが)ほぼ関係ありません。しかし、それが無駄だったとは全く思っていません。それは学問の仕方をトレーニングできたからです。
学問とは真理を探求することです。真理を探求するには、証拠と証拠を常識で結びつけるよりほかの方法はありません。
もっと簡単にいうと、学問とは常識で考えることです。
常識というとみんなが持っているべき知識のことだと思われるかもしれませんが、それだけでなく考え方も含まれます。むしろそちらの方が重要です。
例えば、日本が外国から攻撃されることを恐れている人がいるとします。なぜそんなことを恐れるのか聞くと「その国が軍事力を増強しているから」と答えます。しかし、軍事力が大きくなったからといって戦争するわけではないので、日本を攻める理由にはなりません。
「日本に憎しみを持っているから」と答える人もいます。戦争には多額のお金と犠牲が必要です。そんな理由で戦争をしかける国はありません。もちろん、その国では憎しみを煽って国民を鼓舞するでしょう。これが証拠に見えますが、多額のお金と犠牲を費やして憎しみをはらす国はありません。
では、なぜこんな無理な考え方をするのでしょうか。それは「外国から攻撃されると怖い」という感情が先にあるからです。だから無理に外国が日本に戦争をしかける理由を探します。しかしそれは常識的な考え方ではないので、かならずどこかで破綻します。
学問の世界は、感情を殺して常識で考えることをトレーニングします。特に人文系の学問は、むりやり証拠を出すことができるため、常識で考えることは特に大事なことになります。
人は往々にして感情に捕らわれて間違った判断をするものです。ですから、常識で考えることは日常生活でもおおいに役に立ちます。賢い人なら日常生活だけで身に付くでしょう。ボンクラな私には学問が必要だったということです。